Category: Yuki’s Diary 日記

  • こういうことがあると

    本当に、人の生き死にというのは、運命的なものでしかないと思う。

    今日は仏滅・・・列車事故(2000年3月8日)
    大都会で生きる(2000年3月9日)

    上のエントリにも書いたことがあるが、人間、いつなんどき生涯を閉じるかなど、わからないものだということを、あらためて痛感した。どこにいても、常に死と隣り合わせに生きている、そんな当たり前のことを、あらためて思い起こさせられた、今回の事故だった。

    明日この世を去ることになったとしても悔いのないように、1日1日、精一杯生きること、やりたいことは、後まわしにせず、やれるうちにやってしまうことだと、思うのである。

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  • JRクオリティ2~尼崎福知山線脱線事故~

    これはアムトラックの話でも、上海の鉄道の話でも、インドの列車の話でもない。世界一安全と言われている日本のJRの事故である。

    4月25日朝、尼崎のJR福知山線(宝塚線)上り快速電車で発生した脱線・マンション激突事故は、今日現在で死者70名以上を出すという、生まれてこのかた見たこともなかった大惨事となった。実家の近くの身近な路線で起こった事故だけに、僕にとって非常に関心が強く、ずっとネットのニュースに首ったけだった。もちろん世界的にも注目されるニュースで、どこの国でも主要紙ではトップニュース扱いになって報道されていた。

    たまたま仕事の都合でいつもより遅めの電車に乗ったために命を落としたサラリーマン、初めての海外旅行で関西空港へ向かう途中に奇禍に遭った25歳の女性、婚約者に会いに行こうとして亡くなった男性……その無念さには言葉もない。

    事故から1日経って、いろんなことがわかってきた。事故を起こした電車を運転していたのは23歳の若い運転士で、運転士としての乗務経験が11ヶ月だったという。11ヶ月というのが経験不足なのかどうかは知らないが、彼は過去にオーバーランなどで3度の処分歴があったのだそうだ。今回の事故の直前に、停車駅であるはずの伊丹駅で停車し損ねてオーバーランし、バックしてしまったためにダイヤが乱れてしまい、その遅れを取り戻すためにスピードを上げ過ぎ、制限時速70km/hだった事故現場のカーブを100km/h以上の速度で通過しようとしたともいわれる。

    そして、あろうことか、伊丹駅でのオーバーランが実際には40mにわたったにもかかわらず、運転士の要請で、車掌は列車指令に対し、オーバーランは8mだったと虚偽の報告をしたのだという。

    もちろんこのような嘘の報告が許されようはずはないが、こんなことをしなければいけなかったということから考えるに、たぶん、JR西日本は日頃から乗務員を減点法で評価して、いろんな面で圧力をかけてたのと違うかな。

    運行ダイヤは何よりも大事なもので、遅延させるということは絶対に許されないという空気が、社内にあったといわれる。一説によると、遅延を発生させると、あとで呼ばれて吊るし上げを食らい、ひどい場合には乗務停止となり研修センター送りになってしまうのだという。一事が万事で、ここの会社は、乗務員のちょっとしたミスを指摘してあげつらい、ペナルティを科す。それがため乗務員は萎縮してしまっていたのではないか。

    人間、鞭ばかり叩かれていると、次第に鞭を避ける方向へ向かうようになる。つまり、失敗を隠す方向に走るのだ。そのために、運転士はオーバーランによる遅延(という失敗)を少しでも帳消しにしようとして無理な回復運転をし、車掌は運転士の大きなミスを少しでも軽くするために嘘の報告をするようになってしまったのではないかという見方がある。

    時間に異常なまでに几帳面な日本人の性格もこれに拍車をかけたと思われる。数十分の遅れなど当たり前の欧米の鉄道に比べ、日本の鉄道は世界一正確で、少しでも遅れると乗客はこれを許さず、駅員にギャアギャア詰め寄る光景がみられたりする。東京近辺ではさすがにラッシュ時の数分の遅延ぐらいは大目に見られているが、他の路線では10秒単位のダイヤの乱れでも乗客は不安がり、鉄道会社に怒りをぶつけたりする。わずかな遅れも許さない、こうした日本人の時間への潔癖さ、ゆとりの希薄さが、現場を追い詰め、その歪みが今回の事故となって露呈したという見方もできる。

    阪神間の鉄道のスピード競争も、事故の誘発原因の一つだ。私鉄が並行して何本も走る阪神間では、私鉄より運賃の高いJRが競争に勝つためには、他社よりもスピードを出し、時間の速さで勝負するしかない。スピード戦略のおかげで阪神間のJR(特に新快速)の速さは他社の追随を許さないものとなっているが、そのために安全面が犠牲になっているのだとしたら、本末転倒だ。

    いずれにしても、真相がわかるのはもう少し先になりそうだ。今はただ、犠牲者の冥福と生存者の早期救出を祈りたい。

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    (more…)

  • オー爺さんのチェロ

    府中の森芸術劇場で、劇団DREAM☆COMPANYの旗揚げ公演「オー爺さんのチェロ」を観る。
    1992年、戦火にまみれたボスニアを舞台に、爆撃の犠牲となった22人の市民を追悼するために、サラエボ市内の通りで22日間にわたってチェロを弾き続けたチェロ奏者の実話をモデルとして、Jane Cutlerによって子供向けの絵本「The Cello of Mr. O」として書き下ろされ、ゴダイゴのボーカル(もう若い人は知らないかな……)をしていたタケカワユキヒデによって翻訳された「Oじいさんのチェロ」という絵本を、劇団DREAM☆COMPANYのプロデューサー・長澤千佳子さんの依頼によって、劇団A Musical Noteの三枝幹音さんが脚本、同じく山本伸幸さんが音楽、AMNの作品の多くで演出をしていた劇団東演の辰巳次郎さんが演出を担当し、ミュージカル仕立てに書き直したものである。
    長澤さんとは昨年6月の劇団Nom’bの公演の際に面識があり、そのプロデュースする初の公演ということで、観に行くことになった。僕はこの日はキャンプ座間の桜祭りに行っていて、その帰りに府中に立ち寄ったのだった。
    戦争で傷つき、今も戦火にさらされた町で、子供たちも同じように心が傷ついていた。子供たちは不安と恐怖におののきながら家の中で遊ぶ日々。主人公の少女タチアナもその一人。彼女の父親アーサーは戦争に行って戦っている。タチアナの家に住む世界的に有名な老音楽家、オー爺さんは、妻を亡くしたせいでひねくれた性格となり、日頃から子供たちに「オー!」と怒鳴り、辛くあたっていた。が、その地域に食糧を配給しているトラックを爆弾が破壊して多くの人々が亡くなり、生きる希望を失いかけたとき、オー爺さんはその向こう見ずな勇気で彼らを驚かせる。彼はチェロを持ち出し、敵の見ている前でチェロを町の人々に弾きはじめる。今まで彼に対してよい感情を持っていなかった町の人々は、その勇気に驚き、タチアナをはじめ町の子供は、その音色を聴くことによって心の傷が癒されていく。そのチェロもまた、爆弾によって壊される……。
    音楽によって、生きる喜びを再発見する、というのが主要なテーマのミュージカルである。
    戦争で戦っている兵士の迷彩服が、昼間に座間で見た米兵そのままだったので、思わず苦笑。昼のアーミーバンドの連中が1人ぐらい混じってたりして。
    スタッフがほとんどAMN関係者だったこともあり、まるでAMNの公演を観ているよう。AMN特有のまっすぐなストーリーがここでも展開されていた。キャストの演技については、旗揚げ公演ということもあって荒削りなところもまま見られたが、オー爺さんを演じた元N響のチェリスト・丹羽経彦さんのチェロの重厚感が圧巻だった。
    座間で買ってきたアメリカのお菓子を差し入れ。反戦演劇の場に軍のお祭りのお菓子を差し入れするのも微妙なところがあるのだが、まあ気にしない。僕のお気に入りのリグレーの「Big Red」という怪しいシナモン味のチューインガムを混ぜておいたら、三枝サンは
    「私Big Red大好きなんですよ……これベストヒット!」
    といたくお喜びだった。
    今日の14時からの部が千秋楽。
    【関連サイト】
    Jane Cutler "The Cello of Mr. O"
    日本語版「Oじいさんのチェロ」
    Oじいさんのチェロタケカワユキヒデ オフィシャルホームページから)
    Oじいさんのチェロ(大空へ羽ばたけ)
    ミュージカル「オー爺さんのチェロ」4月8日初演決定(★いぬのほねのお城 わが城の再建計画)

  • 亜米利加さんに逝ってきました in ZAMA

    昨日(4月9日)、神奈川の米軍座間キャンプで一般開放(桜祭り)があったので、見に行ってきた。
    小田急線の相武台前駅から徒歩10分ほどのところに座間キャンプがあり、10時半の開場を前に、入口では入場者が行列を作って待っていた。
    The entrance gate
    ようやく時間が来てゲートが開くと、来場者はゲートのチェックポイントで手荷物検査を受けたあと、晴れて中に入ることができる。手荷物検査といってもそれほど厳しくなく、カバンの中をさっとまさぐられるだけで、あっさりとパスする。弁当を入口で捨てさせられるなどというおバカなことはない。
    ゲートをくぐると、大通りがあり、そこにお祭り用の屋台が出ていた。日本の神社などでみられる典型的な屋台から、外国料理を出す屋台までさまざまだったが、いかんせん人が多く溜まるので身動きがとれない。僕はさっさとのぞくだけにして、奥を探検してみることにした。
    大通りを抜けると、「Shoppery」と書かれた建物に出る。文字通り、米兵向けに物を売っているところだ。入口にはすでに行列ができている。入って左手のところに、フライドチキンの「Popeye’s Chicken」、今は日本から撤退した「Burger King」、あとピザの「Anthony’s Pizza」が一般向けに営業しているということで、それ目当ての一般来場者が並んでいるのだ。右手には米兵用のPX(売店)があり、中をのぞくとアメリカのショッピングセンターの雰囲気そのままだったのだが、残念ながら入口に監視兵が立っていて、一般人は中に入ることができなかった。
    一般に米軍基地に入ることができるのは、軍人、軍属、軍関係者、または基地で働いている職員(彼らは正規のIDカードを持っており、スポンサーとも呼ばれる)のほかに、スポンサーに伴われた一般人に限られる。それ以外の人は、この日のような一般開放日に限って、中に入ることができるのだが、それでもこのようなショップなどは、入口で100%IDチェックをされていて、スポンサーがいないと一般人は中に入ることはできない。
    とりあえずさっさと腹ごしらえしようと思い、Burger Kingに並んでダブルチーズワッパーコンボとハーシーズのチョコレートケーキを買い、そばの芝生に腰を下ろして食べることにした。やはりアメリカらしく、ハンバーガーは大味で、ケーキはすごく甘かったが、ボリュームがあり、腹にしっかりたまる。日本でもOUTBACK STEAKHOUSEなどに行くとこのような味に出会えるのだが、いかんせん高い。7ドルちょっとでボリュームたっぷりの食事にありつけるこの国が、少しうらやましく感じた。
    (ホントはAnthony’sのピザのほう食べたかったんだけど、なんせ人がすごく並んでて……)
    食事を終え、キャンプ内を散歩することにした。横田基地の友好祭では、空港という性格上、一般人が立ち入れる場所がかなり制限されていて、少しつまらなかったが、座間はキャンプ全体が一般開放されていて、どこにでも行くことができる。
    Community Bank
    キャンプ内のコミュニティバンク(銀行)。銀行自体は土曜日なので閉まっていたが、ATMは使用可能(US$か日本円で引き出し可能)。僕の持っていたUBOCのATMカードもちゃんと受け付けた。
    このほかにも、郵便局、クリーニング店、図書館、写真屋、赤十字の事務所などがある。
    Commissary
    コミッサリー。食料品などが買えるようだ。中に入るにはスポンサーが必要らしく、店内をうろうろしていると見つかって追い出されてしまった。
    High school track
    ハイスクールの運動場。アメリカン・フットボール用のスコアボードがある。キャンプ内には幼稚園から大学までそろっていて、基地で働く人の子女の教育にも不自由しない。
    Fishing pond
    池。許可証をもらえば釣りができる。併設されていた公園では一般来場者の子供たちが遊ぶ姿がみられた。
    さらに奥に行くと、軍関係者の住宅とみられる地域に出た。建物は平屋で、屋根は日本風に瓦葺きでそれほど新しい建物ではなかったが、門前には星条旗が立てられ、めいめい庭があって子供用のおもちゃの乗り物が置いてあったり思い思いのガーデニングがされていたりした。個人の住宅なので写真は控える。
    その奥には、キャンプ専用のゴルフ場がある。その外周に沿って歩くとゆうに2~3キロはあろう。沿道の桜並木が美しい。
    Cherry trail
    空港の滑走路をもつ横田と違ってここはアップダウンがあり、散歩と言ってもなかなか疲れるものだ。喉が渇いたら、自販機でジュースを買うことができる。日本の自販機もあるが、アメリカのベンディングマシンもあり、1ドル紙幣とクォーターで毒々しい色のアメリカのジュースやソーダが買える。せっかくなので、家にお土産に持って帰る分も含め、多めに買っておいた。
    自販機といえば、お菓子も買うことができる。スナック類が1袋65セント、リグレーのチューインガム(5枚入り)が45セントで売っていた。
    屋台の種類が少なく食事に困ることを除けば、横田より面白いし、マターリとしていてイイかもしれない。あっという間に時間が過ぎてしまった。
    帰りに、府中で劇団DREAM☆COMPANYの公演を観るため、4時半にキャンプを出た。
    ※ちなみにキャンプ座間では、今年は8月13日にまた一般開放があるとのこと(盆踊り)。

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  • はなわ より 花輪

    かわずおとし
    阿佐ヶ谷アルシェで劇団かわずおとし第8回公演「深爪コンプリート」を観る。例によって劇団A Musical Noteの三枝幹音サンの舞台を見に行くということで。
    お笑いをウリにする劇団、ということで、まあそれなりに楽しませてもらいました。
    帰りは、阿佐ヶ谷の駅前のちょっと外れにある「大阪・鶴橋の味」と銘打つ怪しいホルモン焼き屋さんで独りホルモン焼きをつついて精をつけてきました。

  • 偽造カード被害に対する補償の流れ

    1月ごろに、スキミングとそれに対する日本の銀行の対応のあまりのお粗末さが騒がれ、このブログでも海外銀行への資産退避を勧めたこともあったけど、ようやく日本の銀行でも被害補償の対応が整備されようとしているようだ。

    偽造カード被害、「銀行補償」を原則に・全銀協
     大手銀行や地方銀行などが加盟する全国銀行協会(会長、西川善文三井住友銀行頭取)は18日、偽造キャッシュカード被害の補償条件を定めたカードの取引規定(約款)を4月中に変更する方針を固めた。被害者に落ち度がない限り原則として補償に応じ、落ち度があることの立証責任も銀行側にあると明記する。日本郵政公社なども追随することになりそうだ。
     銀行は預金者がキャッシュカードを使う際に負う責任の範囲を規定で定めている。全銀協はこの「ひな型」を作成しており、一部を改定してより補償に応じやすいようにする。
     全国の銀行は全銀協の動きに応じて順次規定を変更していく。全銀協に強制力はないため改定時期にばらつきが出る可能性もあるが、業界標準が明確になることで、新基準に基づいて救済が進む。過去の被害にも改定後の規定が適用される見通しで、被害者の救済が大幅に前進する。(日本経済新聞

    もう既に何行かでは独自の補償規定が整備され始めているらしい。僕がメインバンクにした新生銀行も、パワーフレックスキャッシュカード補償規定があってかなり手厚く補償されることになっている。
    なんだ、日本の銀行だってやればできるじゃん。あまりにも被害者(というか当事者になり得る人)が多くて、世間の圧力に押された形とはいえ、一歩前進だ。逆に海外の銀行に預金を退避させて同様の被害があっても、被害者が少ないから声を上げても世の中を動かす力にまでならず、「自己責任」とか言われてそのまま黙殺されたかもしれないな。

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  • 702NK フォント入れ替え

    僕が今持っている携帯の1つであるVodafoneのV702NKなのだが、日本語のシステムフォントが大きすぎて不恰好だという声がよく聞かれ、システムフォントの入れ替えをする人が多い。
    V702NKはSymbian OS上で動くスマートフォンでもあるので、ネット上に転がっているSymbian用のシステムフォントをPC経由でV702NKに転送することにより簡単に入れ替えることができる。具体的な方法はtkhs氏の覚書や津邑公暁氏のPalm.RogueLife.org、ぐらとらいだー氏の俯瞰風景。などに詳しく書かれているが、要するに、gdrファイルというフォント用のファイルをNokia PC Suiteを使って端末に転送することになる。
    702NKで使われているシステムフォントには2種類あり、大きいほうのシステムフォント(JapanPlain16.gdr)は、画面下部のナビゲーションや待受画面上部のオペレータ名、メニュー、メール本文などに用いられる。それより小さい文字(JapanPlain12.gdr)のほうは、メニュー画面のアイコン下部の文字などに使われている。ネットなどから入手したgdrファイルをJapanPlain16.gdrまたはJapanPlain12.gdrというファイル名にリネームして、Nokia Phone Browser上のC:(フォンメモリ)またはE:(外部メモリカード)ドライブの直下にSystem\Fontsというディレクトリを作ってその下に転送し、端末を再起動すれば、システムフォントが置き換わるしくみである。
    津邑氏のサイトには、M+フォントや東雲フォントなどの非常に美しいフォントのgdrファイルが既にいくつか公開されているので、それをダウンロードすればそのまま使うことができる。が、自分で好きなフォントを組み合わせてgdrファイルを自作することも可能だ。
    僕は、昨年シンガポールで買ったNokia電話機のシステムフォント(MacのChicagoみたいなフォント)がちょっと気に入っていたので、702NKもそんな感じのフォントにしてみたいという気持ちがあった。そういうわけで、702NKにChicagoフォント(またはChicagoライクなフォント)を入れることに挑戦したのである。
    まず、必要なものを用意する。
    Symbian用のフォントファイルはgdrファイルなのだが、このgdrファイルは、ライセンス上、誰でも勝手に公開するということはできない。ネット上に広く流布しているファイルは、Adobe社の規格であるbdfフォーマットのフォントファイルが多い。従って、bdfファイルからgdrファイルに変換するツール(プリプロセッサ)が必要である。
    プリプロセッサとして、bdf2gdr.plというPerlスクリプトがフリーで公開されている。これと、NOKIA社が公開しているSymbian SDKの中に含まれているfnttran.exeとを使って、bdfからgdrファイルに変換するのである。
    Windows上でPerlスクリプトやfnttran.exeを動かすためには、もちろんPerlの実行環境が必要だ。これはActivePerlなどのフリーのものがインストールされていればよい。
    bdfファイルは、普段WindowsでおなじみのTrueTypeフォントから変換して作成することができる。そのためのツールはWFONTXとFontx2BDFだ。
    PC用の日本語フォントはShift-JISベースのことが多いのだが、Symbian OS上で動くフォントはすべてUNICODEに統一されているので、漢字コードをShift-JISからUNICODEに変換するマッピングテーブルが必要である。これは津邑氏のところで用意されている。
    また、Vodafoneの携帯電話に使われる絵文字を表示させるためには、絵文字記号用のフォントも用意しなければならない。これも津邑氏のところで用意されている。
    つまり、Windows上でgdrファイルを作成するのに必要なものは、

    1. bdf2gdr.pl津邑氏のサイトからダウンロード
    2. fnttran.exeが入っているSeries 60 SDKs for Symbian OSForum NOKIAからダウンロード(事前にユーザ登録要。英語)
    3. ActivePerlここからダウンロード(英語)
    4. WFONTXFontx2BDF
    5. UNICODE変換マッピングテーブル、絵文字記号用フォントSYMBOL12.HEXSYMBOL16.HEX津邑氏のサイトからダウンロード

    ということになる。さっそく用意して、Cドライブ直下にbdfというディレクトリを作り、WFONTX.*、WFONTXRC.H、bdf2gdr.pl、SYMBOL12.HEX、SYMBOL16.HEXをその中に入れた。Fontx2BDFを解凍してできたfontx2bdfという名前のファイルは、fontx2bdf.plにリネームしてbdfディレクトリ内に入れた。
    準備を整えたあと、いよいよ元となるフォントを入手する。どうせChicagoフォントを入れるなら、日本語のほうもMacライクにOsakaフォントなど入れてみようと思って、TrueTypeのChicagoフォントとOsakaフォントをネット上からダウンロードした。これらのフォントはコントロールパネルなどを使って「インストール」しておかなければならない。
    WFONTX.EXEをダブルクリックして開くと、インストールしてあるフォントのリストが画面左側に並んでいる。
    WFONTX画面
    その中から「Osaka-等幅」を選択する。そして画面右側のHeightに「15」Widthに「7」を入れる。FontX Nameは適当に「osaka」とでも入れておき、FontX Typeのところで「KANJI」にチェックを入れる。Save Nameには「osaka.mnf」と入れて、「NonStop!」ボタンをクリックすると、bdfフォルダ内に「osaka.mnf」ファイルができる。
    次に半角カナ用、英数字用のmnfファイルを作る。
    Font: Osaka-等幅
    Height: 15
    Width: 7
    FontX Name: osakar
    FontX Type: ANKにチェック
    Save Name: osakar.mnf
    として「NonStop!」ボタンをクリックすると、半角カナ用のosakar.mnfファイルができる。次にFontにChicagoを指定し、Height: 15、Width: 7、FontX Name: chicago、FontX Type: ANKにチェック、Save Name: chicago.mnfとして「NonStop!」ボタンをクリックし、英数字用のchicago.mnfファイルを作る。
    そのあと、fontx2bdf.plスクリプトを使って、mnfファイルをbdfファイルに変換する。MS-DOSプロンプト(コマンドプロンプト)を立ち上げ、


    C:\Documents and Settings\ahoaho>
    cd \bdf
    C:\bdf> perl fontx2bdf.pl osaka.mnf osaka.bdf
    C:\bdf> perl fontx2bdf.pl osakar.mnf osakar.bdf
    C:\bdf> perl fontx2bdf.pl -a chicago.mnf chicago.bdf ← オプション「-a」をつけるのを忘れないこと

    というコマンドを打つ。そうすると、bdfディレクトリ内に「osaka.bdf」「osakar.bdf」「chicago.bdf」の3つのbdfファイルができる。gdrファイルを作るためには、漢字用・半角カナ用・英数字用の3種類のbdfファイルが必要なのである。
    そしていよいよ、bdf2gdr.plの出番である。

    C:\bdf> perl bdf2gdr.pl -16 osaka.bdf osakar.bdf chicago.bdf

    と打つ。オプションの「-16」は、702NKのシステムフォント「JapanPlain16.gdr」を生成するためのものである。「JapanPlain12.gdr」を生成するためには、オプションに「-12」を指定する。引数は、順番に、漢字用bdfファイル名、半角カナ用bdfファイル名、英数字用bdfファイル名を指定する。
    そうすると、


    You’ve got unicode bdfs 3316.bdf and gd file `3316.gd’.
    The UID of the font is [215704575].

    Okay, now run
    ——————————————————————
    fnttran 3316.bdf 3316.gd JapanPlain16.gdr
    ——————————————————————
    and you will get `JapanPlain16.gdr’ font file. enjoy!

    という表示が出て終了する。この「3316」とか「215704575」とかいう数字はランダムに生成され、実行するたびごとに異なった値になる。この場合は、実行後、「3316.bdf」というファイルがbdfディレクトリ内にできているはずなので、

    C:\bdf> fnttran 3316.bdf 3316.gd JapanPlain16.gdr

    と打てば、JapanPlain16.gdrファイルが出来る。
    Windowsのデスクトップ上に「System」というフォルダを作成し、その中に「Fonts」というフォルダを作成してその中にこのJapanPlain16.gdrファイルを突っ込む。そして、NokiaSuiteを立ち上げ、702NKを接続してNokia Phone Browser上で電話機内の「C:」ディレクトリの直下に「System」フォルダごとドラッグしてから、電話機を再起動すると、ちゃんとシステムフォントが変わっていた。
    ただ、英数字の「M」とか「W」「m」などの幅の広い文字が、両端が切れていてちゃんと表示できない。WFONTXで指定したWidthのピクセル数の幅で各文字が切られてしまうので、幅の広い文字は両端が切られてしまうのだ。
    chicago.bdfファイルをテキストエディタで開いてみる。ここのサイトでBDFフォーマットの詳しい仕様の説明が書かれているので、これと見比べながら、「M」「W」などの幅広文字について個別に手作業で修正することもできるのだが、めんどくさい。
    しかたないので、自分でツールを使ってChicagoフォントをbdf化するのはあきらめ、既にChicagoフォントのbdf化されたものがネットに転がってないだろうかと、ネット上を探すことにした。
    すると、http://www.rockbox.org/fonts/に「xtal-14.bdf」というのがある。これがChicagoライクなので、これを頂戴し、さきのosaka.bdf、osakar.bdfと組み合わせて

    C:\bdf> perl bdf2gdr.pl -16 osaka.bdf osakar.bdf xtal-14.bdf

    で合成することにした。しかし、このように打つと

    !!! Error !!! BDF `xtal-14.bdf’ has invalid charset (fontspecific-1).

    というエラーが出る。どうやら「fontspecific」という言葉が悪さをしているらしい。ためしにxtal-14.bdfファイルをテキストエディタでのぞいてみると、
    CHARSET_REGISTRY “FontSpecific”
    という行があった。そこで最初に作ったchicago.bdfファイルで同じようなエントリを探してみると、
    CHARSET_REGISTRY “ISO8859”
    と書かれている。そこで、xtal-14.bdfファイルのFontSpecificという文字をISO8859に書き換えてもう一度bdf2gdr.plを走らせてみると、今度はちゃんと通った。
    こうしてできたシステムフォント。ちょっと海外携帯っぽくてカッコイイかも。
    スクリーンショット1 スクリーンショット2
    ちなみにJapanPlain12のほうは東雲12をそのまま使っている。
    ただし、こうしたフォントの入れ替え行為はNOKIA、Vodafoneのサポート外になるので、実行する場合はあくまで自己責任のもとで。

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  • WiFiざんまい

    もともと自作のデスクトップPCを持っているのだが、ベッドに寝そべりながらメール書きたい!とか、出先や出張先などでもメール読んだりブログ書いたりしたい!というワガママな欲望のため、去年の冬にIBM ThinkPad X40というノートPCを買って使っている。
    重さが約1.2kgと非常に軽いので、カバンの中に入れて持ち歩いてもそれほど負担にならないし、802.11a/b/g対応ワイヤレスLAN機能が標準装備なので、最大52MbpsでWiFi通信が可能である。
    家ではLinkSysWRT54GSというアクセスポイント付きブロードバンドルータを部屋の中に置いて、寝っ転がったままネットを楽しんでいる。また、NTT CommunicationsHOTSPOTのアカウントを取り、外出先のHOTSPOTアクセスポイントの近くでWiFi通信でネットにアクセスすることもできる。
    とはいっても、まだまだHOTSPOTのエリアは限られており、都内の駅の構内こそだいぶカバーされてきているものの、そもそもそんなところでゆっくり座ってノートパソコンを開いてネットなどやってる場合ではない。マクドナルドに行けばYahoo!BBのアクセスポイントが無料で使えるが、アクセスポイントのない店も多いし、そもそもマクドナルドなんかであまり長居することもない。羽田空港や関空なども、まだまだ無線LANが使えないところが多い。
    WiFiアクセスポイント情報を提供しているアメリカのJiWireというサイトによると、日本国内でのWiFiアクセスポイントは2,262箇所あるという(2005年2月19日現在)。これはアメリカの24,025箇所、イギリスの9,696箇所、ドイツの5,720箇所、フランスの3,232箇所に次いで世界第5位なのだそうだが、日本人はWiFiよりもケータイのほうが一般的だし、ケータイにPCをつないで定額データ通信もできるようになってきているのだから、わざわざWiFiのために設備を打つような事業者も少ないのかもしれない。
    しかし、どこに行けばアクセスポイントがあるのか。それを知りたいというニーズは非常に大きいはずだ。
    携帯電話からアクセスポイントを検索するサービスを提供している会社がある。トリプレットゲートでは、現在地から携帯電話でアクセスすることにより、その場所で提供されている無線LAN事業者の情報と、そのログイン情報をメール送信してくれ、それをPCに入力することによりWiFi接続できるというサービスを月額210円で提供している。さすがは携帯文化にどっぷりひたった日本文化をうまく融合させたサービスだと感心させられる。ちなみにこの会社の創業者は僕の大学時代の研究室の先輩である。
    アクセスポイントの検索サービスを提供しているところは、このJiWireやトリプレットゲートのほかに、以下のようなところがある。
    EZGoal Wi-Fi HOTSPOT
    Wi-Fi Hotspot List
    WiFi Free Spot
    東京ホットスポット情報館
    関西ホットスポット情報館

  • 新生銀行に口座開設

    前回、金融機関を選ぶ際は東京三菱銀行+Union Bank of Californiaが最適と書いた。しかし、東京三菱銀行はやはり日本の古典的な銀行の域を出ず、今一つ使い勝手の点でよろしくない。まあ決済用と割り切ってしまえば我慢もできるのだろうが、ATMでの入出金が24時間365日可能ではないというのは、僕のような勤め人には非常に不便だ。
    その点、シティバンク(シティバンク・エヌ・エイ銀行。アメリカのCITIBANKの日本法人)であれば、24時間365日ATMでの入出金が可能だ。しかし、いかんせん外銀ということで、いろいろな制限がある。まず、公共料金の自動引き落としが充実しておらず、電気・ガス・水道・電話料金やNHK受信料の口座引き落としには対応していない。これはシティバンクの責任ではないのかもしれないが、ユーザとしては使えないことには変わりがない。また、シティバンクの預金は、円預金・外貨預金含め、預金保険機構の保護が一切ないという問題もある。かといって、シティバンクはアメリカのCITIBANKとは全く別の会社という扱いなので、アメリカの銀行でもなく、アメリカのFDICの保護の対象からも外されている。つまり、シティバンクが万一破綻すれば、そこに預けている預金は全部、パーということだ。さらには、50万円以上(外貨預金にすれば20万円相当額でよいが)預金がないと口座維持手数料が月2100円取られてしまうし、100万円以上預金がないとシティバンク以外のATMでの操作に手数料が取られてしまう。富裕層には無問題だろうが、僕のような貧乏リーマンにとっては、いささか使い勝手がよろしくない。
    僕が社会人になった1998年当時は、日本の銀行の信用度は地に落ちていたし、グローバル・スタンダードが広く唱えられていたということもあって、上述のような不便があっても、アメリカ系の銀行ということで信用があり、かつ充実した外貨預金や先に述べた24時間365日ATMサービスなどの先進的なサービスに魅せられて、メインバンクとして利用していたのだが、今となってはUBOCをはじめとする純粋なアメリカの銀行口座が簡単に開けるようになったし、また日本国内の銀行業界も、信用度はともかくとして、少なくとも形だけはかなり再編成されて変わってきた。
    中途半端なアメリカ系銀行ではなく、純粋なアメリカの銀行で資産管理することができる今、日本国内のメインバンクとしてシティバンクにこだわる必要はなくなってきた。シティバンクのもつメリットを備え、かつデメリットをカバーした銀行というのはないものか。
    そこで注目したのが、新生銀行なのである。
    新生銀行はもとは日本長期信用銀行で、それが破綻して一旦国有化されたあと、アメリカのリップルウッドによって買収され、民間の銀行として再生したものである。その新生銀行にパワーフレックス口座というのがあり、そこに口座開設すれば円預金・外貨預金の口座が自動的に作られる。円預金口座は給与振込、公共料金の自動引き落としが可能となっている。
    口座開設はWeb上からメールオーダーの用紙を取り寄せ、それに必要事項を記入し、本人確認書類を2種類添付して郵送すればよい。印鑑かサインのどちらかを届け出ることができるので、印鑑というものを認証手段としてあまり信用していない僕は、サインを書いて送った。
    1週間ほどすると、スターターキットのようなものが自宅に届いた。取引方法が書かれたマニュアル、規約、キャッシュカードと、月一回送られるステートメントを綴じるホルダーが封入されている。
    新生銀行パワーフレックス口座
    シティバンクやUBOCと同様に、預金通帳というのはなく、月に一回、取引明細が書かれたステートメントが送られてくる形になっている。通帳だといちいち銀行まで記帳に行かなきゃいけなくて不便だし、もう今は通帳という形式は時代遅れなのかもしれない。
    キャッシュカードの暗証番号は、別便で郵送されてくる。その暗証番号は、テレフォンバンキング(新生パワーコール)を使って電話で変更可能である。
    キャッシュカードは、新生銀行のATMはもちろん、郵便局のATM、セブンイレブンの中にあるアイワイバンクのATMで入金・出金ともに可能。もちろん、24時間365日利用できる。そして何より嬉しいのが、預金残高にかかわらずこれらの操作の手数料が完全無料というところだ。
    ネットバンキングももちろん可能で、ネット経由での振り込み、預け替えなどが可能となっている。そして、振込手数料は他行宛であっても月5回までであれば無料なのだ。
    キャッシュカードのスキミング対策もバッチリだ。万一スキミングで被害に遭ったとしても、ある一定額(300万円ぐらいだったと思う)までは補償してくれるシステムをいち早く整えた。
    こうしてみると、シティバンク・エヌ・エイ銀行で可能だった先進的なサービス(ATM入出金24時間365日可能、外貨預金、ステートメントによるバランスシート管理、など)は、ことごとく新生銀行でも実現されていることがわかる。やはりアメリカ資本が入っている銀行の強みだろうか。しかも、シティバンクでは必要だった各種手数料が、新生銀行では一切無料というところが心憎い。
    新生銀行の唯一の弱点は、ネットでの海外送金ができないというところなのだが、これについては、東京三菱銀行なりの自分の口座に振り込んで(手数料無料)、そこから海外送金すれば無問題だ。少額の送金ならPaypalという方法もあるし。
    給与振込も公共料金の自動引き落としも全く制限なく指定できるし、ということは、新生銀行一行をメインバンクとしておけば、お財布代わりに使う決済口座としてはすべてのことがまかなえるということになる。
    これを機に、僕の銀行口座も整理することにした。僕が今持っている銀行の口座は

    シティバンク・エヌ・エイ
    1998年に社会人になったのを機に開設。給与振込、クレジットカード引き落とし、新聞料金の引き落とし等でフル活用していたが、最近給与振込口座は東京三菱銀行にシフト。
    東京三菱銀行
    いま住んでいる家の家賃と駐車場代の振込口座がこの銀行だったので、同じ支店の口座を開設し、ネットバンキングで振込手数料無料で毎月振込に利用。そのほか、電話料金、水道料金、電気料金、ガス料金などの引き落とし口座としても利用中。
    中央労働金庫
    ソアラのローンをここで組んでいるので、ローンの引き落とし口座として利用。
    UFJ銀行
    子供の頃、初めての銀行口座として開設(当時は三和銀行)。現在はほとんど使っていない。残高もゼロに近い。
    三井住友銀行
    学生時代から社会人初期にかけて利用(当時、住友銀行)。現在はほとんど使っていない。残高もゼロに近い。
    みずほ銀行
    社会人初期に埼玉で独身寮暮らしをしていた頃、お財布代わりにシティバンクを補完するメインバンクとして利用(当時は富士銀行)。現在はほとんど使っていない。残高もゼロに近い。
    りそな銀行
    どうして開設したんだかわからないけど口座がある(当時、あさひ銀行)。もちろん現在はほとんど使ってなく、残高もゼロに近い。

    がある。クルマのローンの引き落とし口座として指定されている中央労働金庫はそのままにするしかないが、とりあえず、使ってない三井住友、UFJ、みずほ、りそなはさくっと解約して、あとは給与振込口座と公共料金・クレジットカード引き落とし口座をすべて新生銀行に一本化してから、シティバンクも解約しよう。家賃などの振り込みもわざわざ東京三菱からでなくとも新生から行えば手数料を無料にできるので、東京三菱も解約したいところだが、海外送金用に残しておいても害にはならないので、口座だけは維持しておくことにする。
    こうして、国内の決済口座としては新生(&労金)、資産を蓄積する(&海外取引する)口座としてUBOC、国内⇔海外の移動用に東京三菱、この3本立てにしておけば、当面は問題なく管理できることだろう。目下の最大の問題は、その 資 金 が 少 な い ということだけだ。

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