Category: Yuki’s Diary 日記

  • Carousel (回転木馬)

    Carousel

    國學院栃木高校の文化祭の目玉の1つである、ミュージカル部の公演「Carousel(回転木馬)」の一コマだ。劇団A Musical Noteの主宰、三枝幹音センセイがダンス指導をしているミュージカル部の公演ということで、去年に引き続いて今年も見に行ってきた。

    今年の題目「Carousel(回転木馬)」。Richard Rodgers(音楽)とOscar Hammerstein二世(脚本・作詞)による1945年初演のミュージカルだ。原作はFerenc Molnarの戯曲「Liliom」。1945年4月19日から1947年5月24日までブロードウェイのMajestic Theatreで890回の公演を重ね、1993年ローレンス=オリヴィエ賞4部門、1994年トニー賞5部門にも輝いたともいう名作である。

    Spoiler warning(ネタバレ注意)

    あらすじを説明すると、舞台は1870年代の米国ニューイングランドで、綿工場で働く2人の少女が、仕事が終わったあとに回転木馬を訪れるところから始まる。そのうちの1人、Julie Jordanのお目当ては、回転木馬の呼び込みをしているテキサス出身の青年Billy Bigelow(曲”Carousel Waltz”)。一方、Julieの友人Carrie Pipperidgeは、自分にSnowという彼氏がいることをJulieに打ち明けて満足顔だ(”When I Marry Mr. Snow” 邦題:Mr.スノー)。

    2人がいつものようにBillyのところに遊びに行っているとき、警察官が現れ、Billyはとんでもない結婚詐欺師で、女性からお金を巻き上げている輩だから気をつけろと彼女たちに注意する。Carrieはその場から逃げるが、Julieは残る。Billyと2人きりになり、いろいろと語り合っていくうちに深い仲となり(”If I Loved You”)、ほどなく2人は結婚する。季節は6月だ(”June Is Bustin’ Out All Over” ジューン)。

    しかし、その幸せな結婚生活も長くは続かず、Billyは回転木馬の呼び込みの職を失って不安定になり、Julieの親戚のNettieのところに転がり込んだものの、呼び込み以外の職には就く気もなく、あげくにはJulieに暴力まで振るう始末。一方、CarrieはSnowと婚約し、幸せな結婚生活について二人であれこれ夢想する(”When The Children Are Asleep” 子供達が眠ったら)。

    島ではその頃、ハマグリや海の幸の収穫期で、島では人々がカーニバルを開いていた(”That Was A Real Nice Clambake” ごちそうがいっぱい)。

    そのころ、Billyは素行の悪い船乗りのJigger Craiginとかかわるようになり、彼からある計画を手伝うよう持ちかけられる。その計画とは、そのころ島で行われる宝探しのお祭り行事にまぎれて密かに大金を運ぶ商人から金を強奪することだ。Billyは最初はためらうが(”Soliloquy” うまくいくはずがない)、そのころちょうどJulieが妊娠したと告げられるに至り、生まれてくる子供のためにお金が必要になってくると感じた彼は、その計画に乗ることにする。一方Julieは、自分に対して愛の言葉もなく日に日によそよそしくなっていくBillyに気を病む(”What’s The Use Of Wondrin’?” 考えても始まらない)

    さてCarrieは、Snowと幸せなひとときを過ごすが、Jiggerの悪ふざけによりSnowに嫌われてしまう(”There’s Nothin’ So Bad for a Woman” うまくいくはずがない)。傷心のCarrieをJulieが慰める(”What’s The Use Of Wondrin’?” 考えても始まらない)。

    宝探し当日、町の人がいなくなったのを見計らったBillyとJiggerは示し合わせて、ちょうど通りがかった綿工場の経営者から金を奪おうとするが、失敗し、逆に彼が護身用に持っていた銃で撃たれてしまう。Julieがすぐに駆けつけたものの、ついにBillyは息を引き取ってしまう。生まれてくる子供を残して夫に先立たれたのを悲しむJulieを、Nettieや町の人たちは励ます(”You’ll Never Walk Alone” 人生一人じゃない)。

    死後の世界へ召されたBillyは、天国か地獄かを決める裁判所で裁かれの身になるが、生前やり残したことを解決するために1日だけこの世に戻ることを許される。Billyは、死んでから15年後の地上の世界に送られる。

    BillyとJulieとの間に生まれた娘、Louiseは、ちょうどそのころ思春期の難しい年頃を迎えていた。彼女は、亡き父親の生前の素行の悪さが町の噂となっているために同級生たちにいじめられ、また母一人子一人の貧乏生活のためにパーティー用のよそいきの服も作ってもらえない状態。そんなLouiseを見て罪の意識を感じたBillyは、彼女に小さな贈り物を与える。またJulieには、生前にはハッキリと口にしなかった「愛してる」という言葉をこの時初めて告白する(”If I Loved You”)。

    そして迎えたLouiseの学校の卒業式。居並ぶ卒業生らを前に、来賓として呼ばれたNettieは祝辞で、「親の行動など関係ない。自分自身の足で立って、人に嫌われることをおそれないで、自分のやりたいように精一杯生きるように」とスピーチをする。これまで親のせいで劣等感を抱き続けていたLouiseは自信を取り戻す(”You’ll Never Walk Alone” 人生一人じゃない)。それを満足げに見守るBilly。そして、フィナーレ。

    Louiseたちを変えたのは結局Nettieの一言だったの?とか、じゃBillyはいったい何しにこの世に下りて来たの?とか、ストーリーだけを見ると細かいところに突っ込みを入れたくなる箇所はところどころみられたものの、若い高校生たちの全力の演技がまぶしかった。終わったあと、感極まって泣き出す生徒たちを見ながら、三枝センセイも感無量の面持ち。みんなで何かを作り上げて成功させた喜びが、そこにはあった。

    文化祭では他にも出し物があった。僕が見に行ったのは、英語部の展示と、アメリカ語学研修発表。

    英語部のほうは、3年生の、わりと可愛い女の子が説明員をやってくれた。彼女も元ミュージカル部員だったとか。英語部は3年生の部員が3人しかいないそうで、このままでは誰も部員がいなくなってしまうと嘆いていた。

    英検の3級と準2級と2級のリスニング問題をクイズ形式で体験させてもらえるコーナーがあったので、ためしに2級のを聞かせてもらった。一部の文が空欄になっている文章が書かれたカードを渡されて、その文章がCDプレーヤーから読み上げられる。それを聞いて、空欄になっている文の意味を日本語で答えてくださいと言われた。TOEICと違って単語ごとに区切ってゆっくり読み上げてくれるし音声は2回繰り返されるのだが、アクセントにクセがあって、2回聞いても何言ってるのかよく聞き取れない。2級ぐらいと舐めてかかっていると、けっこう難しいことがわかった。それでも何度か聞いているうちに癖がわかってきて、聞き取れるようになったのだけど。

    問題が3問あって、正解するとcertificateがもらえた。

     

    アメリカ語学研修発表のほうは、國學院栃木高校のCommunicative Englishの担当講師をしているDevin Kelso氏が、故郷の米国アイオワ州Mount Vernonで自ら主宰する、日本からの交換留学生を受け入れるホストファミリーを紹介しホームステイさせるプログラム「Kelso Heartland Homestay Program」によって派遣された高校生たち24人の体験報告である。

    彼ら彼女らは、Mount Vernon近辺のホストファミリー宅にステイし、アイオワの広大な農場を体験したり、Walmartでのショッピングや映画「Field of Dreams」ゆかりの野球場の観光や大リーグCardinalsの試合観戦(元オリックス・田口選手にもらったサインまであった)などを通じたエキサイティングな2週間について、掲示板に写真とコメントで紹介していた。

    Kelso Heartland Homestay Program 2005

    参加者は、「アメリカの本場の英語を学びたい」というのを応募動機にしていた人が多かったようだが、語学よりも、それ以外の、目に見えないいろいろなことを学んだのではないだろうか。今まで生きてきた世界と全く違うものがあることを目の当たりにして、自らの価値観が根底から覆される体験、これこそが、このようなプログラムの最大の醍醐味だろう。

    生徒への教師の暴力事件など、いろいろとたいへんなニュースもある國學院栃木高校だが、生徒たちの若さを見ていると、まだまだ世の中は明るいと楽観視していいような気にさせられる。「若いって、いいなあ……」と感慨にふけりながら、今晩は佐野市のビジネスホテル「ホテル三吉野別館」に投宿し、こうやってブログ書いている32歳のヲヤヂなのだった……。

    【関連サイト】

    Carousel (musical) – Wikipedia
    Carousel (1956 Film Soundtrack)
    Mount Vernon-Lisbon Sun
    “We want to make a bridge”

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  • アニメざんまい

    声優が一斉に替わって新しくなった「ドラえもん」を、初めて見た。
    やっぱりだが、違和感がある。ドラえもんとのび太とスネ夫の声質が一緒で、区別がつかない。唯一ジャイアンだけが違和感なく見られたけど、全体的にみて、これはもはや別のアニメだな。これを見て育つ子どもたちと僕らの世代でジェネレーションギャップが生まれるんだろうな~。まあこれも時代の流れだからしょうがないけど。
    ただ、作画は前のアニメよりも原作に忠実に再現されているようで、各エピソードは、はるか昔に見たことがあるものばかりだったので、そういう意味では懐かしく見られたかな。
    引き続いては「クレヨンしんちゃん」。こちらは昔どおりの声優陣なので見ていられた。ただ、しんちゃんに昔のような毒気がなくなって、良い子ちゃんになっちゃってたけど。きっと以前のしんちゃんの内容の批判がすごすぎて、なんとか子どもに見せられる程度にリメイクしてるんだろうな。

  • スチュワーデスのブログ

    前回の「続続・ものを書くこと」「個人の発言に所属組織はどこまで責任を負うべきか」のエントリに関連して。

    社員のWebサイトやブログでの情報発信について、一般以上にナーバスになっている業界がある。航空会社だ。

    その航空会社の顔ともいえる、客室乗務員、つまりスチュワーデスが、個人でサイトやブログを持つことには、各社ともかなり神経をとがらせているという。

    言うまでもなく、航空会社は航空機の安全な運行が使命であり、お客様に安心して利用していただけるよう、その企業イメージの維持管理に腐心している。一方、その客室乗務員(CA)は、保安要員であると同時にお客様への重要な"顔"としての役割を果たしており、かつては採用条件として"容姿端麗であること"と募集要項に書かれていたほどだ。そのため、「スチュワーデス=美人」というイメージが今でもつきまとっており、またCA自身も、その華やかなイメージに憧れてその仕事を選んだ人が少なくない。

    そして、そのCAが、自分の個人Webサイトやブログを開設するとなると、やはり話題はその仕事内容が中心となる場合が多い。それは、自身の虚栄心からくる場合もあるだろうし、何よりも、僕を含めた世の男性たちが、"スチュワーデスの裏話"的な話題を期待しているからということが大きいだろう。

    しかしながら、航空会社としては、CAは自社の"顔"である以前に"保安要員"だ。その"保安要員"という前提が崩れて、"スチュワーデス=美人=セックスアピール豊富"というイメージが独り歩きすることを、会社の品格を損なうものとして極端に嫌うようだ。そのせいか、CAにはその行動について公私にわたり厳しくチェックを入れるそうで、個人サイトやブログについても、かなり制限があるらしい。もちろんお客をさして「きんもーっ☆」などと書こうものなら、即呼び出しを受けてきつくお灸をすえられることだろう。デルタ航空の米国人CAは、自社の制服を着た写真をブログにアップしたことが原因で、解雇されるにまで至っている。

    きゃびんあてんだんと用語集」というWebサイトを管理している元CAのRiseさんは、現役時代、このサイトのせいでいろんな批判を受けたという。本人の弁では、とかく"特別なもの"として高みに置かれがちなCAという仕事の裏事情を広く一般に知ってもらうことで、CAを身近に感じてもらいたい、というのが開設の趣旨だったとのことだが、"高みに置かれる"ことに慣れた他の先輩CAを中心に、相当叩かれたそうだ。そのせいかどうか知らないが、今はCAを辞め、フランス語の翻訳家を目指して奮闘しているとのこと。

    CAというものを"聖域"として守りたい人々、自分の仕事を紹介して目立ちたいCAたち(志望者も含む)、機密事項をできるだけ外に出されないように神経を尖らせている人間、CA事情のネタを期待する男性たち……そういった色々な人の思惑やしがらみにかき回されながら、それでもCAのサイトやブログは次々に現れては消え、書かれては会社に通報されて消され……を繰り返している。そして、それらをウォッチしては、一抹の期待を抱きながらコメントを入れてお近づきになろうとする我々がいる。

    スチュワーデスが"憧れの職業"である限り、それは終わることはない。

    【関連サイト】

    裏クルーネット「スッチーのブログ & HP パート3

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  • 個人の発言に所属組織はどこまで責任を負うべきか

    昨日のエントリでも紹介したネイサンズ「きんもーっ☆」事件だが、この事件の本質は大きく分けて次の2点に集約されるだろう。

    1. バイト個人がコミケ参加者を指して「オタ」呼ばわりし、自分のブログで「恐い!きもい!」等と発信した件について
    2. そのバイトを雇っていた企業にどこまで責任があるか

    このうち1については、個人ブログ上でのこととはいえ特定の層の人間を貶める発言は感心しないのは当然だし、なによりも勤務時間中に携帯カメラで写真を撮り、バイトとはいえいやしくも客商売をやっている人間が客を含む人間を指して嘲笑するということは、決して許されることではない。叩く方もいささかやりすぎの感は否めないものの、その気持ちは理解できなくはない。

    一方、2について、たまたま雇ったバイトが自分の会社名を出して問題を起こしたとき、その雇い主はどこまで責任を負うことになるのだろうか。今回はそこに焦点を絞って考えてみたい。

    ネイサンズ「きんもーっ☆」事件
    ホットドッグなどを提供する米国Nathan's社の日本法人であるネイサンズ・フランチャイジー・オブ・ジャパンが、8月13日・14日両日にかけて行われたコミックマーケット(コミケ)会場近くで屋台式の移動店舗を使ってコミケ客を中心にホットドッグ等を売っていたところ、そこのアルバイト女性の1人が、自分のバイト先の内部の情況や客として来店するコミケ参加者らを携帯カメラで撮影し、それを「まぁお客はみんなオタ」「大量オタ。これほんの一部ですからね。これがぶぁぁぁぁあっているの。恐い!きもい!」などというコメント付きで自分の個人ブログで紹介したところ、それがたまたま目に留まったコミケ参加者らを中心に2ちゃんねるで祭り(急激な話題沸騰)状態となり、そのバイト女性へのバッシングと、彼女を雇っていたネイサンズ・フランチャイジー・オブ・ジャパンに対し批判が続出。ネイサンズへの抗議メールなども殺到し、社長をも巻き込んだ大騒動となった。そのバイト女性が別のエントリで「もえるるぶ」を指してコメントした「きんもーっ☆」は一時流行語に。詳しくはまとめサイト参照。

    fjなどのネットニュースが全盛期だった時代には、投稿者は実名と所属を明かして投稿するのが当たり前だった。投稿記事の書き出しには「○○@△△大学です。」のような自己紹介文が必ずあって、ネットニュースとは学歴・職業自慢の場かとも思えるような状態だったのだが、そこでの発言内容はあくまで発言者個人のものであって、その所属する組織の見解ではないというのが、参加者の共通認識だった。

    もちろん発言内容に反対する人がいてフレームウォーに発展することもまれではなかったが、攻撃対象はあくまでその発言内容そのもの(あるいは発言者)であって、その所属組織としての見解についてまで追及されることはなかった。もしそんなことをしたら、逆に攻撃者のほうが「ワナビー」だの「田舎者」だのと嘲笑を受けただろう。

    こういった考え方からすれば、今回の事件でネイサンズに抗議した人たちは、抗議する対象を間違えているといえるだろう。あくまで非はこんな思慮不足の内容を嬉々としてアップしたバイト一人にあるのであって、その内容がネイサンズ自体の見解ではないことはもちろん、むしろネイサンズ側は自社の名前を勝手に出された上にイメージダウンまでされた、被害者というべきだろう。

    企業の管理責任について問う声もある。このようなバイトを採用した企業に責任はないのか、ということなのだが、バイトとして雇われる人の個人的な嗜好や、思想、信条などをいちいち採用時にチェックすることは現実的でないし、またそれら理由に採用を拒否することは、許されないことである。勤務時間中に仕事の手を休めて写真を撮っていたということについては、あくまで労務管理上の問題であり、会社とそのバイト個人との間の問題である。その写真を見た客が会社に対して抱くイメージがダウンするということはあるかもしれないが、税金で養われている公務員が仕事をサボッているのとは違い、気に入らなければそこで買わないようにすれば済む話であって、それと会社の責任問題とは別物だろう。

    つまり、この問題については、企業側には責任はない、とみるのが自然ではないだろうか。

    さて、この件について、ネイサンズでは社長名で以下のようなコメントをウェブサイト上に発表した。

    ネイサンズのお客様へ
    いつもネイサンズホットドッグをご愛顧いただき、誠にありがとうございます。
    さて、先日、お客様を不愉快にさせてしまいました、「コミックマーケット」に出店したネイサンズ移動店舗内スタッフによるブログ上の発言につきまして、以下の見解をお伝えしたく、ご一読いただければ幸いです。
    「人種の坩堝」ニューヨークから来たネイサンズは、様々な国籍・価値観をお持ちのお客様に長年愛され続けています。
    その企業体質は当然わが国におきましても継承されるべきものであり、私共、株式会社ネイサンズフランチャイジーオブジャパンも日々努力しております。
    従いまして、今回の件につきましてはきわめて遺憾であります。
    「コミックマーケット」をはじめとし、各地で行われる様々なイベントへ積極的に参加させていただいている現状、それぞれのご当地、お客様に歓迎されている現状を省みますと、いかんともしがたい胸中です。
    調査の結果、本件は当社ブランドを使用する「フランチャイズ」企業が独自に雇用したアルバイトの極めて不適切な表現が引き起こした事態であり、当社の企業コンプライアンスとは正反対の内容です。
    また、当該ブログにつきましては、当社との関わりはまったくございません。
    しかしながら、「フランチャイズ」企業を管理・監督する責務をもつ当社といたしましては、本件に類する自体の再発防止に全力を尽くし、お客様から失った「信頼」を取り戻すべく、社員一同、努力いたします。
    以上、簡単ではありますが、当社の反省と今後の決意を述べさせていただきました。

    2005年8月
    株式会社ネイサンズフランチャイジーオブジャパン
    代表取締役社長 竹内秀樹

    騒ぎが大きくなりすぎたために何らかの対処を求められたことを受けてのコメントだが、「今回の件につきましてはきわめて遺憾であります。」とは書かれているが、謝罪は一切していない。「調査の結果、本件は当社ブランドを使用する「フランチャイズ」企業が独自に雇用したアルバイトの極めて不適切な表現が引き起こした事態であり、当社の企業コンプライアンスとは正反対の内容です。」「また、当該ブログにつきましては、当社との関わりはまったくございません。」という文から、あくまで今回の一件はバイトが勝手にブログを書いたもので、企業には責任はないと言っていることがわかる。ただ、道義的な面で顧客との信頼を取り戻すために「本件に類する自体の再発防止に全力を尽くし、(中略)社員一同、努力いたします。」と述べているに過ぎないのである。

    とはいえ、昨今のセキュリティ意識の高まりもあり、企業としても従業員の情報発信を野放図に放置することも、だんだんできなくなりつつある。この手のトラブルを避けるために、あらかじめ従業員に対し、情報発信に関する覚書のようなものを取り交わすという事態もこれから考えられるかもしれない。国家や社会の制約から外れ、治外法権的に自由にものが書けるのがインターネットの大きな長所の1つだったが、それらも徐々に制限されて、息苦しいネット社会になる時代も、近いかもしれない。

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  • 続続・ものを書くこと

    ブログがすっかりインターネットの世界でメジャーになったようだ。僕がブログを書き始めた1年半ほど前では、ブログはまだまだ一部の先進的なインターネットユーザが作っていただけで、ブログサイトも木村剛氏や松永英明氏などの大御所がほとんどだったのだが、今では、ちょっと個人サイトを作っていただけの人でも、流行りのようにブログを書くようになった。単なるWeb日記というものは昔からあったが、トラックバックによって他のブログと関連付けられる機能などが人気を集めたものと思われる。

    それこそネコも杓子もブログを書くようになったのだが、ブロガーのライティングスキルにも個人差があり、中には何気なく書いたことで問題を起こしてしまうブログも散見されるようだ。

    先月、コミケ会場近くでコミケ客相手にホットドッグなどを売るアメリカのNathan'sの日本フランチャイズ店でバイトしていた笹間某というお嬢さんが、コミケの入場者を写真に撮って自分のブログで「みんなオタ」「これがぶぁぁぁぁあっているの。恐い!きもい!」などとコメントしたり、コンビニに売られてる「もえるるぶ」(情報誌「るるぶ」の萌え情報版)を手にとった写真とともに「もえるるぶってどないやねん!きんもーっ☆中にはコスプレがあるとこなどが案内されてます。きもすぎです」などと書いていたところ、たまたま目に留まった読者らから猛反撃を受け、彼女を雇用していたNathan'sが謝罪に乗り出す対応に追われるという騒ぎがあった。また、女性下着メーカー「トリンプ」の吉越浩一郎社長が、日経新聞連載中の男尊女卑エロオヤジ小説といわれる渡辺淳一「愛の流刑地」を絶賛し、渡辺氏に自社の下着のサンプルをプレゼントまでしていたことを自分のブログに書いたところ、「愛の流刑地」に批判的な女性陣を中心に吊るし上げに遭い、ブログ閉鎖に追い込まれてしまったという事件もあった。

    おそらく、書いた本人は深く考えずに自分の思ったことをそのまま書き散らしただけに違いない。しかし、ものを書くということは、本来とても難しい作業なのだ。素人の生兵法でブログに手を出すことは、大ヤケドのもとになる。

    ブログを書こうとする人は、Rebbeca Blood著 yomoyomo訳「ウェブログ・ハンドブック」をまず読んだほうがよいだろう。この本についてはこのエントリーでも述べているが、個人でブログを書くときの非常に重要な助言や示唆がまとめられている。繰り返しになるが、ここでその内容を引用しておきたい。

    この本でポイントとなっていたのは、「とにかく、自分の書きたいときに、書きたいものだけを書くこと」を強調していたことだろう。個人でブログを運営するときには、最初は自分が書きたいことを書いているのだが、だんだん読者が増え、固定客がつくようになってくると、そのうち自分の書きたいことよりも、読者に受ける内容を書かなければという強迫観念に取り付かれてしまい、いきおい大衆に迎合して自分を見失ってしまうことが往々にして起こる。そうなってしまうと、ブログを書く本来の楽しみが失われてしまい、一体誰のためにこんなことをしているのかわからなくなってしまう。これでは書き手も読み手も不幸だ。著者は、このように自分らしさを失ってしまったブロガーには、しばらく休養をとることを勧めている。休養をとったあと、再び〈書きたい〉という気持ちになったなら、そのときにまた復活すればよい。ブログとは、不特定多数を楽しませるためではなく、1人のオーディエンス、つまり書き手自身に向けて書くべきであると主張している。
    もう一つ忘れてならないこととして指摘されていたのが、「ブログに一旦書いたことは、あとから訂正がきかない」ということ。確かにブログツールの編集機能を使えばあとから修正することはできる。しかし、修正するまでの間にサーチロボットにキャッシュされてしまえば編集前のテキストがどこかに残ってしまうし、第一、書いた内容を、あとから事情が変わったからといって、その履歴を残すことなく簡単に修正したり、削除して最初からなかったことのようにできてしまうようでは、媒体としての健全性に欠けるではないか。ブログに一旦書いた内容を修正するときは、リライトしたり削除したりするのではなく、追記という形で補足するのが正しい使い方である、というのである。これは独りブログに限らず、ウェブサイト全般にいえることなのだが、ひとたび発言するからにはその内容には最後まで責任をもつべきである、という著者の主張は、首肯せざるを得ないものがあった。

    また、この本には、ブログに書くにあたっての注意も書かれている。特に仕事をしている人や、職探しをしようとする人は、一時の感情で、汚い言葉を使ったり侮辱的な表現で他者を罵るようなエントリを書かないことだ。その時は気が済んでも、将来、その文章が人事担当者の目に留まり、人間性を評価されて不利益を受けることも考えられるからだ。現に、Googleやデルタ航空では、社員が自分の書いたブログがもとで解雇されることも起こっている。

    それ以外にも、自分が過去に書いた内容のために、重大な損失をこうむることもある。たとえば、ライブドアの堀江社長の態度が気に入らないという人が、「ホリエモン氏ね」などとブログに書いたとする。あとで、その人の勤める会社がライブドアと協業する案件が持ち上がったとき、「弊社の人間に『氏ね』などと言っている社員がいる御社とは、一緒に仕事できませんね」なんて言われて、大型案件を失注してしまうこともあるかもしれない。そうなったとき、「ホリエモン氏ね」と書いた人は、責任が取れるのか。

    ものを書くということは、そこまで責任を負うということなのである。

    かくいう僕も、このブログを書くときは、いろいろ気を遣っているつもりだ。僕自身、ブログを書くときに心がけていることは、以下の3点だ。

    (1) 読んでいる人の身になって
    読む人が不快にならないよう表現に気を遣うことはもちろんだが、内輪ウケ的な内容にならないよう、状況の詳細な説明を加えて、初めて読む方や内部事情を知らない第三者の方でもフラストレーションを感じずに読み進められるように心がけている。
    (2) 会社や仕事の出来事については書かない
    最近、会社ではセキュリティに関する意識が高まってきているということもあるので、勤務先の情報はもちろん、業務内容の詳細についても、機密事項に触れる可能性もあるし、ニュースリリースに出ているもの以外は、書かないようにしている。
    あんまり仕事関係のテクニカルな内容のネタだと喜んで突っ込んでくる人が周りにいっぱいいるから、というのもあるけど(爆)
    よっぽどおもしろいネタがあったら書くかもしれないが。
    (3) 雑誌のコラムを連載しているつもりで
    つまらない内容のコラムを書いているコラムニストは、即仕事を打ち切られ、そのうち干されてしまう。僕は決してプロのライターではないが、公の場に出す文章に、プロもアマチュアもないと思っている。一つのネタを取り上げるにしても、商業作家のコラムにもひけをとらないレベルにまで料理できれば嬉しい。これはなかなかできていないが……。

    無名の個人でも自分の意見を堂々と表明できるのがインターネットの大きな利点なのだが、言うまでもなく、自分の意見を出すからには、それが及ぼす結果についても、自分で責任を負わなければならない。それができない人は、お手軽にブログなど作るべきではないのである。

    最後に、ブログ女王・眞鍋かをりさんの言葉を引用したい。

    読んだ人が傷ついたりしないように、とか、読む人のことを必ず意識して書いています。それは読まれるために必要なこと。"読まれるブログ"と"読まれないブログ"の差が出てくるのは、そういうところに理由があるのだと思います。

    【関連サイト】

    「オタ」「きもい」──スタッフのブログ発言、企業を巻き込む騒動に
    EFF、ブログでクビにならないためのガイドラインを発表(CNET Japan)
    コミケでhotdogを売ったホクロが客をオタと呼びキモイとblogにかいた
    トリンプ

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  • そうだ選挙行こう

    今朝、いきなり家の電話がかかってきて、女性の声で
    「東京のフジテレビの者ですが、今度の衆議院選挙についてアンケートをお願いします」
    と言ってきた。いつもならこの手の無作為な電話は拒否するのだが、「フジテレビの世論調査」ということもあり、暇だったので応じてみた。
    まず住所(選挙区を知るために、町名レベルまで)を聞かれ、そのあとで、その選挙区で誰に投票するつもりか、比例代表ではどの党に入れるかをたずねられた。そして最後に、僕の年齢と職業・最終学歴を聞かれて、終わりだった。
    選挙戦も最後の追い込みに入っているようだが、どうも僕には「郵政民営化」をめぐる自民党同士の仲間割れにしか映らないのだが。ハッキリ言って、郵政民営化されようがされまいが僕の生活には何も影響ないので、どちらでもご勝手に、というスタンスなのだが、当事者のほうはやれ造反議員は除名だとか新党日本だとか、あげくのはてには女刺客やらホリエモンまで持ち出してきて、「必死だなw」状態になっている。
    与党同士が仲間割れしているこういうときこそ民主党が漁夫の利で政権を狙える絶好のチャンスのはずなのに、民主党はアピールが下手なのか内部で足並みが揃ってないのか知らないが全然目立たないし。今朝の日経新聞の1面では、相変わらず自民党支持が安定多数らしい。
    僕的にはそろそろ小泉さんには辞めてもらってもいいかな、と思ってるんだけど、まあ何でもいいや。
    とにかく、投票にはちゃんと行こうね>all

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  • 車検通してきました

    昨日、ディーラーに出したソアラが、車検を通過して戻ってきた。
    結局、車検整備費用+バッテリー交換+エンジンオイル交換+エレメント交換+ブレーキ液交換+ワイパーブレード交換その他もろもろで、9万円弱。昨日払った法定費用も含めると、ざっと18万円の出費になってしまった。今年はリサイクル料が発生したのとバッテリーも交換したのがあるとはいえ、2年に一度のこれだけの大量出費は、かなり痛い。
    それにしても、日本の車検制度というのは、どうしてこうも世界標準とかけ離れた、バカ高いシステムなのだろうか。
    そこで、世界の車検制度について、調べてみた。

    アメリカ

    州によって車検制度があるところとないところがある。カリフォルニア州などは車検はなく、排ガス検査のみとのこと。テキサス州は車検があるが、4000円程度だそうだ。マサチューセッツ州では毎年車検があるそうだが、その費用は1回約3000円とのこと。

    フランス

    フランスでも2年毎の車検があるが、検査料は8000円程度とのこと。

    ロシア

    ロシアには車検制度はなく、クルマの登録と、車検証にあたる登録証の更新のみが定期的に義務付けられているだけである。

    ドイツ

    車検の値段が5000円強、同時に実施する排ガス検査が5000円強で、1回あたり10000円ちょっとで済む。

    イタリア

    車検は2年ごと。1回あたり約15000円ぐらいだそうだ。
    こうしてみると、諸外国には一応車検制度らしきものは存在するものの、その費用は日本に比べ格安であるといえる。むしろ日本が異常に高いといってもいいだろう。
    日本の車検にかかる費用の内訳は、
    (1) 自動車重量税
    (2) 自賠責保険料
    (3) リサイクル料
    (4) 検査料
    (5) 整備代金・交換部品代・工賃・車検代行手数料ほか
    ざっとこんなものだ。そのうち(5)については、工夫によって節約することができる。本来はユーザ自身の手で整備、交換すべきものだ。ただ、特に都市部に住んでる人は自分でメンテできるだけの広いガレージも持てないから、そこはある程度整備工場任せになってしまうのも仕方がないだろう。(4)は、せいぜい1500円程度なので、世界的に比較しても問題はない。(3)についても、今回限りの施策で、昨今の環境意識の高まりを考えるとやむを得まい。
    やはり、(1)~(2)が、トータルの費用をかさ上げしている元凶といえるだろう。
    ぶっちゃけ、(1)や(2)など、必要ない。(1)については、毎年自動車税を徴収しているのだし、それとわざわざ別建ての税金を設ける理由がわからない。(2)についても、これだけで事故があったときに被害者に十分な保障ができるわけではなく、追加で任意保険に入らざるを得ない状況なのだから、このような中途半端な保険の必要性はきわめて疑問で、任意保険に一本化すればよい。
    かりに(1)~(2)が必要なものだったとしても、それらの費用の根拠について、どこからも納得のいく説明がなされていない。日本と外国では構造が違う、国情が違うなどの意見もあろうが、インターネットの普及で世界の事情がたちどころにつかめるようになった今、いつまでも消費者は無知蒙昧な愚民ではないということを、関係者には認識してもらいたいものだ。

    【関連サイト】

    http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1169544
    http://www.hana.or.jp/hana/nitiniti/culture98/c980215.htm
    http://home.hiroshima-u.ac.jp/takedaq/woodshole/page04.html
    http://www.bekkoame.ne.jp/~uenos/report/#1989/09/21
    http://www.ewoman.co.jp/kuruma/map/France/nouvert02.html
    http://midomoscow.hp.infoseek.co.jp/sub14.htm
    http://www2.tky.3web.ne.jp/~mojotets/itinan-satte.htm
    http://okobay.ciao.jp/iblog/C952619404/E653475244/index.html
    http://www.d-b.ne.jp/flamenco/D7_88.htm

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