Category: Yuki’s Diary 日記

  • グローバル志向

    世界で通用するものこそ、本物だ。

    モバイルの世界についても、このブログでさんざんノキアやGSMを持ち上げ、日本のものを批判的に書いているので、外国かぶれのように思われているかもしれないが、そうではない。

    日本のものがダメなのではなく、日本でしか通用しないものには興味がないだけなのだ。

    日本だけに閉じるのではなく、世界に積極的に打って出る。そして、世界にある素晴らしいものや合理的なものは、どこの国のものであれ、偏見なく受け容れ、取り入れる。そしてそれが日本発のものであれば、それは非常に誇らしいことだ。

    日本人だけで内輪で盛り上がるのではなく、どこの国の人にも普遍的に受け容れられるものを目指す。これこそが今後の私たちに求められていることだと、思う。

    昨日、WBCで日本チームが世界一に輝いた。これまで"所詮は日本に閉じた実力"と評価されがちだった日本の球界が、世界に認められた瞬間である。これこそ真に誇るべき力だと、僕は考える。

  • ソフトバンク、ボーダフォン買収に合意

    ソフトバンク、ボーダフォン買収に合意 ヤフーも参加
    ソフトバンクは3月17日、英Vodafone Groupから日本法人・ボーダフォンを買収することで合意したと発表した。買収総額は1兆7500億円。ソフトバンクは固定電話、携帯電話の両事業を抱え、売上高2兆5000億円規模、提供回線数約2600万回線の総合通信事業者としてNTTとKDDIに対抗する。
    ソフトバンク全額出資で設立する子会社を通じ、1~2カ月中にボーダフォン発行済み株式の97.7%を取得する。ソフトバンクは2000億円、ヤフーは優先株1200億円を出資。さらに1.1~1.2兆円を、買収先の資産を担保に資金を借り入れるレバレッジド・バイ・アウト(LBO)によるノンリコースローン(非遡及型融資)で調達する。Vodafoneグループもソフトバンク子会社に対し3000億円相当の優先株式新株予約権と、1000億円相当の劣後債を通じて投資する予定で、合計4000億円は買収の支払いに充当する見込み。
     ヤフーは、携帯電話向けポータルサイトとして全面的にサービスとコンテンツを提供。PCとモバイルでシームレスな環境を構築し、革新的なモバイルサービスの提供が可能になるとしている。
    (ITmedia +D 2006年3月17日)

    いよいよ買収が現実化したソフトバンクとボーダフォン。ソフトバンクの持ち出しは2000億円ともいわれる中、大胆な賭けに出た大幅買収劇だ。これからブランド名も変わり、サービスも大幅に変わっていくことが予想されるが、我々にとって気になるのは、国際ローミングサービスやNOKIA端末の供給が今後どうなるかだ。

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  • closed

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    西友保谷店が駅前の再開発事業のため今日をもって閉店。42年間この地で営業し続けてきたその歴史に幕が下りた。

    僕がお世話になったのはそのうち5年ほどだったけど、1Fと2Fのスーパーマーケットは午前1時まで営業という、僕ら終電帰宅組には非常にありがたいサービスで、帰り際にビールを買って帰ったり、土日には夕飯の食材を買い込んだりと、非常に活用させてもらった。

    明日からは割高なコンビニのお世話にならなければならない。またスーパーも別の場所を開拓しなければならず、生活パターンの大きな変化を強いられることになる。何よりも、駅前のメインの顔となる店がなくなってしまうということは、町の活気にも影響するもので、非常にさびしいものがある。

    ともあれ、今までありがとう。そして、おつかれさん。

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  • トリノオリンピック

    イタリア・トリノで繰り広げられてきた冬季オリンピック大会が、閉会した。
    前半は、上村愛子、里谷多英、清水宏保、岡崎朋美、童夢・メロ兄妹ら期待の日本人選手が全滅。女子カーリングでは大健闘したもののメダルには結びつかず、このまま日本はメダルなしに終わるのかと危惧していたところ、最後の最後になって、フィギュアスケートで荒川静香選手が燦然と輝く金メダルを獲得し、なんとか日本の面目躍如した。
    フィギュアスケートでアジア人の選手が金メダルを取ったのは、史上初だという。2年前の今頃、NHKの朝ドラ「てるてる家族」では、主人公の4姉妹の長女がフィギュアスケートの選手で、数々の激戦を乗り越えてオリンピック(グルノーブル)の日本代表として選ばれるという話があったが、そのとき、コーチは「オリンピックでも勝とうなんて思わないで下さいね。オリンピックは”ごほうび”なんですから。出られるだけで十分」と言うシーンがあった。よもや日本人がフィギュアスケートで世界と伍して戦えるなどとは、その当時考えもつかなかった。それが、今や金メダルまで取れる時代にまでなったということは、なんとも感慨深いものがある。

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  • 「首の女」殺人事件

    フジ「金曜エンタテイメント 浅見光彦シリーズ22 「首の女」殺人事件」今回のヒロインは、元宝塚スター、紫吹淳。以前、この人の大ファンという人がネットフレンドにいたせいで、紫吹淳の名前だけはよく知っている。
    今回は今までのような中村俊介のセリフ語尾途中省略がなく、昔に比べれば遥かに良くなってきたものの、ヒロインの紫吹淳の喋り方に宝塚風味が抜けておらず、ドラマの話し方としては少し違和感があった。2chでもかなり酷評されていたようだ。中村俊介と同級生という設定にも、年齢上かなり無理があるようだったし(中村は31歳、紫吹は38歳)。車もソアラが出てこなかったのはかなり減点。「マジでか?」も若者の言葉ととるには少し時代が経ちすぎている。
    まあ、2時間ドラマにあまり高度な演出を求めるほうが無理なのかもしれんが。

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  • T-Mobile

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    ドイツの携帯電話キャリア、ドイツテレコムジャパンのT-MobileのSIMカード。これまで香港のSIMカードなど持っているが、これらはすべてプリペイドで、通話料が馬鹿高い上に+発信での国際通話ができないなど、"機能限定版"。ちゃんとした回線契約は外国人には難しいのだが、このT-Mobileは、ドイツの携帯回線契約を日本在住でも行えるというもの。月額基本料1800円のスタンダードプランと、月額基本料相当分を前払いし月々の基本料を無料にしたmitプランがある。

    支払いはクレジットカード、銀行口座引き落とし、銀行振り込みの3メニューがあるが、支払い方法にかかわらず初回契約時は与信調査のためクレジットカード番号の提示が必要。申し込めば数日でSIMカードが送られる。

    WCDMA携帯電話に差し込めば日本でも利用が可能(通話とSMS)。ただし日本ではドコモへのローミングインとなるため、ボーダフォンの携帯とのSMSのやりとりはできない(ドコモのFOMAとはSMS送受信可能)。MMSやGPRS、WAPの設定などはこのサイトから設定内容をSMSで受け取り、自動設定ができるはずである(まだちゃんと試してない)。

    ニュースなどをSMSで受信するサービスもあるようだが、文章がドイツ語なので、大学の般教以来ドイツ語から遠ざかっている身にはちとつらい。

    とりあえず、眠っていた僕の7600に挿して遊んでみよう。今年はワールドカップもあるし、ドイツも少しは注目されるだろうから(ドイツまで行くかどうかは不明)。

    【関連サイト】

    T-Mobileを申し込み(香港GSM/3G携帯情報局BLOG)

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  • 「夜伽草紙」二周年

    ブログを始めて、今日で2年が経った。
    さすがに毎日更新というわけにはいかないが、普通の日記なら3日坊主ですぐ飽きてしまうところが、よくぞ2年も続いたものだと我ながら感心してしまう。
    2年前に書き始めた頃は、まだブログといっても一部の先進的なブロガーの手によるものだけで、いまいちどういう使い方をするのかよくわからないままに見よう見まねで始めたものだが、ここにきて猫も杓子もブログブログで、果ては企業までもが”ブログビジネス”なんて触れ込みで自社サイトをブログ化しつつある。
    RSS検索サイトも格段に充実し、世界中に星の数ほどあるブログサイトのどこかで新規アップロードや更新などがあると、すかさず収集され、データベース化されるようになった。今ではキーワードを検索するだけで、関連するブログを収集することができる。
    特にトラックバック機能はブログの目玉機能だ。自分の記事と関連のある記事を他に見つけたとき、そこに自分の記事のページをリンクしてほしければ、これまでならその記事の書き手にお願いしてリンクを張ってもらわなければならなかったが、トラックバック機能でそれが自分の意思でできるようになった。優れた記事にはいろんなブログからトラックバックが来て多くのリンクが張られ、そこからたどっていくことによって、元記事に関連した、種々多彩な書き手のさまざまな記事を読むことができる。こうしてウェブ空間に張られた”知の連鎖”こそが、ブログの醍醐味であろう。
    2年前、折しも若い女の子2人が芥川賞を受賞し、文芸の世界がちょっと注目されたころ、僕も少しだけ”ものを書く”ということに興味を持ち始め、そうしたことから、いわば”ものを書く練習”をするということでブログを書き始めたのだが、書けば書くほど、書くことの難しさ、奥深さが思い知らされる。1回こっきりのエッセイや書き物であれば、セミプロ級の水準のものを書き上げる自信はある。しかし、それを毎日、あるいは毎回、水準を落とさずに書き続けるということは非常に難しい。おそらくそれができるかどうかがプロと素人の違いなのではないだろうか。少なくとも僕の場合、ここのところ自分の書いている文章のレベルが、2年前に比べて格段に落ちていることを痛いほど実感せざるを得ない。
    そうした中、「絵文禄ことのは」や「にっけいしんぶん新聞」のように、本業を別に持ちブログ書きは趣味ながらも、読者をうならせる記事を書きその上その水準を毎回維持している人がいるのを見るにつけ、つくづく自分の技倆不足を痛感させられる。まだまだ精進が必要だ。
    「将来、作家としてデビュー」などという大それた考えは今のところないが(まあ、ITエンジニア出身の作家というのも希少価値があって面白いかもしれないけど)、テクニカルライターなどになれる水準にまでレベルアップできれば、将来会社で行き詰まったときに思わぬ転機が訪れるチャンスにつながるかもしれないな~などと勝手に期待してみるのであった。

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  • ノーブレス・オブリージュ

    「ノーブレス・オブリージュ」とは、平たく言えば、特権階級にある人は応分の義務を負う、という意味である。欧米ではこのような思想があり、富を持つ人や、上流階級、エリートの地位にいる人は、公のために身を捧げる責務を持つという考え方が社会の基底にある。
    そのため、王族などに属する人間は、ある年齢になると軍に入って国家に奉仕することになっている国が多いし、富をなした実業家はその富を慈善事業や公共の福祉のために寄付するというのが慣習である。有名なところでは、ダイナマイトの発明で巨万の富を得たスウェーデンのアルフレッド・ノーベルの遺産から創設されたノーベル賞があるし、米国の石油王ジョン・D・ロックフェラーはその私財でシカゴ大学を設立し医学の発展に貢献した。同じく米国の鋼鉄王アンドリュー・カーネギーは、ニューヨークにカーネギー・ホールを設立し、文化の振興に尽くしたほか、慈善家としてもその名を知られている。IT業界を見ても、マイクロソフト社のCEOビル・ゲイツが、難病撲滅のために資産約1000億ドルを寄付している。
    翻って、日本の実業家のうちのどれほどの人が、その資産を公に投じているだろうか。ことに六本木ヒルズに集う”IT長者”で、私財を寄付しているといった例は寡聞にして知らない。
    日本ではここのところ欧米型の社会システムを取り入れ、いわゆる”勝ち組”と”負け組”の格差社会をめざしているにもかかわらず、もう一つの肝心なこの「ノーブレス・オブリージュ」の思想を取り入れなかった。
    いきおい、「カネを多く持っている者が偉い」という考え方になる。
    「金で人の心が買える」「金さえあれば女も買える」「金があれば死なないこともできる」等と繰り返し著書で述べ、一躍時代の寵児となったライブドアの社長・堀江貴文容疑者。ドラえもんのような体形から、いつしか「ホリエモン」と呼ばれるようになった彼を、世のマスコミや政治家は成功者のシンボルとして祭り上げ、若い世代は彼に共鳴した。彼のこの考え方に否定的な勢力に対しては、こうした取り巻きたちは「旧体質」「ホリエモンのように稼いでから言ってみろ」と言って、彼らの反論を封じた。ホリエモン信者たちは、金を稼ぐが勝ちとばかりに株取引を始め、デイトレードで儲けては得意になった。「金ですべては買えないが、金があればたいがいのことはできる」などとうそぶき、コツコツと地道に生きている人を「要領が悪い」「不器用な生き方」と捉える風潮が、だんだん広がった。
    その堀江容疑者らが今日、東京地検特捜部に逮捕された。直接の逮捕容疑は偽計取引と風説の流布による証券取引法違反だが、それ以外にもライブドアの粉飾決算の疑惑がかけられている。これまで派手なM&Aを繰り返して成長し、成功を繰り返して大金持ちとなった堀江容疑者。特権だけを享受し、その特権に相応した義務があることを忘れてしまった金持ちは、「金さえあれば何をしてもいい」「不正をしても許される」という思い上がりによって、思わぬところでつい一線を越え、転落してしまった。
    どんなに要領よく立ち回ったとしても、悪事を働く者に対しては、天網恢恢疎にして漏らさず。「ノーブレス・オブリージュ」を置き忘れた”勝ち組”の末路は、あまりにも哀れだった。

  • 想定の範囲内?

    Japanese ways of saying all kinds of things during the war, not only about the necessity of hierarchy and the supremacy of spirit, were revealing to a student of comparative cultures. They talked constantly about security and morale being only a matter of being forewarned. No matter what the catastrophe, whether it was civilian bombing or defeat at Saipan or their failure to defend the Philippines, the Japanese line to their people was that this was foreknown and that there was therefore nothing to worry about. The radio went to great lengths, obviously counting on the reassurance it gave to the Japanese people to be told that they were living still in a thoroughly known world. ‘The American occupation of Kiska brings Japan within the radius of American bombers. But we were well aware of this contingency and have made the necessity preparations.’ ‘The enemy doubtless will make an offensive against us by combined land, sea and air operations, but this has been taken account of by us in our plans.’ Prisoners of war, even those who hoped for Japan’s early defeat in a hopeless war, were sure that bombing would not weaken Japanese on the home front ‘because they were forewarned.’ When Americans began bombing Japanese cities, the vice-president of the Aviation Manufacturer’s Association broadcast: ‘Enemy planes finally have come over our very heads. However, we who are engaged in the aircraft production industry and who had always expected this to happen had made complete preparations to cope with this. Therefore, there is nothing to worry about.’ Only granted all was foreknown, all was fully planned, could the Japanese go on to make the claim so necessary to them that everything had been actively willed by themselves alone; nobody had put anything over on them. (中略)
    American went as far in the opposite direction as the Japanese in theirs. Americans threw themselves into the war effort because this fight had been forced upon us. We had been attacked, therefore let the enemy beware. No spokesman, planning how he could reassure the rank and file of Americans, said of Pearl Harbor or of Bataan, ‘These were fully taken account of by us in our plans.’ Our officials said instead, ‘The enemy asked for it. We will show them what we can do.’

    昨日のセンター試験の英語の長文問題ではない。これは、米国の文化人類学者、Ruth Benedict女史の有名な著書、「The Chrysanthemum and the Sword(邦題:菊と刀)」の中の一節である。この本は、第二次大戦中、米国が敵である日本について研究するために、国策によって彼女に出させた「日本人論」で、どうすれば日本を効率よく負かすことができるのかという観点で、自分たちとだいぶ異なった考え方をもつ日本人について、詳細に分析されたものである。
    これによると、日本人は、”あらかじめ警告されたこと”にのみ、秩序やモラルを維持することができるという。つまり、どんな悲惨なことが起こったとしても、それが”事前にわかっていること”であれば、心配するには及ばないと考えるのだ。だから、米軍機が攻めてこようとも、街が空襲に遭おうとも、ラジオは「これらの事態はすべて我々の計画の中に考慮されていたことで、それに対する必要な準備は既にできている。だから、心配することはない」と報じて、庶民を安心させたのである。いきなり敵に攻撃を受けたときに、「我々は図らずも敵にやられた。だから仕返しをして、奴らに目にもの見せてやるのだ」と考える習慣の米国人に対して、「攻められたのは想定の範囲内だ」と言って安心する日本人の考え方の違いを指摘したものである。
    最近話題になっている「想定内」とか「想定の範囲内」という言葉は、実は昔から日本人の好きな発想として60年以上も前に米国人にも知られていたのである。
    昨年、「ホリエモン」ことライブドアの堀江貴文社長がこれらのフレーズを発したとき、僕はすぐにこの「菊と刀」を思い出した。その堀江社長率いるライブドアグループが、このほど東京地検特捜部に強制捜査を受けた。容疑は、「風説の流布」という証券取引法違反だが、さらに粉飾決算の疑惑がかかっているという。
    堀江社長はさっそく翌日に記者会見を開き、ライブドアの業務は通常通り行うと述べて周囲の沈静化を図ったはずだったが、この事態を”想定の範囲外”と自ら言ったことで、投資家は安心できなかったようだ。さっそくこの日からおびただしい売り注文が入り、東証のシステムが停止するまでに至ってしまった。
    東証パニック自体はライブドアだけの責任とは言えないものの、投資家の信頼を失ったという点で、彼らの責任は非常に重いのは言うまでもない。
    堀江社長は、著書などの中で繰り返し「稼ぐが勝ち」と訴え、金儲けに奔走してきた。「人の心は金で買える」「金さえあれば女も芋づる式に釣れる」等とうそぶき、”IT時代の寵児”とまで持ち上げられた堀江社長。彼らの心におごりはなかったのか。
    今回の事件自体はその筋にとっては薄々感づいていたようで、その意味では”想定の範囲内”だったという説もあるようだが、特捜部が捜査しているというところに着目すると、これから政治家のほうで2~3人あたり”想定外”の事態になってしまうかも。今後の捜査の行方に注目したい。