私の別サイト「HIMEMIKO*WEB」を閉じる事にしました。サイト10周年を前に非常に辛い決断です。
このサイトを立ち上げたのは1998年11月のことでした。当時、手塚治虫の漫画「火の鳥・太陽編」を読んでいて、そこに出てくる十市媛という女性のことが気になって、彼女のことを調べてみようと思ったんですが、当時ネットを探しても満足な情報が得られず、なら自分で作ってしまえと思って、自分でいろいろ調べて彼女について紹介したサイトを作ったのです。当時は満足なHTMLソフトもなかったので、手でタグを打って単純なFTPソフトを使ってファイルをアップロードして作ってました。そうして作ったサイトを「十市皇女~山吹の常処女~」というタイトルで検索エンジンにいろいろ登録しました。
登録すると、たくさんの人が見に来てくれてコメントを残していってくださったので、私はそれらに全部返信し、十市皇女やこのあたりの時代に興味のある人たちと数え切れないほど出会い、いい思い(恋愛含め)もいろいろさせていただきました。
人との交流だけでなく、CGIスクリプトを使って簡単な掲示板やゲストブックなどを自作したり、サイトとデータベースとの通信をしたりすることなどで、HTMLやHTTPの技術的なスキルも身に付いたと思います。
2000年代前半の5年間は、高機能なWEBブラウザができてきて重たい画像や動画などを含んだ凝ったページを楽に見られるようになったこともあり、個人サイトがいっぱいありました。個人は少ない費用で自分の発信したい情報をアップロードし、そしてそれらのほとんどが、旧来のマスメディアとは違った視点に立っていて、独創的で有益なものばかりでした。
私のサイトも情報量を増やし、同好の士のお役に立ってきました。2003年には、十市皇女だけでなく時代の似た皇女16人を増やしました。2004年にはサイトのタイトルをHIMEMIKO*WEBに変え、日英両語でページをつくり、世界中の人が理解できるようにしました。
ところが、数年前から資金力豊富なマスメディアや大企業がネットに参入してきました。すぐれたデザイナーや技術者を使ってこれらの企業が作ったサイトのほうがはるかによくできており、情報量も多く、専門の保守チームにより24時間365日の管理ができるとあって、資金力・時間・情報量に劣る個人のウェブマスターたちは、その存在意義を失っていきました。
また、WEB関連の技術が複雑化し、個人は理解できなくなってきました。DHTMLやAjaxなどの、サイトに彩りと対話性をもたらす新しい技術が次々に現れ、覚えることが多すぎてついていけなくなっていきました。私たちは忙しい身なので、これらを全部マスターする時間などとてもありません。
同時に、WEB2.0の考え方が広まり、私たちは難しい技術を学んで個人サイトを管理しなくても、もっと簡単に情報発信する手段ができてきました。ブログを書くというのが自己紹介の最も簡単な方法であり、ブログサイトに登録したり、Movable Typeなどの汎用のブログシステムを導入して少し設定したりするだけでそれができます。知っている知識を公に共有したければ、Wikipediaに寄稿すれば済みます。グーグル、ヤフー、ようつべなどにも情報共有のいいオプションがあります。単に人とつながりたいだけであれば、MySpaceやフェイスブック、mixiやGREEなどのSNSに入ってコミュニティに参加すればよくなりました。
そういう状況にあっては、個人サイトの古きよき時代は終わりを告げたのかもしれません。これからは、別の方法で情報共有をするのがいいのでしょう。そういうわけで、HIMEMIKO*WEBを閉鎖することにしたのです。(忙しくなってきて更新する時間がないという理由もありますが :-)
もちろん、HIMEMIKO*WEBのコンテンツが永遠に見れなくなるというわけではありません。そこで使われていた文章、画像、その他の情報は、WikipediaやGoogleマップなど他のメディアに移り、いろいろな場所で見られるようになります。これまで作ってきたデータを捨てることは決してありません。
この先10年、新しい形でのインターネットとの出会い、そしていろんな物や人と出会えることにワクワクしています。変化の流れについていくのは大変ですが。