Category: People 人

  • 黒川紀章氏死去

    建築家の黒川紀章氏が死去
     世界的な建築家として知られる文化功労者、日本芸術院会員の黒川紀章(くろかわ・きしょう)さんが12日午前8時42分、入院中の東京女子医科大学病院(東京都新宿区)で、心不全のため死去した。73歳だった。体調を崩し、9日から同病院に入院していた。告別式は親族で営む予定。妻は、女優の若尾文子さん。

    今年の都知事選のときに、私はこの人に投票しちゃったんですが、もしこの人が都知事になってたら、こんな急な亡くなり方をしたら今頃都政は大混乱になってたでしょうね。
    ともあれ、黒川氏のご冥福をお祈りいたします。

  • 阿久悠さん死去

    阿久悠さん死去 歌謡曲黄金期の作詞家
    (共同通信) 2007年8月1日(水)16:41
     70-80年代の歌謡曲黄金期を代表する作詞家、阿久悠(本名深田公之)さんが1日午前5時29分、尿管がんのため死去した。70歳。兵庫県出身。67年、作詞家デビュー。山本リンダの「どうにもとまらない」、森昌子の「せんせい」、都はるみの「北の宿から」、沢田研二の「勝手にしやがれ」などアイドルポップスから演歌までジャンルを超えたヒットメーカーだった。小説も執筆。99年に紫綬褒章受賞。
    gooニュース

    阪神間では有名すぎるぐらいの方でしたが、ご冥福をお祈りします。

  • 宮沢元首相死去

    「保守リベラリスト」として知られた自民党元衆院議員、宮沢喜一(みやざわ・きいち)元首相が28日午後1時16分、老衰のため東京の自宅で死去した。87歳。通夜・密葬は近親者のみで行い、告別式は内閣・自民党葬などが検討されている。自宅は東京都渋谷区神宮前6の34の1。喪主は妻庸子(ようこ)さん。

  • 松岡農相&ZARDボーカル死去

    会社帰り、売店の夕刊紙の見出しに、2人も訃報記事が踊ってました。
    まずは、ナントカ還元水の某大臣の訃報です。

    松岡農相が自殺、議員宿舎で首つり
    (読売新聞 – 05月28日 13:11)
     28日正午すぎ、東京都港区赤坂2の新衆議院議員宿舎1102号室で、この部屋に住む自民党衆院議員・松岡利勝農相(62)が首をつっているのを、同室を訪ねてきた秘書が見つけた。
     同日午後0時29分に119番通報を受けた救急隊が、現場で蘇生(そせい)措置を行って慶応大病院(新宿区)に搬送した。
     松岡農相は午後2時、死亡が確認された。警視庁は、松岡農相が自殺を図ったとみて調べている。
     同庁によると、松岡農相は同日正午に宿舎を出る予定だったが、正午過ぎになっても、部屋から出てこなかったため、秘書が室内に入ったところ、松岡農相がリビングのドアの上部に、布製のひもをかけて首をつっているのを発見した。待機していた警視庁の警護官(SP)に連絡した。

    かと思えば、ZARDのこの人も!

    ZARDの坂井泉水さん死去
    (時事通信社 – 05月28日 13:10)
     人気ポップスグループZARDのボーカル、坂井泉水(さかい・いずみ、本名蒲池幸子=かまち・さちこ)さんが27日午後3時10分、東京都新宿区内の病院で死去した。28日所属事務所が発表した。40歳だった。神奈川県出身。葬儀は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。
     坂井さんは、子宮頸(けい)がんのため昨年6月に手術を行ったが、がんが肺に転移していることが分かり、今年4月から再入院していた。26日早朝、散歩中に病院の階段で転落して後頭部を強打、脳挫傷で死亡した。警視庁四谷署によると、階段の手すりに飛び降りた跡があり、自殺と事故の両面で調べている。

    ご冥福をお祈りします……。

  • 横山ノック師匠死去

    横山ノックさんが死去 前大阪府知事、75歳
    タレントで前大阪府知事の横山ノック(よこやま・のっく、本名・山田勇=やまだ・いさむ)さんが3日、中咽頭(いんとう)がんのため兵庫県西宮市の病院で亡くなった。75歳。
    (毎日新聞 – 05月03日 18:21)

    いろいろと波乱万丈の人生だったとは思いますが、また一人、時代を彩った人が亡くなっていきました。
    世は無常。

  • 植木等さん死去

    植木等さん死去=「スーダラ節」「無責任男」で一世を風靡

    (時事通信社 – 03月27日 21:00)

     「スーダラ節」などのヒット曲で一世を風靡(ふうび)し、「ニッポン無責任時代」などの映画に主演した俳優で歌手の植木等(うえき・ひとし)さんが27日午前10時41分、呼吸不全のため東京都内の病院で亡くなった。80歳だった。自宅住所は非公表。葬儀は近親者のみの密葬で行い、後日、お別れの会を開く。
     三重県宮川村(現大台町)に寺の住職の三男として生まれた。11歳の時に東京へ僧侶修行に出されるが、歌手を志し、バンドボーイなどを経て、1957年にハナ肇率いるクレージーキャッツに加入。テレビのバラエティー番組「シャボン玉ホリデー」への出演などを機に茶の間の人気者となり、「スーダラ節」や「ハイ それまでョ」などを次々とヒットさせた。
     コメディアンとしても活躍し、62年にはクレージーキャッツのメンバーも出演した映画「ニッポン無責任時代」で主演。とんとん拍子で出世していくお調子者のキャラクターが、高度経済成長下の世相とマッチし、人気を得た。その後、「無責任男」シリーズのほか、「日本一のホラ吹き男」などの「日本一」シリーズ、「クレージー作戦 先手必勝」などの「クレージー」シリーズが相次いで上映された。
     90年には若者を中心に人気が復活。「スーダラ節」などの持ち歌をメドレーにした「スーダラ伝説」がヒットし、23年ぶりに「NHK紅白歌合戦」に出演。93年に紫綬褒章、99年には勲四等旭日小綬章を受けた。 

    植木等とは・・・
    「あしたのジョー」の矢吹丈が少年鑑別所の心理テストで
    「『両親』という言葉から連想するものは」と問われたときに答えたもの。
    そのココロは「無責任」。
    ともあれ、ご冥福をお祈りします。

  • 青島幸男さん、岸田今日子さん、中島忠幸さん死去

    前都知事の青島幸男さんが死去
     放送作家、俳優、小説家、国会議員とテレビ時代を代表した「マルチ人間」で、前東京都知事の青島幸男(あおしま・ゆきお)氏が20日午前9時31分、骨髄異形成症候群のため東京都内の病院で死去した。74歳。東京都出身。自宅は東京都江東区。葬儀・告別式は27日正午から東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。喪主は長男利幸(としゆき)氏。
     1955年(昭和30年)、早大商学部卒。同大学院中退。在学中に漫才の台本を書いたのがきっかけで芸能界とかかわり、日本テレビ系の「シャボン玉ホリデー」などでコント作家として活躍。「青島だあ」などの流行語を生み出した。
     植木等さんの「スーダラ節」などのヒット曲も作詞。俳優としてはフジテレビ系の「意地悪ばあさん」が代表作。81年には祖母をモデルにした「人間万事塞翁(さいおう)が丙午(ひのえうま)」で第85回直木賞を受賞。68年、参院全国区で初当選し5期24年間、参院議員を務めた。
     95年の東京都知事選に無所属で立候補し、既成政党の候補らを抑えて当選。都が開催予定だった世界都市博覧会を公約通り中止した。99年に退任後、タレント活動を再開していた。
    (日刊スポーツ)

    女優の岸田今日子さん死去
    アニメ・ムーミンの声などで知られる個性派女優の岸田今日子さんが17日午後、脳腫瘍による呼吸不全のため死去した。76歳。
     1930年(昭和5年)4月29日、東京生まれ。父は劇作家の岸田国士、姉は詩人の岸田衿子。文学座を経て、映画「砂の女」(64年)で注目され、シェークスピア劇に多数出演する。私生活では54年に文学座の仲谷昇と結婚、長女まゆさん(25)をもうけるが、78年に離婚した。
    (日刊スポーツ)

    お笑い、カンニングの中島忠幸さん死去
     人気お笑いコンビ、カンニングの中島忠幸(なかしま・ただゆき)さんが20日午前、白血病ウイルス性肺炎のため都内の病院で死去した。35歳だった。中島さんは04年12月末に急性リンパ球性白血病で入院。入退院を繰り返しながら闘病生活を送っていた。
    (日刊スポーツ)

    今日は訃報大杉です。

    意地悪ばあさんは小学生ぐらいの頃よく楽しんで見ていたので青島さんの訃報はショックです。

    演劇集団円の研修生の女の子が行きつけのダーツバーにいるのでそこの所属の岸田さんの訃報はショックです。

    35歳という僕とそんなに変わらない歳で亡くなった中島さんの訃報はもっとショックです。

    皆様のご冥福をお祈りします。。。

  • 「クイズダービー」はらたいらさん死去

    漫画家はらたいらさん死去
    テレビのクイズ番組でも活躍した漫画家のはらたいら(本名・原平)さんが10日、肝不全のため死去した。63歳だった。告別式は15日午前11時30分、東京都板橋区板橋1の48の13新板橋駅前ホール。自宅は文京区小石川4の18の7の807。喪主は妻、原ちず子さん。
    (毎日新聞)

    まんが日本昔ばなし→クイズダービー→8時だヨ!全員集合
    が僕の子供時代の定番土曜日の夜の過ごし方
    でした。
    ご冥福をお祈りします。

  • ARPA

    Arpa.jpg
    Yesterday evening I went to see the concert of Masako Masunaga in Higashi Nakano. Masako Masunaga has been working for Osaka University as an assistant of the laboratory where I studied, and is now one of Japan’s famous arpa players. She already released one CD in 2003, and is going to release the second CD in October this year.
    I did neither know what arpa was nor that she had become so famous as an arpista until a colleague of the laboratory let me know about her tour. All I knew about arpa was the ARPANET, the Advanced Research Projects Agency network.
    For those of you who don’t know about it, an arpa is a 37-string harp-like plucking musical instrument derived from Spain and Latin American countries like Mexico, Paraguay, Guatemala and Venezuela. It is lighter and a bit smaller than a classical harp, and is very popular among the people in those countries.
    On the stage in Higashi Nakano, she played it very cheerfully and sometimes gracefully for about two hours counting the inclusion of a 15-minute break in the middle. She said that she was playing the arpa for cheering up the people who were struggling against their own stressful life.
    Asking how she came across an arpa, she answered that she had "happened to" listen to music played by an arpa when she had been invited to a famous arpista‘s house and, being attracted to it, she had asked her to teach how to play the arpa the next day.
    "It was a great chance for me to change my life," she added. Indeed, her life became more glorious than ever by an arpa.
    Everybody has a chance to find the way of success. The point is that you should never give up trying to search for it.