品川・六行会ホールで劇団Nom’bの公演を観る。
詳細はあとで書くことにする。
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長崎殺人事件リアル
文字だけによる表現の世界で、自分の真意を相手に正確に伝えるためには、相当の文章力を必要とする。書き手に文章力があったとしても、読み手に読解力が不足していたり、あるいは書き手の意図を歪めて解釈したりすると、書き手の真意が正しく伝わらず、行き違いが生じる。一旦行き違いが生じてしまうと、その行き違いを修正するためにさらに百万言を費やさねばならなくなり、そのための文章力がさらに要求されるのである。
面と向かってはなかなか言えないことでも、簡単に書けてしまうのがネットの世界の最大のメリットでもある。しかし、忘れてはならないのが、文章を書くということは、相当難しいことだということだ。
その場の勢いで、ついつい激しい表現や配慮を欠いた言い方をしてしまう。そしてそれを推敲もせずにアップロードする。そして、それがフレームへと発展することになる。ましてや短時間でアップロードを要求されるチャットでは、なおさらだ。大人でもフレームになると分別を欠いた喧嘩になってしまって収拾がつかなくなってしまうのだから、問題解決能力の未熟な小学生同士の場合、極端な解を選択するということは、十分起こり得ることである。
ネットを使うということは、難しいことなのだ。
小学校の仲良し女の子2人組。それが、ネットの掲示板やチャットでのトラブルによって、片方の女の子が相手をカッターナイフで切りつけて殺害する事件が起きた。2人はそれぞれ自分のHPを持っていて、被害者の女の子のHPに、加害者の性格などについて悪く書かれたらしい。またリアル世界でも、被害者に自分の体重のことを茶化されたという。特にこのぐらいの年頃の女の子はそういったことに敏感であることに加え、仲良し組というものは一旦仲がこじれると憎さ百倍になるということもあって、加害者は被害者のその態度に立腹し、殺意を覚えたらしい。
被害者のほうは亡くなってしまったので加害者側の言い分しかわからないが、これだけを信じるなら、被害者のほうにも落ち度がないわけではない。が、それにしても、痛ましい事件であることには変わりはない。
さて、加害者のほうは殺害行為を実行するにあたって、TBSの「月曜ミステリー劇場」の手口を参考にしたらしい。ということは、今流行りのT B S は 殺 人 幇 助 と い う こ と か (wねえ、京都府警さん(爆)。
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「夜伽草紙」移転完了
遊機のホームページとブログをホストするサーバをロリポップからアメリカのDreamHostへ移転するプロジェクトがようやっと完了し、「夜伽草紙」もDreamHostのyuki.la上に移すことが出来た。
今まで「夜伽草紙」の作成用ブログツールとしてMovable Type(MT) 2.661を使っていたのだが、そのMTが先月3.0にバージョンアップされ、それとともにライセンス体系が大幅に変更された。2.661までは、個人が非商用目的で利用する場合には無料(寄付は歓迎されていたが)で、商用利用時にのみ有料でライセンスを得ることになっていた。3.0でも個人非商用利用は無料であることは変わらないが、その際は無料ライセンス版をダウンロードしなければならない。そして、この無料ライセンス版というのは、Authorが1人のみ、ブログは3個までという制限がついている。
ブログはこの1個きりしかないので問題ないのだが、Authorが1人だけしか登録できないというのが少し引っかかった。書くときはYukiという名前しか使っていないのでAuthorが1人でも別にかまわないのだが、moblogを使って携帯から投稿する場合にはもう1つアカウントが必要になってくるので、moblogを利用する必要が出てきたときに、Author数の制限が邪魔になってくる懸念があった。
無料ライセンス版はこのように制約がきつく、さりとて有料ライセンス版にしようとするとライセンス料が約US$60以上もして、個人で使うには決して安い値段ではない。このような不便を強いられるぐらいなら今までのMT2.661で十分なのだが、MTのサイトからはMT2.661のパッケージはキレイに消えていて、ダウンロードできなくなってしまっていた。
そのため、このたびのサーバ移転を機に、MT以外のブログツールを検討することにした。MT以外のツールにはbloxsomとかNucleusとかWordPressとか華式などいろいろあるが、Webなどで調べてみた結果、アメリカのサーバでも使え(RubyやPythonなど海外のサーバにインストールされてなさそうなのが必須のものは却下)、日本語化ツールや日本語の情報に恵まれており、日本人にとってとっつきやすそうなNucleusとWordPressの2つにしぼってみた。
いずれもPHPベースの動的生成型ツールで、MySQLを使ってデータベースを構築するものである。GNUのポリシーに則って作られているので、その利用は完全に無料だ。インストールもそれほど苦もなく、動作自体も速いのだが、なにしろ今までがMTを使ったブログしか知らないものだから、他のブログツールだとどうしても使い勝手が違い、違和感を感じてしまう。それに、動的生成型のブログはアクセスするたびにいちいちデータベースを呼び出してHTMLページをその場で作成するので、再構築の手間が省ける反面、サーバの調子が悪いとちゃんとHTMLを吐き出してくれなかったりする。
また、NucleusはMTからのインポートツールがないので、過去の資産をインポートするのが困難だという問題があり、そしてWordPressは日本語がEUC-JPベースになっていて、UTF-8で運用しようとすると少しやっかいだという欠点がある。
ということで、やっぱりMTを引き続き使うことにした。
MT3.0は少しだけGUIが変わっているのだが、違和感を感じるほどではない。ただ、再構築などの処理速度がこころもち重めになっているのは、慣れるまでストレスになるかもしれない。
今使っているのは日本語版の3.0beta版で、「一般にアクセス可能なサイトには使わないこと」というライセンス条件がある。つまりこのブログは思いっきりライセンス違反なのだが、まあ正式版が出るまでのつなぎということで、あまり大っぴらに宣伝せずひっそりと運営するということで大目に見てもらうことにしよう。 -
VoIP(インターネット電話)??
TV東京「モーニングサテライト」で、出演しているニュースキャスターや、ファイナンシャルプランナーだったか何かの人が
「VoIPつまりインターネット電話は……」
などと紹介していたが、両者は包含関係にあるものであって、決して同じものではない。「VoIP」(IPプロトコルを喋る音声伝送技術)を使ったソリューションの1つ(伝送路として公衆のインターネットを使ったもの)が「インターネット電話」だ。
通信キャリアの多くは、インターネット電話ではなく、独立したIPネットワーク上を伝送する電話サービスを提供している。
実際のところはそうなのだが、世間一般の認識というのは、冒頭のキャスター程度のものなのだろう。 -
au by KDDI
ezWebユーザーが周りに増えてきたので、僕もau端末を買うことにし、近所のショップに足を運んだ。
まずCDMA 1XとCDMA 1X WINとがあるのだが、WINはエリア的にもしょぼいし国際ローミングにも非対応だし、今のところFOMA以下の使い勝手みたいなのでさくっと却下。
とりあえずメールが中心の使い方になると思うので、コミコミOneライト+年割(基本料毎月2980円/無料通話分600円)+パケット割(基本料毎月1200円、6月からは1000円)のプランで申し込んだ。
機種なんだが、最新機種のA5505SAはボタンがヘコヘコして押しにくかった。ボタンの押しやすさでいえばA5504TとA5405SAが候補に挙がったが、A5504Tは高い上にあまり必要とは思えない機能が満載されていたので、端末価格がそのショップで2000円だったA5405SAに決定。
FOMA端末より手になじんで使いやすいかもしれない。しばらく遊んでみよう。 -
遊機のサイト移転完了
今週は、DreamHost社のホスティングサービスに申し込んだあと、独自ドメイン「yuki.la」を取得し、サイトの移転が完了した。「yuki.fm」というのも心惹かれるものがあったのだが、fmドメインは少し高かったので、割安のlaドメインにした。「LA」って、ロサンゼルスみたいでかっこいいしね。ホントはラオスの国名ドメインなんだけど……
ということで、
Yuki.LAホームページ
「夜伽草紙」も近いうちに引越ししたいのだが、Movable Typeをどちらのバージョンを使うかで悩み中。ここのコンテンツや、トラックバック項目も引き継ぎたいしね。 -
裁判員法案
以前、東京地裁に裁判の傍聴に行ったことがある。特に目的があったわけではなく、ただなんとなく法廷というものを見てみたかっただけだ。
傷害致死事件の公判だった。被告人は2人で、いかにも人ぐらい殺しそうな人相をしたオッサン。被害者は元ホームレスで、被告人らに拾われて世話をされていたらしい。それで、被害者が酒を飲んで被告人に反抗的な態度を取ったとかで逆上した被告人が、被害者を凶器で殴り殺したとして起訴されていた。
被告人質問であくまでシラを切り通す被告人と、それを追及する検察官の丁々発止のやりとりがなかなか面白かったのだが、傍聴人の中に、20歳ぐらいの学生ふうの女の子数人のグループがいた。おそらく社会見学か何かで法廷の傍聴に来ているのだろうが、初めての法廷に興奮気味で、開廷前などは携帯のカメラで廷内の写真を撮ったりして大はしゃぎだった。
ところが、殴られた被害者の死体写真を被告人に見せながら殺害状況を追及する段に及んで、件のミーハー女子学生たちは恐れをなしたのか、そそくさと退廷していった。他殺体の写真は、さすがに一般人にとっては刺激が強すぎたようだ。
しかし、一般人であっても、これからはこういう写真を見なければならなくなるのだ。
裁判の審理に一般国民が参加する裁判員法案が今日、国会で可決・成立した。これによると、殺人事件や故意によって人を死亡させてしまった事件の裁判では、一般国民から選ばれた裁判員を交えて審理を行うことになる。裁判員は選挙人名簿から無作為に抽出される。ただし学生や未成年者、中学未卒業者、裁判官、法曹関係者、弁理士、司法書士、警察官、自衛官、国会議員、自治体首長、国の行政機関の幹部職員、70歳以上の高齢者、心身の故障で職務に支障をきたす人などは、裁判員から除外される。
こうして抽出された裁判員候補者は、裁判官と面接し、裁判員として選任されるかどうかが決められる。ここで、偏った思想を持った人や、不公平な裁判をしそうな人は、除外される。また、育児・介護に携わっている人や、思想・信条的に人を裁きたくないと思っている人などは、申し出て認められれば、裁判員を辞退できる。
選任されると、その事件の審理に参加することになる。法廷への出廷、評議、量刑の設定までを、裁判官と共同して行うことになる。1日出廷するごとに、日当(8000円の予定)が支払われる。
裁判員の業務は「国民の義務」とされ、選任されると拒絶することはできない。正当な理由なく拒絶すると、10万円以下の過料に処せられる。
また裁判員が審理中、審理後に評議内容を第三者に漏らせば、6ヶ月以下の懲役または50万円以下の罰金に処せられる。
このような制度ができる背景としては、裁判官の判決がしばしば国民意識とかけ離れたトンデモ判決が多発しているということがあって、裁判員制度によって裁判の審理に国民の目を入れることによって、より国民に納得できる判決をめざそうというのが趣旨らしい。言ってみれば、医療事故が多発しているから、医師の診断に素人の意見を加えようとしているようなものである。
誰がこんなお馬鹿な制度を言い出したのか知らないが、まったくもって迷惑としか言いようがない。一体こんなことをして誰のメリットになるのかがいまいち見えてこない。日弁連や一部市民団体は「裁判に国民の良識が反映される画期的な制度だ」と絶賛しているようだが、本当にそう思っているのだとしたら、実にオメデタイとしか言いようがない。
だいたい、国民がみんな良識を持っているとでも思っているのだろうか。公立中学校のクラスメートの編成を思い出してもらえればわかるだろうが、世の中には高い教養を備えた者ばかりがいるわけではなく、教養どころか首相の名前すらろくに知らない人や、常識を知らない馬鹿、いわゆる「ドキュン」と呼ばれる層の人間もいる。別に見下すわけではないが、頭が悪い、つまり物事を論理的に考えることのできない人というのは、確実にいるのである。そういう人も引っ張ってきて、同じように審理に加わらせるつもりだろうか。
ひとたび裁判員に選任されれば、よほどのことがない限り辞退できない。「思想・信条により人を裁きたくない人」は裁判員を辞退できるとされているが、これを野放図に認めてしまうと裁判員のなり手がなくなってしまうから、相当厳格な基準を設けることになるだろう。ただ「イヤだから」という理由だけでは、到底認めてもらえそうにない。
仕事をしている人は、仕事を休んで出廷しなければならない。サラリーマンなら、会社を休むということもできるし、会社はそれによって不利益な取り扱いをしてはならないことになっているが、取引先のお客様にそれで理解してもらえるのか。大事な商談の日に、裁判に行かされて商談に出られなかったために、破談になってしまうことはないのか。またサラリーマンではなく自営業者だったら、仕事ができなくなることによる損害は甚大なものとなろう。
有名歌手が、そのコンサートの日に裁判に当たってしまったら、コンサートに穴を開けることによる各方面の損害は億単位ではすまなくなるだろう。そのような事情なら裁判員の辞退が認められるかもしれないが、これが有名人ではなく、たとえば小劇団の公演とか、ちょっとしたバンドのライブなどの場合なら、ひょっとしたら辞退が認められないかもしれない。たとえ小規模の劇団の公演とはいえ、もし主役が抜けてしまうことになったら、いろんな方面に相当の迷惑をかけることになるだろう。
選挙にもろくに行かないどころか、年金すら払わない人も多い中で、裁判員として徴用されたからといって、仕事を休んでまで好きこのんで裁判所に出てくる人が、果たしてどれだけいるだろうか。仮に全員出てきたとしても、イヤイヤ連れ出された烏合の衆に、まともな審理などできるのか。
仕事を休んで呼ばれた人は、仕事のことで気もそぞろになり、審理に集中できないのではないか。逆に無職の人などが、日当欲しさから必要以上に審理を引き伸ばしたりすることはないか。
新聞記事によると、妻が夫を殺した殺人事件(被告は容疑を認めている)のような単純な事件の審理でさえ、証拠資料が400ページを超えるそうだ。これが否認事件や、複数の事件の併合罪の審理などになると、書証だけで数メートルを超えることも珍しくない。クレジットカードの会員規約もろくに読まない人がほとんどなのに、これだけの証拠書類をくまなく読み込み、精査し、事実認定することが出来るのか。
めんどくさいから、証拠書類などろくに読まないで新聞や週刊誌や2chを適当に拾い読みして判断する、ということになりはしないか。
裁判員の身の安全の確保も重要な課題だ。裁判員に対する脅迫や圧力は処罰の対象とするそうだが、それが果たしてどこまで運用上徹底されるか不明確である。ヤクザが人を脅すときは、えてして法律スレスレのところで合法的な手段で脅してくるものである。資金力も武装力も巨大な組織に付け狙われて、一個人が身を守ることができるのか。警察が生涯、護衛でもつけて守ってくれるとでも言うのだろうか。
審理が終わってだいぶたってから、裁判員だった者が逆恨みに遭うことはないのか。被告側からの圧力に対しては相当厳しく臨むだろうが、被害者だって無辜の市民ばかりとは限らない。被害者からの圧力に対しても、対応策を考えているのだろうか。
いかに同情の余地のない被告人であっても、自らの手で死刑を言い渡すのは、相当の精神的負担となるだろう。「人殺し」などと心無い中傷を受けるかもしれないし、その刑が執行されてしまったら、「自分が殺した」などと悩むことにもなりかねない。精神的ケアの体制は整っているのか。
またマスコミの論調と異なった判決になった場合、特に週刊誌などにその裁判員が叩かれたりすることにもなりかねない。市井の一市民に過ぎない裁判員がどこまで耐えられるか。
また、裁かれるほうにとっても、知らないおばさんとか下品そうなオヤジに審判されて出された判決に、納得できるのか。
ざっと挙げただけでもこれだけの問題点・疑問点が浮かび上がるのに、それらについてマスコミは問題意識を持たないどころか、取り上げすらしないというのも、不思議な話である。
何より恐ろしいのは、このような、リスクばかりで何のメリットもない制度を、ほとんど何も議論もなくすんなり通してしまった国会である。それを無批判にスルーさせたマスコミも、同じように恐ろしい。
裁判員制度の運用開始は5年後である。この制度は何のためのもので、どんなメリットとなるのか、新聞やTV、「anan」や「PLAYBOY」などの雑誌を使って、納得できるまで徹底的に説明すべきだ。それができないのなら、このような馬鹿げた制度は即刻、中止してもらいたい。 -
Movable Type 3.0ベータ版
SixApart Japan
5月19日にMovable Type3.0の日本語ベータ版がリリースされた。ただしライセンス条件としては、「一般にアクセスできるサイトでは使わないこと」
意味ないじゃ~ん;