Category: Books 本

  • Emma

    These days I’m stuck with reading Emma, which isn’t Jane Austin’s novel but a comic by Japanese manga artist, Kaoru Mori. It’s a love story of a gentleman of the gentry class and a maid servant of a lower birth in England in the Victorian era. Emma, born in a poor seaside Yorkshire village and…

  • Inukai memorial exhibition / 犬養孝生誕百年回顧展

    日本文が後ろに続きます。 This morning I visited Daikan’yama i-Studio to see the exhibition commemorating the 100th anniversary of the birth of Takashi Inukai, a leading scholar in the field of Man’yoshu. For those of you who don’t know it, Man’yoshu is Japan’s oldest collection of tanka poems created more than 1,300 years ago by emperors down to…

  • 犬養孝先生墓前命日祭

    万葉集研究の第一人者で、1998年10月に亡くなられた故・犬養孝先生の生誕100周年を記念して、東京・谷中霊園にある先生の墓前にて命日祭があったので参加してきました。 もう、この業界の重鎮の方々ばかり。70~80人ぐらいが墓前に集ってました。 仏教ではなく神道の家なので、神職の方が来てひととおりの儀式を行い、そのあと参列者一同がかわるがわる墓前に進み出て、玉串奉奠。 玉串奉奠なんて今までやったことなかったんで、前の人の手つきを見ながら適当に見よう見まねで捧げてきました。 命日祭が終わったら、上野の駅前の中華料亭で昼食会。普段、横浜中華街の路地裏の怪しい中華料理しか食べてない身としては、過分なほどの超高級料理をいただいてきました。 出席者はだいぶ年配の方々ばかりだったので量はあまりなかったですが……。 まあ万葉集関係のキーパーソンの方ともお知り合いになれたし、非常に意義のある会でした。 昼食会参加者限定の記念品。犬養先生の筑紫取材ノート、毎日放送の番組録音CD、絵葉書etc.

  • すっかり出遅れてしまった;

    今日、何気なくいろんなブログを流し読みしていたら、なんと「天上の虹」の20巻が出ているとのこと! この2月13日に出たらしい。今まで気付かないとはなんたる不覚! さっそく、近所の本屋さんに行ってゲットしちゃいましたよ・・・ 19巻が出てから作者の里中満智子センセイが手術→入院されてたそうで、4年以上のブランクを空けてのようやくの発売。 その間、私の身のまわりにもいろいろありました・・・ この作品をモチーフにしたA Musical Noteという劇団のミュージカルを観たのも、私の職場が移ったのも、シンガポールや香港に行ったのもNOKIAの携帯電話を買いまくるようになったのも、19巻が出てからのことだったのですね・・・ そういうわけで身のまわりの変化が多すぎて、古代史系のサイトもすっかり足が遠のいてしまってトレースできてなかったです。 この間のフジの金曜エンタテイメント「浅見光彦シリーズ 箸墓幻想」のドラマも見逃しちゃったし; そろそろ、また古代史関係のサイト整備を始めようと思って、さっそくHIMEMIKO*WEBを少し更新しました。 と思ったらサーバダウンするし・・・もういいや;

  • 愛の流刑地

    「ようやく終わってくれたか」というのが、多くの読者の偽らざる気持ちではないか。日本経済新聞の朝刊に一昨年11月から連載され、賛否否否否否両論を巻き起こして話題となった、渡辺淳一「愛の流刑地」が、今日の分をもって終了した。 「冬のソナタ」などに代表されるような精神的なつながりを中心とした「純愛ブーム」がもてはやされてきた昨今にあって、「愛の流刑地」は肉体関係を主体としたエロス中心の”純愛”のあり方を提起し、”純愛”のきわみのエクスタシーの頂点に昇りつめて感じた人と、いまだ知らぬ人との戦いはいずれが勝つのか、読者はいずれに軍配をあげるのか、を読者に考えさせる内容であるとの触れ込みだ。

  • 続続・ものを書くこと

    ブログがすっかりインターネットの世界でメジャーになったようだ。僕がブログを書き始めた1年半ほど前では、ブログはまだまだ一部の先進的なインターネットユーザが作っていただけで、ブログサイトも木村剛氏や松永英明氏などの大御所がほとんどだったのだが、今では、ちょっと個人サイトを作っていただけの人でも、流行りのようにブログを書くようになった。単なるWeb日記というものは昔からあったが、トラックバックによって他のブログと関連付けられる機能などが人気を集めたものと思われる。 それこそネコも杓子もブログを書くようになったのだが、ブロガーのライティングスキルにも個人差があり、中には何気なく書いたことで問題を起こしてしまうブログも散見されるようだ。 先月、コミケ会場近くでコミケ客相手にホットドッグなどを売るアメリカのNathan'sの日本フランチャイズ店でバイトしていた笹間某というお嬢さんが、コミケの入場者を写真に撮って自分のブログで「みんなオタ」「これがぶぁぁぁぁあっているの。恐い!きもい!」などとコメントしたり、コンビニに売られてる「もえるるぶ」(情報誌「るるぶ」の萌え情報版)を手にとった写真とともに「もえるるぶってどないやねん!きんもーっ☆中にはコスプレがあるとこなどが案内されてます。きもすぎです」などと書いていたところ、たまたま目に留まった読者らから猛反撃を受け、彼女を雇用していたNathan'sが謝罪に乗り出す対応に追われるという騒ぎがあった。また、女性下着メーカー「トリンプ」の吉越浩一郎社長が、日経新聞連載中の男尊女卑エロオヤジ小説といわれる渡辺淳一「愛の流刑地」を絶賛し、渡辺氏に自社の下着のサンプルをプレゼントまでしていたことを自分のブログに書いたところ、「愛の流刑地」に批判的な女性陣を中心に吊るし上げに遭い、ブログ閉鎖に追い込まれてしまったという事件もあった。 おそらく、書いた本人は深く考えずに自分の思ったことをそのまま書き散らしただけに違いない。しかし、ものを書くということは、本来とても難しい作業なのだ。素人の生兵法でブログに手を出すことは、大ヤケドのもとになる。 ブログを書こうとする人は、Rebbeca Blood著 yomoyomo訳「ウェブログ・ハンドブック」をまず読んだほうがよいだろう。この本についてはこのエントリーでも述べているが、個人でブログを書くときの非常に重要な助言や示唆がまとめられている。繰り返しになるが、ここでその内容を引用しておきたい。 この本でポイントとなっていたのは、「とにかく、自分の書きたいときに、書きたいものだけを書くこと」を強調していたことだろう。個人でブログを運営するときには、最初は自分が書きたいことを書いているのだが、だんだん読者が増え、固定客がつくようになってくると、そのうち自分の書きたいことよりも、読者に受ける内容を書かなければという強迫観念に取り付かれてしまい、いきおい大衆に迎合して自分を見失ってしまうことが往々にして起こる。そうなってしまうと、ブログを書く本来の楽しみが失われてしまい、一体誰のためにこんなことをしているのかわからなくなってしまう。これでは書き手も読み手も不幸だ。著者は、このように自分らしさを失ってしまったブロガーには、しばらく休養をとることを勧めている。休養をとったあと、再び〈書きたい〉という気持ちになったなら、そのときにまた復活すればよい。ブログとは、不特定多数を楽しませるためではなく、1人のオーディエンス、つまり書き手自身に向けて書くべきであると主張している。 もう一つ忘れてならないこととして指摘されていたのが、「ブログに一旦書いたことは、あとから訂正がきかない」ということ。確かにブログツールの編集機能を使えばあとから修正することはできる。しかし、修正するまでの間にサーチロボットにキャッシュされてしまえば編集前のテキストがどこかに残ってしまうし、第一、書いた内容を、あとから事情が変わったからといって、その履歴を残すことなく簡単に修正したり、削除して最初からなかったことのようにできてしまうようでは、媒体としての健全性に欠けるではないか。ブログに一旦書いた内容を修正するときは、リライトしたり削除したりするのではなく、追記という形で補足するのが正しい使い方である、というのである。これは独りブログに限らず、ウェブサイト全般にいえることなのだが、ひとたび発言するからにはその内容には最後まで責任をもつべきである、という著者の主張は、首肯せざるを得ないものがあった。 また、この本には、ブログに書くにあたっての注意も書かれている。特に仕事をしている人や、職探しをしようとする人は、一時の感情で、汚い言葉を使ったり侮辱的な表現で他者を罵るようなエントリを書かないことだ。その時は気が済んでも、将来、その文章が人事担当者の目に留まり、人間性を評価されて不利益を受けることも考えられるからだ。現に、Googleやデルタ航空では、社員が自分の書いたブログがもとで解雇されることも起こっている。 それ以外にも、自分が過去に書いた内容のために、重大な損失をこうむることもある。たとえば、ライブドアの堀江社長の態度が気に入らないという人が、「ホリエモン氏ね」などとブログに書いたとする。あとで、その人の勤める会社がライブドアと協業する案件が持ち上がったとき、「弊社の人間に『氏ね』などと言っている社員がいる御社とは、一緒に仕事できませんね」なんて言われて、大型案件を失注してしまうこともあるかもしれない。そうなったとき、「ホリエモン氏ね」と書いた人は、責任が取れるのか。 ものを書くということは、そこまで責任を負うということなのである。 かくいう僕も、このブログを書くときは、いろいろ気を遣っているつもりだ。僕自身、ブログを書くときに心がけていることは、以下の3点だ。 (1) 読んでいる人の身になって 読む人が不快にならないよう表現に気を遣うことはもちろんだが、内輪ウケ的な内容にならないよう、状況の詳細な説明を加えて、初めて読む方や内部事情を知らない第三者の方でもフラストレーションを感じずに読み進められるように心がけている。 (2) 会社や仕事の出来事については書かない 最近、会社ではセキュリティに関する意識が高まってきているということもあるので、勤務先の情報はもちろん、業務内容の詳細についても、機密事項に触れる可能性もあるし、ニュースリリースに出ているもの以外は、書かないようにしている。 あんまり仕事関係のテクニカルな内容のネタだと喜んで突っ込んでくる人が周りにいっぱいいるから、というのもあるけど(爆) よっぽどおもしろいネタがあったら書くかもしれないが。 (3) 雑誌のコラムを連載しているつもりで つまらない内容のコラムを書いているコラムニストは、即仕事を打ち切られ、そのうち干されてしまう。僕は決してプロのライターではないが、公の場に出す文章に、プロもアマチュアもないと思っている。一つのネタを取り上げるにしても、商業作家のコラムにもひけをとらないレベルにまで料理できれば嬉しい。これはなかなかできていないが……。 無名の個人でも自分の意見を堂々と表明できるのがインターネットの大きな利点なのだが、言うまでもなく、自分の意見を出すからには、それが及ぼす結果についても、自分で責任を負わなければならない。それができない人は、お手軽にブログなど作るべきではないのである。 最後に、ブログ女王・眞鍋かをりさんの言葉を引用したい。 読んだ人が傷ついたりしないように、とか、読む人のことを必ず意識して書いています。それは読まれるために必要なこと。"読まれるブログ"と"読まれないブログ"の差が出てくるのは、そういうところに理由があるのだと思います。 【関連サイト】 「オタ」「きもい」──スタッフのブログ発言、企業を巻き込む騒動に EFF、ブログでクビにならないためのガイドラインを発表(CNET Japan) コミケでhotdogを売ったホクロが客をオタと呼びキモイとblogにかいた トリンプ Technoratiタグ: 雑感 | ブログ | きんもーっ☆ | トリンプ事件 |

  • 第132回 芥川賞

    今年の芥川賞は、阿部和重さん(36)の「グランド・フィナーレ」に決定。去年は若い女の子2人受賞で世間を沸かせたが、今年は特に奇をてらうでもなく順当な選考だったようだ。 幼女への偏愛から家族も仕事も失った男が故郷で更生を目指す内容とのこと。奈良の女児誘拐殺人事件が身近で起こったなかだけに、同時代性を感じさせられそうだ。 阿部氏は94年以来、“4度目の正直”で受賞した模様。男性最年少候補の白岩玄氏(21)の「野ブタ。をプロデュース」との決選投票の末に競り勝ったという。 ちなみに直木賞のほうは角田光代さん(37)の「対岸の彼女」。

  • 衛生兵を呼べ

    「蹴りたい背中」「蛇にピアス」に始まり「電車男」で終わった2004年の文芸界、という印象であるが、この年末をしめくくる「電車男」は、ただの純愛ストーリーというだけではなく、それがインターネット(2ちゃんねる)を通じて行われ、2ちゃんねるでのやりとりがそのまま本になったという点で異色であり、香港でも新聞の記事になるほどだ。 (この先ネタバレあり注意) 「電車男」は、2ちゃんねるの「独身男性」というカテゴリーに属する掲示板(独身男性板)上に、ある男性が自らの体験した出来事を投稿したことが発端となった。ある日、酔っ払いのオヤジに絡まれていた女性たちをたまたま助けた「電車男」は、被害に遭っていた女性たちのうちの、ある若い女性と知り合いになる。酔っ払いを引き渡した警察で当事者全員の連絡先を訊かれた際に「電車男」の住所を知ったその女性から、お礼のしるしに宅配便でエルメスのティーカップセットを贈られる。その「エルメス」女性の律儀さと大人の魅力にすっかり参ってしまった「電車男」は、なんとかしてその女性にお礼の電話をして、できればその女性を食事に誘おうとするが、いかんせん自称「ルックス秋葉系、年齢=彼女いない歴、童t(ry」の彼のこと、これまで女性とマトモに会話すらしたことがなく、心臓バックンバックンになって電話のダイヤルを回すことすらできない。 そこで、彼は2ちゃんねるの独身男性板に助けを求めた。「とにかく今日電話しろ」「今日かけないとずるずると先延ばしになって一生接点がなくなる」等と掲示板の住人たちに励まされ、勇気をふりしぼって、「エルメス」嬢に電話する。結果は好印象。何度か電話を重ねるうちに、彼女と食事の約束を取り付けることに成功した。 しかし、これまで女性を食事に誘ったことのない電車男は、果たして彼女をどこに誘っていいかすらわからない。彼は再び独身男性板の仲間たちに助けを求める。 「めしどこか たのむ」 掲示板の住人たちは、初デートにふさわしいレストラン、テーブルマナー、話題、そして髪型、服装のコーディネートに至るまで、その場に混じっていた女性住人たちも加わって「指南」する。その努力の甲斐あってか、電車男はエルメスを食事に誘い、好印象を得ることに成功する。 そのあとは順調に関係が進展していき、電車男は最初の頃のオドオドした態度はどこへやら、毎日のように"戦果"を独身男性板に書き込んでくるようになった。彼の成功ぶりが半分ねたましくもある独身の住人たちは、まるで敵機の襲来のように"攻撃"しにやってくる電車男に翻弄されつつも、それでも彼のことを応援し続ける。 そして初めての出会いから約2ヶ月後、いよいよ彼にとって人生の岐路を分ける決死の場面がやってきた。 彼女に自分の気持ちを告白する時である。告白の日を前にして足をすくめる電車男を叱咤する住人たち。そしてついに、意を決して彼はエルメスのもとへ向かう……。 この本は、2ちゃんねる特有の用語や符牒がそのまま使われているので、2ちゃんねるになじみがないと読みづらいかもしれないが、怒涛のように進んでいく展開に思わず引き込まれていく。そして、いよいよ感動のクライマックスを迎える。 見事本懐を遂げ、一躍「ネ申」となったこの電車男。だが、彼のサクセスストーリーを一番喜んでいるのは、掲示板の住人たちだったに違いない。女性と手も握ったことすらない、さえない秋葉系エロ同人ヲタだった電車男を、みんなの力でネ申に引き上げることができた喜びもさることながら、彼とそう立場の変わらない独身男性板住人たちにも、あきらめずにぶつかっていけば道が開けることもあるという意味で、大きく希望を与える結果であるからだ。 電車男は、応援してくれた他の独身男性にお礼とともに次のようなメッセージを残している。 アドバイスか…なんだろう? 色んな勇気を持つことかな あと誰かに相談するとか ヲタであっても、いつどこにチャンスが転がっているかわからない。絶対にあきらめないことの大切さを、この本は教えてくれる。某劇団の言葉を借りるならば、「Never Say Never」だ。 2ちゃんねるは、匿名掲示板としての性質上、特に負の側面が大きく取りざたされがちで、とかく悪者扱いされやすい。しかし、名もなき一般大衆の力で、物事を大きく動かすこともできるのだということを、この一件は感じさせてくれる。 まさに、Power to the Peopleなのである。 Technoratiタグ: 本 | 電車男 | 2ch |

  • 真夏の夜の恒例らいぶ

    このようなタイトルのメールが僕のもとに届いた。送り主は小山祥子さん。先日のエントリで紹介した、歴史小説家・瑞納みほ先生のアシスタント、通称「ねえや」である。 瑞納みほ先生とねえやのお二人とは、実に不思議なご縁で知り合ったのである。僕がいつものように会社の同僚と呑んでいた帰り、銀座駅から丸ノ内線に乗ろうと階段を下りていたところ、階段の手すりのところに、飲み過ぎて自分で歩けなくなり3人がかりで階段を抱え下ろされていた女性がいるのを見かけた。銀座という土地柄、ホステスさんか誰かが飲み過ぎたのだろう、3人もついているからよもや僕の出る幕はないなと思ってスルーしようと思ったのだが、どうにも気になったので、その人たちがホームに下りてくるのを見計らって、「大丈夫ですか?」と声をかけてみた。 思いがけないところから男手が現れこれ幸いにとばかり、介抱していたうちの2人は「じゃ、あとお願いします」と言うなりその場から離れ、改札を出て行ってしまった。あとに残った着物姿の女性と僕の2人で、彼女の面倒を見ることになった。 お二人は町田まで行くとのこと。僕は丸ノ内線で池袋まで行くのだが、終電までは少し間があったので、とりあえず大手町まで乗せて行き、そこで降りて半蔵門線のホームに下ろし、中央林間方面行きの電車に乗せるところまで一緒にいることにした。 大手町で、着物の女性と2人で酔い潰れた女性の両脇をかかえながら長いエスカレーターを降りて半蔵門線のホームへ。酔い潰れた女性は僕のほうを見るなり、「まあ、なんでこんなにハンサムで素敵な男性が一緒にいらっしゃるの?」などと嬌声をあげる。既に人の美醜の区別などつかなくなってしまっている模様。 「何をおっしゃってるんですか。さあ行きましょう」と言いつつ二の腕を支えて引っ張っていったのだが、内心まんざらでもなく(バカ)、こちらも酔っていたことも手伝ってすっかり舞い上がってしまい、半蔵門線のホームでその女性を柱の脇に寝かせたあと、着物の女性のほうに名刺などお渡ししてしまった。 この着物の女性が「姫」こと瑞納みほ先生、潰れていたほうが「ねえや」。降ってわいたような突然の出会い方だった。 さて、ねえやから頂いたメールは、7月31日に神楽坂のライブハウスで開かれるライブのお誘いだった。「わが姫、うるわしの瑞納みほ女史をえすこおとしてくだされば」とのこと。「えすこおと」はともかく、めったに出会うことなどない文芸方面の方とお近づきになれるとあっては、断る理由がない。二つ返事でOKした。 当日、待ち合わせ場所に行くと、金茶の大島紬に身を包んだ「姫」が待っていた。2人で会場へ向かう。 入口に入ると、受付の女性が「どのようなご関係の方でしょうか?」と訝しげに聞いてくる。どう答えようか逡巡していると、横から姫が「『ネコネコ天使』の関係です」とフォローしてくれた。「ネコネコ天使」とは、姫やねえやが活動している、猫の里親希望者に猫を斡旋するボランティア団体である。実は今回のライブは、その「ネコ天」の会長のKunie女史がピアノを弾くことになっているのだ。 会場には、既にねえやが来ていた。その横に男性が座っていらっしゃったので、名刺を交換する。とある会社の代表取締役の肩書だった。「ワンコ」だ「ニャンコ」だという話をしていたので、てっきりネコネコ天使のスタッフの方かと思っていたが、後から聞き及んだところによると、この男性がいわゆる「王子様(→ねえやの彼氏)」とのこと。姫が言うには、ねえやに一目惚れして、付き合うようになったのだとか。泰然自若、実業家としての年輪を感じさせる。僕のようにちょっと女性にお世辞を言われたくらいでヘラヘラ喜んでいる若造とは、役者が違いすぎる。この人なら誰に何を言われようが彼女のことを支えてあげられるだろうと思える人、という印象である。 テーブルの奥の席、向かって右から王子様、ねえや、姫、僕の順に座る。僕の向かいの席には、「ジョニィ」こと月夜見あやめ嬢。某大手ホテルの料亭に勤めているということで、いそいそと飲み物を作ったり、料理を取り分けたりしてくれている。 しばらくして、「妹」こと、おくむらきょうこ嬢が来る。某ビルの警備のお仕事と聞き及んでいるのだが、小柄で普通に可愛い女の子。 皆で鹿児島の麦焼酎「神の河」をいただく。フルーティでなかなか旨い。 ねえやはテーブルのメンバーや近くにいる人たちと屈託のない会話に興じていた。いろいろと渦中の人のようだが、積極的にリーダーシップを執って動く人は、敵も多いのかもしれない。「ねえやは思い立ったらとにかく突っ走る人ですから」と姫。確かにイベントを企画したり、運営したり、先頭を切って積極的にやるぐらいの人だから、個性が強い人なのだろう。合う人と合わない人が分かれるかもしれない。しかし彼女のようなタイプの人は、ウチの会社にいくらでもいる(そして、そういう人がどんどん偉くなっていくのだ)。少なくとも、彼女の積極性、行動力、バイタリティ、自己アピール力に関しては、僕も是非爪の垢を煎じて飲みたいくらいである。 僕は隣に座っていた姫といろいろとお話をした。もともと「物書き」というものに憧れがあった僕なので、作家の仕事のこと、本のことなどで話を弾ませた。師匠の若桜木虔氏の弟子としてこれまで活動してきたが、今後は独立してプロの作家としてやっていきたいとのこと。師匠との複雑な事情や、今後書きたいテーマの話など、クリティカルな話なのでここでは書けないが、いろいろと裏話を含めて聞かせてくれた。 「2chとかでいろいろと言われているのは知っています。だけど、この世界、『言われてナンボ』ですからね……」 プロとして著作を世に出す以上、みんながみんなマンセーしてくれるわけではない。ときには厳しい批判にさらされることもあるだろうし、同業者から理不尽に叩かれることもあるだろう。作家というのも辛い商売のようである。 さてライブでは、Kunieさんのバックグラウンドでのピアノ演奏に乗って、シンガーさんが入れ替わり立ち代り現れて歌っている。若い女性から学生時代反戦ソングで鳴らしたような人まで、さまざまな人がそれぞれの想いを歌にして披露していた。 歌がひと段落すると、Kunieさんとねえやがマイクを持って出てきて、「ネコ天」の活動についてスピーチを始めた。同時に妹が会場のお客にビラを配っていった。先日夜逃げの家に放置されていたニャンコたちの里親を募るビラである。そして、スピーチが終わると、お店の人が籐製の小さなバスケットを会場の端のテーブルに渡し、「ネコ天の活動を支援するための募金にご協力お願いします。もちろん強制じゃありません。皆様のお気持ちで結構です」と言って、バスケットに善意のお金を入れて隣に回すように頼んだ。どちらかというと動物が苦手なほうな僕としては、このように日々ネコのレスキューや里親探しに活動する人たちは、ただただ偉いと思うほかない。僕にできることはお金の面のささやかな協力ぐらいしかないので、自分の財布から小銭を全部空けて、それを寄付した。 スピーチが終わると、ねえやは「これから仕事がある」(里親候補が決まったのでその交渉か?)ということで、王子様と妹を連れて店を出て行った。姫とあやめ嬢と僕の3人は残ってしばらく「神の河」を注しつ注されつしていたが、そのうちにあやめ嬢が「カラオケに行きたい」と言い出したので、僕ら3人は途中で席を起ち、お店の人に丁重にご挨拶して店を失礼した。 近所のカラオケボックスに入り、1時間ほど籠る。あやめ嬢はサイトに「鬱で悪いか!」という毒舌日記を展開して物議を醸しているみたいだが、実際に会ってみると毒どころか、ごく普通のおとなしめの女の子という印象。たぶん、オモテでは「良い子」をずっと通してきてるんじゃないかなあ。ネットで毒を吐く人は、そういうタイプが多かったりするのだ。そうやって、自分の中にかなりストレスを溜め込んでいるのか、カラオケではそれを吐き出すかのようにひたすら熱唱していたのが印象的だった。 カラオケを終えると、もう12時前。あやめ嬢はかなり飲んでいて、自力で歩けなくなってしまっていた。姫と僕とで両脇を支える。「前回に続いて、今日もこんなのでごめんなさいね」と姫が謝ってきたが、「いえいえ、別に気にしないでください」と言って一緒に飯田橋まで送って行った。 彼女たち2人は東西線、僕は有楽町線ということで、飯田橋の改札で別れ、家路についた。 ふと気が付くと、この日の払いを済ませていないことに気が付いた。 次回、精算することにしよう。 会ってもらえればの話だが……(汗)。