Category: Osaka University 大阪大学

  • Inukai memorial exhibition / 犬養孝生誕百年回顧展

    Takashi Inukai exhibition

    日本文が後ろに続きます。

    This morning I visited Daikan’yama i-Studio to see the exhibition commemorating the 100th anniversary of the birth of Takashi Inukai, a leading scholar in the field of Man’yoshu. For those of you who don’t know it, Man’yoshu is Japan’s oldest collection of tanka poems created more than 1,300 years ago by emperors down to aristocrats and unknown common people nationwide. Inukai was an authority on the studies of the ancient poetry for over 50 years, teaching at many schools including Osaka University and Konan Women’s University as a professor.

    According to the biography displayed in the exhibition room, he was born on April 1, 1907, in Tokyo. His first encounter with Man’yoshu was in the classroom of the high school in Kumamoto. Through the teachers of the high school he was greatly attracted by the beautiful words, melodious rhythms, and expressive images of the 4,516 verses.

    After graduating from Tokyo University in 1932, he got a teaching job at Kanagawa Prefectural Yokohama Dai-ichi Junior High School, or Jinchu, where he taught for ten years. In 1942, he moved to Taiwan and became a professor of Taipei High School, teaching many students including Lee Teng-hui, who became a Taiwanese president 45 years later.

    When the WWII came to an end in 1945, the Island of Taiwan belonged no longer to Japan, and accordingly he lost his teaching job. He returned to the mainland and landed at Wakayama. After that, he started living within the Kansai district. It was very convenient for him, because the area had plenty of places where the Man’yoshu verses were created and it could help his profound research of it. When he got a job at Osaka University in 1950, he made up his mind to walk around the places where each poem was sung to help him understand it more deeply. His idea impressed the students very much. They proposed him to make a trip to those places to understand the feelings of the ancient people. He agreed. He and his students went for more than 250 trips all over the country for almost 50 years, until he died in 1998. The total number of participants of those trips reached more than 40,000 (including me).

    His contribution to the studies of Man’yoshu affected many people very much. In addition to writing papers and books as a specialist, he made his best efforts to spread it to the general public who aren’t familiar with pedantic literatures. He put his own melodies to each poem and sang it to the people to make it suit the popular taste. His “propagation” of Man’yoshu had influenced many artists, including Peggy Hayama, a singer, and Machiko Satonaka, a cartoonist who wrote Tenjo no Niji, a comic describing the life of Empress Jito.

    His achievements was the object of public admiration in all directions. In 1978, he received the Order of the Riging Sun, Gold Rays with Neck Ribbon. The following year he was invited to the Imperial Palace and showed a tanka in front of Emperor Hirohito. Also, he gave a lecture on Man’yoshu to Hirohito on the top of a hill in Asuka, Nara, on December 4 that year. He was qualified as a person of cultural merit in 1987. The Order of the Sacred Treasure, Gold and Silver Star, was posthumously conferred on him on October 3, 1998, the very day that he passed away.

    I have ever met him on our way of the trips by Osaka University students. He was very frank, friendly and humorous. Although the term that I was in touch with him for is much shorter than that of his life, I feel that I am sharing very many memories with him.

    I uploaded the pictures of the exhibition to Flickr.


    今朝、代官山iスタジオで「犬養孝生誕100年回顧展」というのをやっていたので見に行ってきました。犬養孝は、万葉集の研究の権威で、大阪大学や甲南女子大学などの教授として50年以上にわたって研究にたずさわってきた人です。

    展示室にあった年譜によると、犬養孝は1907年4月1日に東京で出生し、熊本の第五高等学校にいたときに初めて万葉集と出会い、その美しい言葉、躍動的なリズム、表現力豊かな心象風景などに魅惑されたといわれます。

    1932年に東京大学を卒業後、神奈川県立横浜第一中学校(神中)に奉職し10年間教鞭をとりました。そのあと台湾に移って台北高等学校の教授となり、数多くの学生を教えました。教え子の中には、後に台湾総統となった李登輝氏もいたとのことです。

    終戦後、台湾は日本の領土でなくなったので、帰還船で内地へ帰り和歌山に上陸しました。そして、万葉集の歌の宝庫である関西に居を構え、1950年には大阪大学で教えることとなり、そのころから、万葉集を理解するために実際に現地を歩くという研究スタイルを確立させていったそうです。その考え方に学生たちは共鳴し、万葉集の故地を歩くツアーを提案しました。これは「大阪大学萬葉旅行」として、犬養が1992年に死去するまで50年近くにわたって250回以上も続けられました。この旅行の参加者は延べ4万人以上で、私もその中に含まれています。

    犬養の万葉集研究は多くの人に影響を与えました。論文や著書を書くほかに、衒学的な学問としての文学になじみのない一般層に対して万葉集を広めることにも努力しました。万葉集の一首ずつに独自の節をつけ、それを人々の前で朗誦することにより、万葉集を一般向きのものとしました。犬養の“布教活動”は多くのアーティストに影響を与え、歌手のペギー葉山や、「天上の虹」を描いた漫画家の里中満智子も、すべて犬養孝が原点です。

    これらの業績は多方面から評価され、1978年には勲三等旭日中綬章を受章、翌年の歌会始には宮中に召され、昭和天皇の御前で歌を読み上げられました。またその年の12月4日には、奈良県明日香・甘樫丘の上で昭和天皇をお迎えし、御進講を行いました。1987年には文化功労者に叙せられました。そして、死去した1998年10月3日には、正四位勲二等瑞宝章が追贈されました。

    私は学生のときに萬葉旅行でこの犬養先生にお会いしたことがありますが、非常にフランクでフレンドリーでユーモラスな方だった記憶があります。実際に犬養先生と接した期間は犬養先生の人生に比べればごくわずかの期間なのですが、非常に多くの記憶が残っているような気がします。

    回顧展の模様をFlickrにアップしました。

  • Election of Osaka Prefecture’s governor / 大阪府知事選

    日本文が後ろに続きます。

    Today people of Osaka Prefecture are voting a candidate of the governor of Osaka Prefecture. The candidates include Toru Hashimoto, an attorney, Sadatoshi Kumagai, an ex-professor of Osaka University, and Shoji Umeda, an attorney.

    Hashimoto seems to be of great advantage to others because he often appears on TV and is the most well-known to people. But, in my personal feelings, I want Kumagai to win the election, because I had his “circuit theory” seminar when I was a university student 15 years ago and I’m familiar with him very much.

    Actually anybody is ok as I’m not an Osaka resident and I don’t have the right to vote.


    今日は、大阪府知事選の投票日です。弁護士の橋下徹氏、元大学院教授の熊谷貞俊氏、共産党の梅田章二氏が立候補しています。

    ワタシ的には、昔、大学で「回路理論」の講義を受けたことのある熊谷先生が馴染みがあるので応援したいところですが、やっぱり橋下氏が知名度的には有利なようですね。個人的にはどうも橋下氏は胡散臭く見えて仕方ないんですが、与党推薦・支持の上に同和対策予算削減を公約に掲げているということで世論もおおかた橋下氏マンセーのようですし……。

    ま、都民としてはよそのことなんでどうでもいいけど。

    【同日21:20追記】

    やっぱりというか、橋下氏が当選しちゃいましたね・・・。
    ま、橋下氏には大阪のためにがんばってほしいものです。

  • 犬養孝先生墓前命日祭

    万葉集研究の第一人者で、1998年10月に亡くなられた故・犬養孝先生の生誕100周年を記念して、東京・谷中霊園にある先生の墓前にて命日祭があったので参加してきました。

    もう、この業界の重鎮の方々ばかり。70~80人ぐらいが墓前に集ってました。

    仏教ではなく神道の家なので、神職の方が来てひととおりの儀式を行い、そのあと参列者一同がかわるがわる墓前に進み出て、玉串奉奠。

    玉串奉奠なんて今までやったことなかったんで、前の人の手つきを見ながら適当に見よう見まねで捧げてきました。

    Inukai centennial ceremony

    命日祭が終わったら、上野の駅前の中華料亭で昼食会。普段、横浜中華街の路地裏の怪しい中華料理しか食べてない身としては、過分なほどの超高級料理をいただいてきました。

    出席者はだいぶ年配の方々ばかりだったので量はあまりなかったですが……。

    まあ万葉集関係のキーパーソンの方ともお知り合いになれたし、非常に意義のある会でした。

    Gift for guests

    昼食会参加者限定の記念品。犬養先生の筑紫取材ノート、毎日放送の番組録音CD、絵葉書etc.

  • 浅草寺

    浅草寺 伽藍
    昨日、すっぽん料理を食べに行くついでに、浅草のあの有名な浅草寺(金龍山浅草寺)に立ち寄ってきた。浅草の雷門前にはしょっちゅう行ったことがあったのだが、仲見世から中に入るのは実は初めてだったりする。
    雷門をくぐり、仲見世を通り抜ける。平日夜7時前の仲見世はそれほど人通りもなく、実に歩きやすい。仲見世を200~300メートルほど通り抜けると、冒頭の写真のような寺の正門にたどりつく。さすが観光地、ちゃんとライトアップされていて、きれいなことこの上ない。
    浅草寺五重塔門をくぐると、左手に五重塔がある。
    このお寺は推古天皇の時代(7世紀前半ごろ)に建立されたという。同じ時期に建立された斑鳩の五重塔の地味な色合いとは違って、こちらのは朱色が基調であり、これも鮮やかにライトアップされている。
    東京の下町のど真ん中にこのように風情のある建物があると心安らぐ。周辺の街並みも、観光化されているとはいえ東京の他の都市とは違う歴史の重みのようなものを感じさせられる。大切にしたい日本の風景の一つである。
    ご本尊は観音様(浅草観音)。拝殿に上がり、お賽銭を入れて例によって「金運に恵まれますように」とお願いしてきた。

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  • すっぽんを食す

    大学時代の研究室仲間で、浅草に呑みに行ってきた。

    これは浅草「辻むら」さんのすっぽん鍋の中身を器に取り分けたもの。ネギと一緒に、すっぽんの肉(足かな?)が入っている。食べると、肝吸いの肝のように栄養が濃厚そうな味がして、いかにも元気が出そうである。

    この店では、すっぽんの肉のほかに、すっぽんの肝、卵、心臓、脾臓、胆嚢などが出てきた。高級品なのでほんの少ししか出なかったが、少し食べただけでもかなり精がつきそうだ。そしてなんといっても極めつけは生き血!この店では赤ワインで割っていたのだが、どうせなら何も混ぜないでそのままの形で出してほしかったなー。でも全部飲み干すとかなり効いてきたような気がした。

    すっぽんの肝をつつき、生き血をすすり、肉を食らって、すっかり精力絶倫になってしまったのだが、誰が鎮めてくれるわけでもなく、夜寝付けないままこんな時間までこうやって独り寂しくブログを書いているのだった……。

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  • パスポートの要らない韓国

    日本国内に、韓国と呼ばれる場所がある。韓国→大韓民国→大ハン民国→大阪民国、つまり、大阪のことである。事実、大阪近辺には在日コリアンも多いし、大阪の地域性も朝鮮半島のそれによく似ていると言われているのが、日本の中の韓国と呼ばれる所以だ。

    その大阪のとある焼肉屋に大学のサークルのOBたちが集まって新年会を開いた。年齢層も職業もばらばらで一種の「異業種交流会」の様相を呈していたのだが、まあ雑談に興じるというのが本来の目的といったところだろう。

    僕が座っていたテーブルには教員や学校事務関係の人たちがおり、その人たちの話に耳を傾ける。いわゆる大阪近辺のDQN校といわれる中学校で、学級崩壊の凄まじさを教育現場の目から訴えていた。ワルの限りを尽くす生徒たち。注意すると反抗するばかりか、暴力まで振るってくる。教員側は手を出すことはもちろん、生徒の暴力行為を防ぐことさえ、下手をすればそのDQNの保護者による糾弾の対象となるので、何もすることができない。生徒は相手が何もできないことを知った上で、さらに輪をかけて舐めてかかってくる。

    「最近『ゆとり教育』がどうのこうの問題になっているけど、こっちはそれどころの話じゃない。中央のお役人が学校に視察したりするけど、あんなのみんな『上位校』に行って適当に上辺を見て回ってるだけ。もっと現場を見てから議論せえっちゅーねん!」と息巻いていた。

    森だけでなく、木を見ることの大切さを痛感した次第である。