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スチュワーデスのブログ
前回の「続続・ものを書くこと」「個人の発言に所属組織はどこまで責任を負うべきか」のエントリに関連して。 社員のWebサイトやブログでの情報発信について、一般以上にナーバスになっている業界がある。航空会社だ。 その航空会社の顔ともいえる、客室乗務員、つまりスチュワーデスが、個人でサイトやブログを持つことには、各社ともかなり神経をとがらせているという。 言うまでもなく、航空会社は航空機の安全な運行が使命であり、お客様に安心して利用していただけるよう、その企業イメージの維持管理に腐心している。一方、その客室乗務員(CA)は、保安要員であると同時にお客様への重要な"顔"としての役割を果たしており、かつては採用条件として"容姿端麗であること"と募集要項に書かれていたほどだ。そのため、「スチュワーデス=美人」というイメージが今でもつきまとっており、またCA自身も、その華やかなイメージに憧れてその仕事を選んだ人が少なくない。 そして、そのCAが、自分の個人Webサイトやブログを開設するとなると、やはり話題はその仕事内容が中心となる場合が多い。それは、自身の虚栄心からくる場合もあるだろうし、何よりも、僕を含めた世の男性たちが、"スチュワーデスの裏話"的な話題を期待しているからということが大きいだろう。 しかしながら、航空会社としては、CAは自社の"顔"である以前に"保安要員"だ。その"保安要員"という前提が崩れて、"スチュワーデス=美人=セックスアピール豊富"というイメージが独り歩きすることを、会社の品格を損なうものとして極端に嫌うようだ。そのせいか、CAにはその行動について公私にわたり厳しくチェックを入れるそうで、個人サイトやブログについても、かなり制限があるらしい。もちろんお客をさして「きんもーっ☆」などと書こうものなら、即呼び出しを受けてきつくお灸をすえられることだろう。デルタ航空の米国人CAは、自社の制服を着た写真をブログにアップしたことが原因で、解雇されるにまで至っている。 「きゃびんあてんだんと用語集」というWebサイトを管理している元CAのRiseさんは、現役時代、このサイトのせいでいろんな批判を受けたという。本人の弁では、とかく"特別なもの"として高みに置かれがちなCAという仕事の裏事情を広く一般に知ってもらうことで、CAを身近に感じてもらいたい、というのが開設の趣旨だったとのことだが、"高みに置かれる"ことに慣れた他の先輩CAを中心に、相当叩かれたそうだ。そのせいかどうか知らないが、今はCAを辞め、フランス語の翻訳家を目指して奮闘しているとのこと。 CAというものを"聖域"として守りたい人々、自分の仕事を紹介して目立ちたいCAたち(志望者も含む)、機密事項をできるだけ外に出されないように神経を尖らせている人間、CA事情のネタを期待する男性たち……そういった色々な人の思惑やしがらみにかき回されながら、それでもCAのサイトやブログは次々に現れては消え、書かれては会社に通報されて消され……を繰り返している。そして、それらをウォッチしては、一抹の期待を抱きながらコメントを入れてお近づきになろうとする我々がいる。 スチュワーデスが"憧れの職業"である限り、それは終わることはない。 【関連サイト】 裏クルーネット「スッチーのブログ & HP パート3」 Technoratiタグ: 雑感 | ブログ | 航空 | スッチー |
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個人の発言に所属組織はどこまで責任を負うべきか
昨日のエントリでも紹介したネイサンズ「きんもーっ☆」事件だが、この事件の本質は大きく分けて次の2点に集約されるだろう。 バイト個人がコミケ参加者を指して「オタ」呼ばわりし、自分のブログで「恐い!きもい!」等と発信した件について そのバイトを雇っていた企業にどこまで責任があるか このうち1については、個人ブログ上でのこととはいえ特定の層の人間を貶める発言は感心しないのは当然だし、なによりも勤務時間中に携帯カメラで写真を撮り、バイトとはいえいやしくも客商売をやっている人間が客を含む人間を指して嘲笑するということは、決して許されることではない。叩く方もいささかやりすぎの感は否めないものの、その気持ちは理解できなくはない。 一方、2について、たまたま雇ったバイトが自分の会社名を出して問題を起こしたとき、その雇い主はどこまで責任を負うことになるのだろうか。今回はそこに焦点を絞って考えてみたい。 ネイサンズ「きんもーっ☆」事件 ホットドッグなどを提供する米国Nathan's社の日本法人であるネイサンズ・フランチャイジー・オブ・ジャパンが、8月13日・14日両日にかけて行われたコミックマーケット(コミケ)会場近くで屋台式の移動店舗を使ってコミケ客を中心にホットドッグ等を売っていたところ、そこのアルバイト女性の1人が、自分のバイト先の内部の情況や客として来店するコミケ参加者らを携帯カメラで撮影し、それを「まぁお客はみんなオタ」「大量オタ。これほんの一部ですからね。これがぶぁぁぁぁあっているの。恐い!きもい!」などというコメント付きで自分の個人ブログで紹介したところ、それがたまたま目に留まったコミケ参加者らを中心に2ちゃんねるで祭り(急激な話題沸騰)状態となり、そのバイト女性へのバッシングと、彼女を雇っていたネイサンズ・フランチャイジー・オブ・ジャパンに対し批判が続出。ネイサンズへの抗議メールなども殺到し、社長をも巻き込んだ大騒動となった。そのバイト女性が別のエントリで「もえるるぶ」を指してコメントした「きんもーっ☆」は一時流行語に。詳しくはまとめサイト参照。 fjなどのネットニュースが全盛期だった時代には、投稿者は実名と所属を明かして投稿するのが当たり前だった。投稿記事の書き出しには「○○@△△大学です。」のような自己紹介文が必ずあって、ネットニュースとは学歴・職業自慢の場かとも思えるような状態だったのだが、そこでの発言内容はあくまで発言者個人のものであって、その所属する組織の見解ではないというのが、参加者の共通認識だった。 もちろん発言内容に反対する人がいてフレームウォーに発展することもまれではなかったが、攻撃対象はあくまでその発言内容そのもの(あるいは発言者)であって、その所属組織としての見解についてまで追及されることはなかった。もしそんなことをしたら、逆に攻撃者のほうが「ワナビー」だの「田舎者」だのと嘲笑を受けただろう。 こういった考え方からすれば、今回の事件でネイサンズに抗議した人たちは、抗議する対象を間違えているといえるだろう。あくまで非はこんな思慮不足の内容を嬉々としてアップしたバイト一人にあるのであって、その内容がネイサンズ自体の見解ではないことはもちろん、むしろネイサンズ側は自社の名前を勝手に出された上にイメージダウンまでされた、被害者というべきだろう。 企業の管理責任について問う声もある。このようなバイトを採用した企業に責任はないのか、ということなのだが、バイトとして雇われる人の個人的な嗜好や、思想、信条などをいちいち採用時にチェックすることは現実的でないし、またそれら理由に採用を拒否することは、許されないことである。勤務時間中に仕事の手を休めて写真を撮っていたということについては、あくまで労務管理上の問題であり、会社とそのバイト個人との間の問題である。その写真を見た客が会社に対して抱くイメージがダウンするということはあるかもしれないが、税金で養われている公務員が仕事をサボッているのとは違い、気に入らなければそこで買わないようにすれば済む話であって、それと会社の責任問題とは別物だろう。 つまり、この問題については、企業側には責任はない、とみるのが自然ではないだろうか。 さて、この件について、ネイサンズでは社長名で以下のようなコメントをウェブサイト上に発表した。 ネイサンズのお客様へ いつもネイサンズホットドッグをご愛顧いただき、誠にありがとうございます。 さて、先日、お客様を不愉快にさせてしまいました、「コミックマーケット」に出店したネイサンズ移動店舗内スタッフによるブログ上の発言につきまして、以下の見解をお伝えしたく、ご一読いただければ幸いです。 「人種の坩堝」ニューヨークから来たネイサンズは、様々な国籍・価値観をお持ちのお客様に長年愛され続けています。 その企業体質は当然わが国におきましても継承されるべきものであり、私共、株式会社ネイサンズフランチャイジーオブジャパンも日々努力しております。 従いまして、今回の件につきましてはきわめて遺憾であります。 「コミックマーケット」をはじめとし、各地で行われる様々なイベントへ積極的に参加させていただいている現状、それぞれのご当地、お客様に歓迎されている現状を省みますと、いかんともしがたい胸中です。 調査の結果、本件は当社ブランドを使用する「フランチャイズ」企業が独自に雇用したアルバイトの極めて不適切な表現が引き起こした事態であり、当社の企業コンプライアンスとは正反対の内容です。 また、当該ブログにつきましては、当社との関わりはまったくございません。 しかしながら、「フランチャイズ」企業を管理・監督する責務をもつ当社といたしましては、本件に類する自体の再発防止に全力を尽くし、お客様から失った「信頼」を取り戻すべく、社員一同、努力いたします。 以上、簡単ではありますが、当社の反省と今後の決意を述べさせていただきました。 2005年8月 株式会社ネイサンズフランチャイジーオブジャパン 代表取締役社長 竹内秀樹 騒ぎが大きくなりすぎたために何らかの対処を求められたことを受けてのコメントだが、「今回の件につきましてはきわめて遺憾であります。」とは書かれているが、謝罪は一切していない。「調査の結果、本件は当社ブランドを使用する「フランチャイズ」企業が独自に雇用したアルバイトの極めて不適切な表現が引き起こした事態であり、当社の企業コンプライアンスとは正反対の内容です。」「また、当該ブログにつきましては、当社との関わりはまったくございません。」という文から、あくまで今回の一件はバイトが勝手にブログを書いたもので、企業には責任はないと言っていることがわかる。ただ、道義的な面で顧客との信頼を取り戻すために「本件に類する自体の再発防止に全力を尽くし、(中略)社員一同、努力いたします。」と述べているに過ぎないのである。 とはいえ、昨今のセキュリティ意識の高まりもあり、企業としても従業員の情報発信を野放図に放置することも、だんだんできなくなりつつある。この手のトラブルを避けるために、あらかじめ従業員に対し、情報発信に関する覚書のようなものを取り交わすという事態もこれから考えられるかもしれない。国家や社会の制約から外れ、治外法権的に自由にものが書けるのがインターネットの大きな長所の1つだったが、それらも徐々に制限されて、息苦しいネット社会になる時代も、近いかもしれない。 Technoratiタグ: 雑感 | ブログ | きんもーっ☆ |
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続続・ものを書くこと
ブログがすっかりインターネットの世界でメジャーになったようだ。僕がブログを書き始めた1年半ほど前では、ブログはまだまだ一部の先進的なインターネットユーザが作っていただけで、ブログサイトも木村剛氏や松永英明氏などの大御所がほとんどだったのだが、今では、ちょっと個人サイトを作っていただけの人でも、流行りのようにブログを書くようになった。単なるWeb日記というものは昔からあったが、トラックバックによって他のブログと関連付けられる機能などが人気を集めたものと思われる。 それこそネコも杓子もブログを書くようになったのだが、ブロガーのライティングスキルにも個人差があり、中には何気なく書いたことで問題を起こしてしまうブログも散見されるようだ。 先月、コミケ会場近くでコミケ客相手にホットドッグなどを売るアメリカのNathan'sの日本フランチャイズ店でバイトしていた笹間某というお嬢さんが、コミケの入場者を写真に撮って自分のブログで「みんなオタ」「これがぶぁぁぁぁあっているの。恐い!きもい!」などとコメントしたり、コンビニに売られてる「もえるるぶ」(情報誌「るるぶ」の萌え情報版)を手にとった写真とともに「もえるるぶってどないやねん!きんもーっ☆中にはコスプレがあるとこなどが案内されてます。きもすぎです」などと書いていたところ、たまたま目に留まった読者らから猛反撃を受け、彼女を雇用していたNathan'sが謝罪に乗り出す対応に追われるという騒ぎがあった。また、女性下着メーカー「トリンプ」の吉越浩一郎社長が、日経新聞連載中の男尊女卑エロオヤジ小説といわれる渡辺淳一「愛の流刑地」を絶賛し、渡辺氏に自社の下着のサンプルをプレゼントまでしていたことを自分のブログに書いたところ、「愛の流刑地」に批判的な女性陣を中心に吊るし上げに遭い、ブログ閉鎖に追い込まれてしまったという事件もあった。 おそらく、書いた本人は深く考えずに自分の思ったことをそのまま書き散らしただけに違いない。しかし、ものを書くということは、本来とても難しい作業なのだ。素人の生兵法でブログに手を出すことは、大ヤケドのもとになる。 ブログを書こうとする人は、Rebbeca Blood著 yomoyomo訳「ウェブログ・ハンドブック」をまず読んだほうがよいだろう。この本についてはこのエントリーでも述べているが、個人でブログを書くときの非常に重要な助言や示唆がまとめられている。繰り返しになるが、ここでその内容を引用しておきたい。 この本でポイントとなっていたのは、「とにかく、自分の書きたいときに、書きたいものだけを書くこと」を強調していたことだろう。個人でブログを運営するときには、最初は自分が書きたいことを書いているのだが、だんだん読者が増え、固定客がつくようになってくると、そのうち自分の書きたいことよりも、読者に受ける内容を書かなければという強迫観念に取り付かれてしまい、いきおい大衆に迎合して自分を見失ってしまうことが往々にして起こる。そうなってしまうと、ブログを書く本来の楽しみが失われてしまい、一体誰のためにこんなことをしているのかわからなくなってしまう。これでは書き手も読み手も不幸だ。著者は、このように自分らしさを失ってしまったブロガーには、しばらく休養をとることを勧めている。休養をとったあと、再び〈書きたい〉という気持ちになったなら、そのときにまた復活すればよい。ブログとは、不特定多数を楽しませるためではなく、1人のオーディエンス、つまり書き手自身に向けて書くべきであると主張している。 もう一つ忘れてならないこととして指摘されていたのが、「ブログに一旦書いたことは、あとから訂正がきかない」ということ。確かにブログツールの編集機能を使えばあとから修正することはできる。しかし、修正するまでの間にサーチロボットにキャッシュされてしまえば編集前のテキストがどこかに残ってしまうし、第一、書いた内容を、あとから事情が変わったからといって、その履歴を残すことなく簡単に修正したり、削除して最初からなかったことのようにできてしまうようでは、媒体としての健全性に欠けるではないか。ブログに一旦書いた内容を修正するときは、リライトしたり削除したりするのではなく、追記という形で補足するのが正しい使い方である、というのである。これは独りブログに限らず、ウェブサイト全般にいえることなのだが、ひとたび発言するからにはその内容には最後まで責任をもつべきである、という著者の主張は、首肯せざるを得ないものがあった。 また、この本には、ブログに書くにあたっての注意も書かれている。特に仕事をしている人や、職探しをしようとする人は、一時の感情で、汚い言葉を使ったり侮辱的な表現で他者を罵るようなエントリを書かないことだ。その時は気が済んでも、将来、その文章が人事担当者の目に留まり、人間性を評価されて不利益を受けることも考えられるからだ。現に、Googleやデルタ航空では、社員が自分の書いたブログがもとで解雇されることも起こっている。 それ以外にも、自分が過去に書いた内容のために、重大な損失をこうむることもある。たとえば、ライブドアの堀江社長の態度が気に入らないという人が、「ホリエモン氏ね」などとブログに書いたとする。あとで、その人の勤める会社がライブドアと協業する案件が持ち上がったとき、「弊社の人間に『氏ね』などと言っている社員がいる御社とは、一緒に仕事できませんね」なんて言われて、大型案件を失注してしまうこともあるかもしれない。そうなったとき、「ホリエモン氏ね」と書いた人は、責任が取れるのか。 ものを書くということは、そこまで責任を負うということなのである。 かくいう僕も、このブログを書くときは、いろいろ気を遣っているつもりだ。僕自身、ブログを書くときに心がけていることは、以下の3点だ。 (1) 読んでいる人の身になって 読む人が不快にならないよう表現に気を遣うことはもちろんだが、内輪ウケ的な内容にならないよう、状況の詳細な説明を加えて、初めて読む方や内部事情を知らない第三者の方でもフラストレーションを感じずに読み進められるように心がけている。 (2) 会社や仕事の出来事については書かない 最近、会社ではセキュリティに関する意識が高まってきているということもあるので、勤務先の情報はもちろん、業務内容の詳細についても、機密事項に触れる可能性もあるし、ニュースリリースに出ているもの以外は、書かないようにしている。 あんまり仕事関係のテクニカルな内容のネタだと喜んで突っ込んでくる人が周りにいっぱいいるから、というのもあるけど(爆) よっぽどおもしろいネタがあったら書くかもしれないが。 (3) 雑誌のコラムを連載しているつもりで つまらない内容のコラムを書いているコラムニストは、即仕事を打ち切られ、そのうち干されてしまう。僕は決してプロのライターではないが、公の場に出す文章に、プロもアマチュアもないと思っている。一つのネタを取り上げるにしても、商業作家のコラムにもひけをとらないレベルにまで料理できれば嬉しい。これはなかなかできていないが……。 無名の個人でも自分の意見を堂々と表明できるのがインターネットの大きな利点なのだが、言うまでもなく、自分の意見を出すからには、それが及ぼす結果についても、自分で責任を負わなければならない。それができない人は、お手軽にブログなど作るべきではないのである。 最後に、ブログ女王・眞鍋かをりさんの言葉を引用したい。 読んだ人が傷ついたりしないように、とか、読む人のことを必ず意識して書いています。それは読まれるために必要なこと。"読まれるブログ"と"読まれないブログ"の差が出てくるのは、そういうところに理由があるのだと思います。 【関連サイト】 「オタ」「きもい」──スタッフのブログ発言、企業を巻き込む騒動に EFF、ブログでクビにならないためのガイドラインを発表(CNET Japan) コミケでhotdogを売ったホクロが客をオタと呼びキモイとblogにかいた トリンプ Technoratiタグ: 雑感 | ブログ | きんもーっ☆ | トリンプ事件 |
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ブログ再構築
松永英明氏「ウェブログ@ことのは」の手法「ジェームズ・アレン・ネットをMovableTypeで構築」を参考にして、僕のブログを再構築した。 「ひめみこ*WEB」のニュース部分(時系列で更新される部分)とデータベース部分(時系列に並べる性質でない部分)とを別々のブログに分け、ニュースブログの内部にデータベースブログを読み込ませる方法をとった。Global ListingsとMTOtherBlogをプラグインに追加することによって実現可能となる。
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PermalinkのURLをカスタマイズする
Movable TypeのPermalinkのURLを http://~/archives/数字.html という形ではなく、好きな名前に変える方法である。 Permalinkを変更(Chitatopops) MovableTypeのページ分割/Permalinkの変更(ARTIFACT -人工事実-) 「ひめみこ*WEB」のほうでさっそくためしてみた。ページ構成が変わっているので、各ページに直リンクを張っている方はチェックしていただけると幸いである。
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ウェブログ・ハンドブック
Rebbeca Blood著 yomoyomo訳「ウェブログ・ハンドブック」読了。ウェブログの概要から書き方まで、特定のウェブログツールに偏らず、一般論を中心とした解説とアドバイスが中心であった。 この本でポイントとなっていたのは、「とにかく、自分の書きたいときに、書きたいものだけを書くこと」を強調していたことだろう。個人でブログを運営するときには、最初は自分が書きたいことを書いているのだが、だんだん読者が増え、固定客がつくようになってくると、そのうち自分の書きたいことよりも、読者に受ける内容を書かなければという強迫観念に取り付かれてしまい、いきおい大衆に迎合して自分を見失ってしまうことが往々にして起こる。そうなってしまうと、ブログを書く本来の楽しみが失われてしまい、一体誰のためにこんなことをしているのかわからなくなってしまう。これでは書き手も読み手も不幸だ。著者は、このように自分らしさを失ってしまったブロガーには、しばらく休養をとることを勧めている。休養をとったあと、再び〈書きたい〉という気持ちになったなら、そのときにまた復活すればよい。ブログとは、不特定多数を楽しませるためではなく、1人のオーディエンス、つまり書き手自身に向けて書くべきであると主張している。 もう一つ忘れてならないこととして指摘されていたのが、「ブログに一旦書いたことは、あとから訂正がきかない」ということ。確かにブログツールの編集機能を使えばあとから修正することはできる。しかし、修正するまでの間にサーチロボットにキャッシュされてしまえば編集前のテキストがどこかに残ってしまうし、第一、書いた内容を、あとから事情が変わったからといって、その履歴を残すことなく簡単に修正したり、削除して最初からなかったことのようにできてしまうようでは、媒体としての健全性に欠けるではないか。ブログに一旦書いた内容を修正するときは、リライトしたり削除したりするのではなく、追記という形で補足するのが正しい使い方である、というのである。これは独りブログに限らず、ウェブサイト全般にいえることなのだが、ひとたび発言するからにはその内容には最後まで責任をもつべきである、という著者の主張は、首肯せざるを得ないものがあった。 毎日コミュニケーションズ。本体価格¥1,905。
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ものを書くこと
僕にとって、ものを書くということは、他のどんな表現手段――音楽や、絵画や、演劇や、映画などといった手段――よりも、一番手っ取り早く、easy-to-doな自己表現手段だと思う。何よりおカネがかからない。特にWebというメディアでは、最低限の機材とソフトウェアさえあれば、それがいともたやすく実現できてしまう。それに、口で言うとリアルタイムでやり直しがきかないことでも、書くのであれば、あとで推敲したり、編集したり、削除したりすることができる。 僕はいままで、ホームページというメディアで情報発信してきた。それはWeb黎明期には個人の情報発信手段としては絶大かつ画期的なものであった。しかしWebという表現手段が普及し、Webにまつわる技術が長足の進歩を遂げるようになると、凝ったサイトを作るのにもお金をかけて稼動や工数を見積もり、プロジェクトチーム単位で動かさなければならなくなった。 それでは、お金も何もない一個人は、どうすればいいのか。 そこで、ブログという手段がここ1年ほどの間に急に注目を浴びるようになった。僕も今まではあまり知らなかったのだが、アメリカではブログが個人の情報発信の標準的なツールになっているらしい。ブログツールの日本語化の進歩に伴って、日本でも最近、にわかに脚光を浴びるようになっている。 新しいもの好きの僕としては、使える技術は何でも使ってみることを信条としていることもあるし、こういう流れに遅れるわけにはいかない。ということで、ブログがどんなものか、にわか勉強を始めたのが今年に入ってすぐ。それから数週間、解説書と首っぴきになりながらようやく開設にこぎつけた。 「ものを書く技術」を磨きたい――その気持ちを大事にして、毎日でも何か書けるように、ブログをいろいろ活用してみようと思う。