Category: Music 音楽

  • はなわ より 花輪

    阿佐ヶ谷アルシェで劇団かわずおとし第8回公演「深爪コンプリート」を観る。例によって劇団A Musical Noteの三枝幹音サンの舞台を見に行くということで。 お笑いをウリにする劇団、ということで、まあそれなりに楽しませてもらいました。 帰りは、阿佐ヶ谷の駅前のちょっと外れにある「大阪・鶴橋の味」と銘打つ怪しいホルモン焼き屋さんで独りホルモン焼きをつついて精をつけてきました。 Technoratiタグ: エンターテイメント | ミュージカル | 公演 |

  • Happy Birthday!

    先日のエントリーでも書いたが、劇団A Musical Noteの第5回公演として、オリジナルダンスミュージカル「Happy Birthday! ~鍵の行方~」というタイトルで、王子神谷にほど近い「シアターバビロンの流れのほとりにて」にて行われている。劇団AMNの公演としては昨年9月のオリジナルミュージカル「飛天」以来1年3ヶ月ぶりである。千秋楽である今日のソワレの部を見に行ってきた。 双子の姉妹を身ごもった真里子(水品美和子)とその夫・正信(津山智)は幸せいっぱい。ついに出産の日を迎え、二人して分娩室に入っていくが、途中で耐えられなくなった正信は分娩室を逃げ出してしまう。その間に事故が起こり、妻の真里子と、双子のうちの1人を失ってしまう。 生まれることが出来なかった双子の妹・未花(三枝幹音)は、どうしても人間の生きている世界を見たくて、死後の世界のガイド(小田切久)に頼んで、父・正信と女子高生になった双子の姉・未幸(伊東佑美子)のいる場所へ案内してもらう。 しかし、妻と子供を自分のために亡くしてしまったと自分を責める正信は、生まれてきた娘・未幸を1人で育てる自信を失い、彼女を施設に預けて逃げ、ひたすら会社人間として過ごすのだが、ある日会社からリストラされてしまう。一方、父親に捨てられ施設で育った未幸は16歳になるが、生きることに幸せを見出すことができず、寂しさのあまり遊び仲間とともに覚せい剤に手を出してしまう。 妹・未花は、人間世界に案内してもらうのだが、そこで見たものはホームレスの父親と薬物中毒の姉だった。夢にまで見た「生きている」世界で起こっている惨状にショックを受けた未花は、姉の未幸をなんとか立ち直らせようとするが、既に生きることに幸せを感じなくなってしまっていた姉は、妹の言うことを聞き入れようとしない。 人間の身体は、ひとたび覚せい剤にむしばまれてしまうと、癒えることはない。姉の心と身体は既にボロボロになっており、生きる意味を見出すこともないまま、ついには命まで失ってしまう。 生まれてきたことを恨み、ひたすら死にたいと願っていた姉・未幸と、生まれてきて生きたかったと願う妹・未花。その未花のとった方法は、死んだ姉の代わりに自分の魂を姉の肉体に乗り移らせ、姉の負ってきた苦しみを自分で引き継いで生きることだった――。 「Never Say Never(絶対できないなんて絶対言わない!)」というのが、この劇団の一貫したテーマである。どんなに辛くても、苦しくても、逃げることなく、絶対あきらめず事に向かい合えば、乗り越えることができる――ということを、公演のたびに絶えず訴えかけている。ともすれば説教じみたクサイ内容になりがちなのだが、そこは随所にバラード調で流れる独特のAMNミュージックがうまくカバーしており、見る者を食傷させない。 2001年に旗揚げしてまだ4年に満たない発展途上の劇団であるAMN自身も、このテーマを旗印としながら、公演を重ねるたびに新しい試みに挑戦している。今回の作品は、初めてのダンスミュージカルに仕上げたほか、お笑いを売りにする劇団であるかわずおとしとのコラボレーションによるコメディーミュージカルでもある。ダンスのほうは主宰でもある三枝女史がダンス講師をしている関係上、非常に完成度が高く見ごたえ十分だったのだが、コメディーのほうは以前観た劇団Nom’bなどと比べるとまだまだである。ガイド役の小田切氏が一生懸命笑いを取ろうと必死だったのだが、お笑いには厳しい関西人の僕としては、笑うことができなかった。唯一笑えたのは、未花が人間世界に顔を出す前に衣装を選ぶシーンでわざとボケて変な衣装を着けて出てくる場面の中で、前作「飛天」の主人公の皇女の衣装を着けしかも前作に登場した山の民まで伴って現れてきたところ。これはツボにはまった。 未花が姉の身体に乗り移ったのは奇しくも二人の誕生日である12月20日のこと。物語はその1年後の12月20日のところで終わる。1年間、姉の苦しみを引き受け覚せい剤の禁断症状に苦しみながらなんとか立ち直ろうと苦闘する妹・未花は、まだ完全に身体が治ってはいない。しかし、そばには父・正信がいた。父のこれまでの人生は逃げてばかりだったのだが、逃げることをやめ、妻・真里子の苦しみを背負って娘の更生のために共に向き合うことを決心したのだった。そして、未花(未幸)と一緒にクスリにおぼれ、そして一足先に立ち直った仲間たちが、バースデーケーキを持って彼女の見舞いにやってきた。未花は、必ず身体を治すために闘っている。そばには家族がいる。仲間がいる。そしていつの日か、家族4人で幸せに暮らすことができる日まで――。 Never Say Never! Technoratiタグ: エンターテイメント | 演劇 | ミュージカル |

  • AMN公演初日

    こちらのエントリでも紹介したとおり、今日から劇団A Musical Noteの第5回公演オリジナルミュージカル「Happy Birthday! ~鍵の行方~」が開演する。 シアターバビロンの流れのほとりにて(地下鉄南北線「王子神谷」駅下車)にて今日、明日、明後日、日曜日の4日間。 詳しくは劇団ホームページ参照。 【2004/12/19追記】 千秋楽の公演を観てきたので、新規のエントリーを立てた。 【2004/12/23削除】 こちらのエントリーにすべてまとめたため、このエントリの記述は削除した。

  • 劇団A Musical Note次回ミュージカル公演

    僕がホームページアドバイザーをしている劇団A Musical Noteの次回公演のタイトルと日程が決定した。 「Happy Birthday! ~鍵の行方~」 大人と子供。大人と人間。当たり前の日常。もしもそこに愛情だけがなかったら・・・夢と希望、それさえも持つことができず暖かい愛に包まれることなく生きている人々。  双子を身ごもり、幸せに包まれている若い夫婦がいた(正信と真里子)。子供1人が生まれ、妻ともう1人の子供を失った正信。そこから逃げ出す正信。残された未幸と生まれられなかった未花。運命は悲しく動き始める。  未幸が求めた安らぎは覚せい剤だった。心のキズは限界を超えなければやり直せる。でも体の取り返しはつかない。正信、真里子、未幸、未花。それぞれの願いは強い想いによって歩き始める。 (劇団ホームページより) かわずおとしとのコラボレーションによるAMN初のコメディタッチのミュージカルとのこと。AMN主宰の三枝幹音サンは、これまでの主演/脚本/振付に加え、今回はかわずおとし主宰の小田切久氏とともに演出も担当。これまでAMNの公演で演出を務めていた劇団東演の辰巳次郎氏は今回は舞台監督にまわる。 12月16日(木)~19日(木)、「シアターバビロンの流れのほとりにて」(地下鉄南北線「王子神谷」駅下車)にて。さていつ見に行こうか……。 Technoratiタグ: エンターテイメント | 演劇 | ミュージカル |

  • ケータイで曲名を知る

    店の中に入っているときにふと聞こえてくるBGMを耳にして、「この曲、イイかも!」とハッとすることがある。そういうときに、その曲の曲名とアーティストの名前がわかれば、後でCDを買いにいけるのに、と悔やむことがしばしばあった。 これからは、印象に残る曲を耳にしたら、その曲の流れる方向に向かって携帯電話をかざせば、曲名を知ることができるようになる。NTTとNTTレゾナントが提供する携帯楽曲検索サービス(仮称)で、音楽が聞こえてきたら携帯電話で決められた番号に電話をかけ、つながったら音楽に向けて電話機をかざす。しばらくすると自動的に電話が切れ、さらに10秒ほどすると曲名、アーティスト名などの情報がメールで携帯電話に送られてくるという仕組み。複数の曲が聞こえてきた場合は、それぞれの曲情報が表示される。NTTドコモ、auなどの携帯端末で利用可能とのこと。 検索可能なのはCDを音源とする音楽のみ。平成12年以降にCDリリースされた邦楽・洋楽の約30万曲が検索可能となる。 ニュースソース Technoratiタグ: 携帯 | 音楽 |

  • HALF A SIXPENCE

    僕がホームページ作成にかかわっている劇団A Musical Noteの主宰、三枝幹音サンが非常勤講師として勤務している國學院栃木高校の文化祭が昨日と今日の2日間開かれ、三枝センセイがダンス指導にあたっているミュージカル部の公演がその文化祭期間中に行われるということで、それを見るために栃木までソアラを走らせてきた。 題目は、1968年にTommy Steele、Julia Foster主演の映画にもなった「Half a Sixpence※」。あらすじを簡単に説明すると、イギリスのとある孤児、Arthur Kippsは、Shalford氏の経営する洋服店の見習いとして働いている。Ann PornickはKippsの幼なじみで、互いに愛を誓い合っている仲なのだが、最近なかなか会う機会がない。そこでKippsは6ペンス硬貨を半分に割り、その片方を、離れていても自分のことを思い出せるように、いわゆる「愛の印」としてAnnに渡していた。 ある日、Kippsは祖父の遺した莫大な遺産を相続することになる。たちまちにして大金持ちとなったKippsは、今まで想っていたAnnを捨て、地元の令嬢、Helen Walsinghamに走る。Kippsは身なりを変え、上流社会に溶け込もうとする。Kippsのことを愛していたHelenもまた、Kippsと婚約して彼を改善しようとする。Helenの兄は、Kippsの投資顧問として彼の相談役となる。 しばらくして、Kippsは、Helenの母親の友人であるBotting夫人の屋敷で、そこのメイドとして雇われていたAnnに再会する。Annがそこでひどく扱われているのを見たKippsは、自分の周りにいる人たちの態度や価値観が自分の本来持っているものと異なることに気づく。本当に愛しているのはAnnだということに気づいたKippsは、Helenとの婚約を解消してAnnのもとに戻り、二人は結婚する。 結婚してからもKippsは金に糸目をつけず大きな屋敷を建てようとしていたのだが、Kippsの資産を運用していた投資顧問であったHelenの兄が、あるとき投機に失敗して大損を出し(ミュージカル部の公演では「兄がKippsの資産を持ち逃げした」ということになっていた)、Kippsは一文無しになる。Kippsは屋敷を売らざるを得なくなるのだが、小さな家に移り、Annと二人、つつましくも温かい暮らしを始める――。 巨万の富を得るよりも、ささやかな生活の中にこそ真の幸せがある――というのがテーマの作品で、見終わったあとはなんともいえないほんわかした気持ちになったのであるが、飛ぶ鳥を落とす勢いで若くしてたちまち数百億円の資産を得て、「カネさえありゃ人の心だって買えるんだぜぃ!」などといい調子で息巻いている某IT社長氏の行く末は、果たしてどうなるだろうか、と意地悪な考えがふと頭をよぎった。 ***** ※ミュージカル部の公演のタイトルでは「HALF A SIX PENCE」と書かれていたが、「6ペンスという金額」ではなく、「6ペンス硬貨1枚」という意味なので(前にAがついてるし)、本来は「SIXPENCE」と1単語にするようである。

  • iPod、なかなか良いかも?

    最近、CDをCDプレーヤーにかけて聴くということがほとんどなくなってきた。CDを買ってくるとまずPC上でWMA形式に落とし込み、聴きたくなったらWindows Media Playerを使ってPC上で聴くことがほとんどである。PC附属のスピーカーは確かにショボイが、それほど音にこだわっているわけでもないので無問題。むしろ聴きたい曲をささっと検索して呼び出せるほうが重要なのである。 クルマのトランクには10連奏CDプレーヤーが積んであり、運転席からリモコンで選曲し、演奏される曲をFMトランスミッターを使ってカーラジオに飛ばして聴くことができる。 ウォークマンのように、外出しながら電車内などでイヤホンを耳に入れて音楽を聴くことは、あまりしない。外に居るときに両耳が塞がれるというのもどうにも気持ち悪いし、近くの人に音を漏らしているのではと気になるあまり、音楽を楽しめないからだ。 さて最近、iPodが空前の人気を誇っているらしい。先日は40GBのモデルが売り出され、約1000曲が収容可能という。これなら僕のコレクションはほとんど収容できる。 ただ楽曲を外に持ち出してイヤホンで聴けるというだけならそれほど興味は沸かないのだが、別売りのFMトランスミッタを使うと、出力をFMラジオに飛ばすことができる。つまり、iPodとFMトランスミッタ一揃いあれば、家にいるときは家のラジオでiPodの音楽が聴け、クルマの中ではカーラジオで聴けるということになる。 これは便利かもしれない。ただ、iPodとFMトランスミッタ合わせて5万円以上するというのが、かなり痛い。

  • 真夏の夜の恒例らいぶ

    このようなタイトルのメールが僕のもとに届いた。送り主は小山祥子さん。先日のエントリで紹介した、歴史小説家・瑞納みほ先生のアシスタント、通称「ねえや」である。 瑞納みほ先生とねえやのお二人とは、実に不思議なご縁で知り合ったのである。僕がいつものように会社の同僚と呑んでいた帰り、銀座駅から丸ノ内線に乗ろうと階段を下りていたところ、階段の手すりのところに、飲み過ぎて自分で歩けなくなり3人がかりで階段を抱え下ろされていた女性がいるのを見かけた。銀座という土地柄、ホステスさんか誰かが飲み過ぎたのだろう、3人もついているからよもや僕の出る幕はないなと思ってスルーしようと思ったのだが、どうにも気になったので、その人たちがホームに下りてくるのを見計らって、「大丈夫ですか?」と声をかけてみた。 思いがけないところから男手が現れこれ幸いにとばかり、介抱していたうちの2人は「じゃ、あとお願いします」と言うなりその場から離れ、改札を出て行ってしまった。あとに残った着物姿の女性と僕の2人で、彼女の面倒を見ることになった。 お二人は町田まで行くとのこと。僕は丸ノ内線で池袋まで行くのだが、終電までは少し間があったので、とりあえず大手町まで乗せて行き、そこで降りて半蔵門線のホームに下ろし、中央林間方面行きの電車に乗せるところまで一緒にいることにした。 大手町で、着物の女性と2人で酔い潰れた女性の両脇をかかえながら長いエスカレーターを降りて半蔵門線のホームへ。酔い潰れた女性は僕のほうを見るなり、「まあ、なんでこんなにハンサムで素敵な男性が一緒にいらっしゃるの?」などと嬌声をあげる。既に人の美醜の区別などつかなくなってしまっている模様。 「何をおっしゃってるんですか。さあ行きましょう」と言いつつ二の腕を支えて引っ張っていったのだが、内心まんざらでもなく(バカ)、こちらも酔っていたことも手伝ってすっかり舞い上がってしまい、半蔵門線のホームでその女性を柱の脇に寝かせたあと、着物の女性のほうに名刺などお渡ししてしまった。 この着物の女性が「姫」こと瑞納みほ先生、潰れていたほうが「ねえや」。降ってわいたような突然の出会い方だった。 さて、ねえやから頂いたメールは、7月31日に神楽坂のライブハウスで開かれるライブのお誘いだった。「わが姫、うるわしの瑞納みほ女史をえすこおとしてくだされば」とのこと。「えすこおと」はともかく、めったに出会うことなどない文芸方面の方とお近づきになれるとあっては、断る理由がない。二つ返事でOKした。 当日、待ち合わせ場所に行くと、金茶の大島紬に身を包んだ「姫」が待っていた。2人で会場へ向かう。 入口に入ると、受付の女性が「どのようなご関係の方でしょうか?」と訝しげに聞いてくる。どう答えようか逡巡していると、横から姫が「『ネコネコ天使』の関係です」とフォローしてくれた。「ネコネコ天使」とは、姫やねえやが活動している、猫の里親希望者に猫を斡旋するボランティア団体である。実は今回のライブは、その「ネコ天」の会長のKunie女史がピアノを弾くことになっているのだ。 会場には、既にねえやが来ていた。その横に男性が座っていらっしゃったので、名刺を交換する。とある会社の代表取締役の肩書だった。「ワンコ」だ「ニャンコ」だという話をしていたので、てっきりネコネコ天使のスタッフの方かと思っていたが、後から聞き及んだところによると、この男性がいわゆる「王子様(→ねえやの彼氏)」とのこと。姫が言うには、ねえやに一目惚れして、付き合うようになったのだとか。泰然自若、実業家としての年輪を感じさせる。僕のようにちょっと女性にお世辞を言われたくらいでヘラヘラ喜んでいる若造とは、役者が違いすぎる。この人なら誰に何を言われようが彼女のことを支えてあげられるだろうと思える人、という印象である。 テーブルの奥の席、向かって右から王子様、ねえや、姫、僕の順に座る。僕の向かいの席には、「ジョニィ」こと月夜見あやめ嬢。某大手ホテルの料亭に勤めているということで、いそいそと飲み物を作ったり、料理を取り分けたりしてくれている。 しばらくして、「妹」こと、おくむらきょうこ嬢が来る。某ビルの警備のお仕事と聞き及んでいるのだが、小柄で普通に可愛い女の子。 皆で鹿児島の麦焼酎「神の河」をいただく。フルーティでなかなか旨い。 ねえやはテーブルのメンバーや近くにいる人たちと屈託のない会話に興じていた。いろいろと渦中の人のようだが、積極的にリーダーシップを執って動く人は、敵も多いのかもしれない。「ねえやは思い立ったらとにかく突っ走る人ですから」と姫。確かにイベントを企画したり、運営したり、先頭を切って積極的にやるぐらいの人だから、個性が強い人なのだろう。合う人と合わない人が分かれるかもしれない。しかし彼女のようなタイプの人は、ウチの会社にいくらでもいる(そして、そういう人がどんどん偉くなっていくのだ)。少なくとも、彼女の積極性、行動力、バイタリティ、自己アピール力に関しては、僕も是非爪の垢を煎じて飲みたいくらいである。 僕は隣に座っていた姫といろいろとお話をした。もともと「物書き」というものに憧れがあった僕なので、作家の仕事のこと、本のことなどで話を弾ませた。師匠の若桜木虔氏の弟子としてこれまで活動してきたが、今後は独立してプロの作家としてやっていきたいとのこと。師匠との複雑な事情や、今後書きたいテーマの話など、クリティカルな話なのでここでは書けないが、いろいろと裏話を含めて聞かせてくれた。 「2chとかでいろいろと言われているのは知っています。だけど、この世界、『言われてナンボ』ですからね……」 プロとして著作を世に出す以上、みんながみんなマンセーしてくれるわけではない。ときには厳しい批判にさらされることもあるだろうし、同業者から理不尽に叩かれることもあるだろう。作家というのも辛い商売のようである。 さてライブでは、Kunieさんのバックグラウンドでのピアノ演奏に乗って、シンガーさんが入れ替わり立ち代り現れて歌っている。若い女性から学生時代反戦ソングで鳴らしたような人まで、さまざまな人がそれぞれの想いを歌にして披露していた。 歌がひと段落すると、Kunieさんとねえやがマイクを持って出てきて、「ネコ天」の活動についてスピーチを始めた。同時に妹が会場のお客にビラを配っていった。先日夜逃げの家に放置されていたニャンコたちの里親を募るビラである。そして、スピーチが終わると、お店の人が籐製の小さなバスケットを会場の端のテーブルに渡し、「ネコ天の活動を支援するための募金にご協力お願いします。もちろん強制じゃありません。皆様のお気持ちで結構です」と言って、バスケットに善意のお金を入れて隣に回すように頼んだ。どちらかというと動物が苦手なほうな僕としては、このように日々ネコのレスキューや里親探しに活動する人たちは、ただただ偉いと思うほかない。僕にできることはお金の面のささやかな協力ぐらいしかないので、自分の財布から小銭を全部空けて、それを寄付した。 スピーチが終わると、ねえやは「これから仕事がある」(里親候補が決まったのでその交渉か?)ということで、王子様と妹を連れて店を出て行った。姫とあやめ嬢と僕の3人は残ってしばらく「神の河」を注しつ注されつしていたが、そのうちにあやめ嬢が「カラオケに行きたい」と言い出したので、僕ら3人は途中で席を起ち、お店の人に丁重にご挨拶して店を失礼した。 近所のカラオケボックスに入り、1時間ほど籠る。あやめ嬢はサイトに「鬱で悪いか!」という毒舌日記を展開して物議を醸しているみたいだが、実際に会ってみると毒どころか、ごく普通のおとなしめの女の子という印象。たぶん、オモテでは「良い子」をずっと通してきてるんじゃないかなあ。ネットで毒を吐く人は、そういうタイプが多かったりするのだ。そうやって、自分の中にかなりストレスを溜め込んでいるのか、カラオケではそれを吐き出すかのようにひたすら熱唱していたのが印象的だった。 カラオケを終えると、もう12時前。あやめ嬢はかなり飲んでいて、自力で歩けなくなってしまっていた。姫と僕とで両脇を支える。「前回に続いて、今日もこんなのでごめんなさいね」と姫が謝ってきたが、「いえいえ、別に気にしないでください」と言って一緒に飯田橋まで送って行った。 彼女たち2人は東西線、僕は有楽町線ということで、飯田橋の改札で別れ、家路についた。 ふと気が付くと、この日の払いを済ませていないことに気が付いた。 次回、精算することにしよう。 会ってもらえればの話だが……(汗)。

  • シンガポール訪問記2

    朝は、8時過ぎに朝食。とはいってもシンガポールと日本とでは時差1時間なので、日本時間にすると朝の9時過ぎということになる。毎日6時起きが習慣の僕にとって、とても9時まで寝てられるものではないので、いつもシンガポール時間の朝5時過ぎには目が覚めてしまう。 ゆっくりと朝風呂につかり、TVをつける。シンガポールのTV局はMediaCorpという局の1局しかなく、あとはCNNとか近隣のマレーシアの放送局などが映る。NHKの放送チャンネルもあった。東京の放送と変わらない。こういうのを視ると、外国に来た気がしない。なおエッチな有料放送はシンガポールでは認められていないのか、探してもどこにもなかった。 TVを視ても飽き足らず、ホテルの外をお散歩することに。早朝だというのに外に出ると相変わらず蒸し暑い。背の高い名前のわからない熱帯樹から落ちた怪しい大きな木の実が道路上で弾け散り果肉をさらしていた。 近所にセブンイレブンがあったので、入ってみる。中は日本のコンビニとあんまり変わらない。マレーシア製の怪しいさとうきびジュースを買う。350ml入り1缶S$1.35(95円)。昨日の屋台の缶ジュースは1缶S$2.50だったので、ひょっとしたら昨日はボラれていたのかもしれない。そういえば屋台のオヤジ、「Japanese?」とか聞いてやがったもんなあ。 朝食はホテル内のバイキング。あまり美味い食事ではなかったが、バイキングということでついつい食べ過ぎてしまう。 9時過ぎ、お迎えの「南無阿彌陀佛」バスに乗って展示会の会場へ向かう。 展示会会場は「EXPO」という地名で、チャンギ国際空港の近所にある。法律で空港に近いところには住宅を建てられないことになっているので、空港周辺の一帯はこのような国際展示場や、日本郵船などのコンテナヤードで占められている。 展示場の建物を入ったところでレジストレーションをすませ、各人の名前と所属が印字されたプラスチック製の白い名札と、それを入れる透明なケースを受け取る。ケースにはストラップがついていて、場内では名札をケースに入れて首から提げて歩かなければならない。 ニシ・キヨミさんという女性が現地の通訳担当として同行する。彼女は12年前に会社の仕事の関係でシンガポールにわたったきり、現地で結婚しそこに住み着いてしまったのだという。 場内に入る前に、そのニシさんから簡単な注意がある。「私はここの入口の近くに立っていますから、通訳が必要なときは言いに来てくだされば同行します。あと、写真についてですが、撮影してよいのはこの外側までで、ここから中は撮影禁止になっています。展示ブースの説明員の方に一言断って、そこの写真を撮ってもよいと言われたら、そこだけは撮ってかまいませんが、それ以外のブースでみだりに写真撮影することは控えてください」 写真撮影だけでなく、服装についてもきちんとしたものでなければならないと入口に書かれており、ショーツ姿やサンダル履きなどのカジュアルな服装では入場を断られるとのこと。そのあたりの厳しさは、いかにも管理国家シンガポールらしい。 ひととおり注意事項の説明を受けたあと、私たちは場内に入って、めいめい自分の興味のある分野について自由に展示ブースを回る。 さて今年のCOMMUNIC ASIAの大きな目玉としては、モバイル関連、とりわけ携帯電話の躍進が目に付いた。ほとんどのブースで、携帯電話端末の新製品紹介が中心だったのである。 アジア地域の携帯電話のシステムは第二世代であるGSM方式が主流である。GSMはヨーロッパの郵政・電気通信主管庁会議(CEPT: Conférence Européenne des Postes et Télécommunications)を中心に規格化されたもので、もともとフランス語のGroupe Spécial Mobileの略称だったのが、世界進出にあたって英語のGlobal System for Mobile communicationsという言葉があてられるようになった。 日本の携帯電話業界は、携帯電話事業者主導で走ってきた経緯があり、各事業者が電話機端末の細かい仕様まで決めているので、日本で携帯電話を使うときはまず事業者と契約してから、その事業者が扱っている電話機を選んで購入する形になっている。別の事業者を契約したときは、電話機も新しい事業者の扱っているものに変えなければならない。また電話機の属する事業者以外の電波を、同じ電話機で受信することはできない。 それに対して、GSM端末はその仕様が共通化されているため、電話機メーカーはその仕様の範囲で思い思いの電話機を製造することができる。電話機の購入と事業者の契約とはまったく独立したものであり、携帯電話を使いたいユーザーは携帯電話事業者の発行する親指の爪ほどの大きさのICカード(SIMカード)を購入もしくはレンタルする。このSIMカードの形状は統一されていて、ICチップに電話番号などの識別情報が埋め込まれている。そのSIMカードを電話機に装着して電話機の電源をONすると、その地域で受信できる事業者をサーチして、最も適切な事業者を選択して電波を受信する。その電波は必ずしもSIMカードを発行した事業者である必要はなく、電話機を使う地域の事情に応じて最適な事業者が選択される。このため、GSMのカバーするエリアの範囲内であればどこの国に持って行っても、どの種類の電話機であっても、自由にローミングして使うことができるのである。GSMのエリアは、アジア諸国(韓国は除く)のほか、欧州、中東、アフリカ諸国など多岐にわたり、携帯電話の事実上のスタンダードとなっている。 GSM方式は電波の周波数帯域を多く消費し、日本のPDC方式などに比べ周波数利用効率などの点で必ずしも優れているわけではない。人口密度の極端に高い日本のような国ではPDC方式のほうがはるかに分があることは疑いないのだが、日本の狭い国内に閉じた標準制定にのみ配意して海外展開をなおざりにしているうちに、海外ではGSMにすっかり覇権を握られた形となってしまった。技術は優れていても政治的に弱い日本を示す好例といえよう。 街を見渡してみると、若者たちはどこででも携帯電話を取り出して気軽に会話している。地下鉄のホーム上は言うに及ばず、駅間のトンネル内でも電波が途切れないので、電車内で通話している人も多い。マナーにうるさいどこかの国のようにそれを咎めだてることもない。そんな国では、携帯電話でメールを打っている人はほとんど見かけず、通話がメインの使い方である。 ショートメッセージ(SMS)の送受信は可能だが、相手の電話番号を指定して送信する形しかなく、日本のようにインターネット上のメールアドレスにも送ることのできるEメール通信というのはまだないらしい。最近の機種では、メッセージに静止画や動画などを添付できる、マルチメディア・メッセージ(MMS)に対応していることを売りにしていた。MMS対応で、メガピクセルのカメラ付き携帯というのがアジアでの最先端で、COMMUNIC ASIAの展示でもそれを強調しているものが多かったように思う。 SMSについて面白いと思ったのが、展示会場の外に置いてあったジュースの自動販売機で、そこに書かれている電話番号にショートメッセージを送ると、その自動販売機からジュースを買うことができるようになっている。ジュースの代金は通話料と一緒にあとで課金されるようだ。 送信メッセージを入力したり、電話機の電話帳機能を使ったりする場合、電話機のキーを押すことでテキストの入力・編集をすることになる。つまり、電話機用の入出力インタフェースシステムを開発しているメーカーも当然のことながら存在する。カナダに本社をもち、北米、アジアにオフィスを展開するZi社は、eZiTextと呼ばれるテキスト入力システムを開発し、それを各社のGSM端末にインプリメントしている。GSM端末では文字の入力の仕方が日本と少し異なっている。たとえば、「east」という単語を入力する場合、一文字目の「e」という文字は電話機のキーパッドでいえば「3」キーの上にある。「3」キーの上に載っているアルファベットは「def」なので、「e」と入力するためには、日本の電話機であれば「3」キーを2回押すところだが、GSM端末では1回でよい。どの文字を入力する場合でもキーを押すのは1文字につき1回で、「east」と入力するためには「3278」と押せばよい。そうすると入力システムのほうで、入力された「3278」という数字から対応する文字の組み合わせをみて、そこから意味のある単語を判断しその候補が表示される。もちろん「east」だけではなく「fast」というのも考えられるので、候補は複数になるわけだが、電話機の矢印キーを上下させながら選択し、最後に「OK」キーを押すと入力単語が確定する。長い単語の場合は、最初の数文字を入力すると自動的に入力補完されて候補が表示される。Zi社のeZiTextはノキア、モトローラ、サムソンなど主要な電話機にはほとんど採用されているということである。 携帯電話端末はまだまだ第二世代であるGSMが幅を利かせており、第三世代のCDMA方式に移行するのは当分先のようである。シンガポールではSingTel社が「Be the first to 3G」というスローガンを謳っており、今年中にはCDMAのサービスを開始するということだが、既存のGSMからCDMAに完全に移行するのにはなお数年を要するだろう。COMMUNIC ASIAでもCDMA端末を展示していたメーカーは京セラ、サムスンなど一部の有名企業に限られ、それ以外の小規模メーカー、特に中国のメーカーにいたっては僕の見た限りでは皆無であった。 さてVoIP関係で飯を食っている僕なので、今回のCOMMUNIC ASIAでもVoIP関連の展示に非常に興味を持っていたのだが、残念なことに、VoIP関係の展示をしているのは、Lucent Technologies社やSIEMENS社などわずか数社がPC、PDAなどから利用できるIP電話のアプリケーションのデモをしているにとどまっており、目新しいものは窺い知ることができなかった。 ネットワーク系のIP化、つまり既存のPSTN電話網をIP網にシフトしていくというのは、世界的な流れとして各方面で検討されているのだけれど、アクセス系まで含めてトータルにIP化するソリューションを進行させているのは今のところ日本だけのようである。今後、その形態が世界的に広まるかどうかは未知数だが、少なくとも今の時点では、VoIPに関してはアジア地域では時期尚早というのが見た限りでの印象である。 昼食は展示会場内にカフェテリアがあり、入口で金券を買ってから、中で金券を払うしくみになっていた。現金で直接払わないのは、衛生上の理由なのかもしれない。 シンガポーリアン、チャイニーズ、マレーシア、インドなど各国料理が揃っているところなど、さすがは多国籍国家シンガポールだ。僕はマレーシア料理のカウンターに並び、怪しいカレーのようなものを注文した。そのあとジューススタンドに寄ってスターフルーツの生ジュースを頼んだ。それでも喉が渇くので、最後にコカコーラを注文。これだけできっかりS$10(約700円)。 もちろん展示といっても堅苦しいものばかりではなく、ビンゴゲームや、ダンスショーなどの余興もちゃんとある。下の写真はタイの通信キャリア・TOT社の民族舞踊である。 3時ごろまで展示場を見て回ると、さすがに足が棒のようになってきたので、地下鉄に乗ってホテルまで戻ることにする。 地下鉄は紙の切符ではなく、日本のsuicaのようなプラスチック製のICカードをデポジットS$1.00で借り受け、そこに運賃をチャージするしくみになっている(券売機では、デポジットS$1.00+運賃分の料金を払うことになる)。運賃がチャージされたカードを改札機の読み取り部分に「tap(かざす)」して改札を入り、出たところでも同じようにカードをtapして出る。カードは一度使うと再チャージ不可なので、使用後のカードは券売機でデポジットの払い戻しを受けなければならない。 地下鉄の駅はアメリカのように暗くなく、日本と同じ明るさ。車内も清潔だ。ただシートが球場の外野席のような硬いプラスチック製だったのが日本と違うところである。 ホテルに戻り、さて夜はどうしようか、せっかくだからマレーシアの国境近くまで地下鉄かタクシーかバスで行ってそこから歩いて国境越えしてジョホールバルまで行こうか、でも下手に出国してシンガポールに再入国できなくなったりしたらヤバイなーなどと考えつつ悶々としていると、携帯が鳴り、 「事務局の人と一緒に飯食わない?」 という部長さんの有難~いお言葉。もちろん2つ返事でOK。コンチネンタルホテルで部長さんと事務局の女性と3人で和やかにフレンチをいただいてきた。