「蹴りたい背中」「蛇にピアス」に始まり「電車男」で終わった2004年の文芸界、という印象であるが、この年末をしめくくる「電車男」は、ただの純愛ストーリーというだけではなく、それがインターネット(2ちゃんねる)を通じて行われ、2ちゃんねるでのやりとりがそのまま本になったという点で異色であり、香港でも新聞の記事になるほどだ。
(この先ネタバレあり注意)
「電車男」は、2ちゃんねるの「独身男性」というカテゴリーに属する掲示板(独身男性板)上に、ある男性が自らの体験した出来事を投稿したことが発端となった。ある日、酔っ払いのオヤジに絡まれていた女性たちをたまたま助けた「電車男」は、被害に遭っていた女性たちのうちの、ある若い女性と知り合いになる。酔っ払いを引き渡した警察で当事者全員の連絡先を訊かれた際に「電車男」の住所を知ったその女性から、お礼のしるしに宅配便でエルメスのティーカップセットを贈られる。その「エルメス」女性の律儀さと大人の魅力にすっかり参ってしまった「電車男」は、なんとかしてその女性にお礼の電話をして、できればその女性を食事に誘おうとするが、いかんせん自称「ルックス秋葉系、年齢=彼女いない歴、童t(ry」の彼のこと、これまで女性とマトモに会話すらしたことがなく、心臓バックンバックンになって電話のダイヤルを回すことすらできない。
そこで、彼は2ちゃんねるの独身男性板に助けを求めた。「とにかく今日電話しろ」「今日かけないとずるずると先延ばしになって一生接点がなくなる」等と掲示板の住人たちに励まされ、勇気をふりしぼって、「エルメス」嬢に電話する。結果は好印象。何度か電話を重ねるうちに、彼女と食事の約束を取り付けることに成功した。
しかし、これまで女性を食事に誘ったことのない電車男は、果たして彼女をどこに誘っていいかすらわからない。彼は再び独身男性板の仲間たちに助けを求める。
「めしどこか たのむ」
掲示板の住人たちは、初デートにふさわしいレストラン、テーブルマナー、話題、そして髪型、服装のコーディネートに至るまで、その場に混じっていた女性住人たちも加わって「指南」する。その努力の甲斐あってか、電車男はエルメスを食事に誘い、好印象を得ることに成功する。
そのあとは順調に関係が進展していき、電車男は最初の頃のオドオドした態度はどこへやら、毎日のように"戦果"を独身男性板に書き込んでくるようになった。彼の成功ぶりが半分ねたましくもある独身の住人たちは、まるで敵機の襲来のように"攻撃"しにやってくる電車男に翻弄されつつも、それでも彼のことを応援し続ける。
そして初めての出会いから約2ヶ月後、いよいよ彼にとって人生の岐路を分ける決死の場面がやってきた。
彼女に自分の気持ちを告白する時である。告白の日を前にして足をすくめる電車男を叱咤する住人たち。そしてついに、意を決して彼はエルメスのもとへ向かう……。
この本は、2ちゃんねる特有の用語や符牒がそのまま使われているので、2ちゃんねるになじみがないと読みづらいかもしれないが、怒涛のように進んでいく展開に思わず引き込まれていく。そして、いよいよ感動のクライマックスを迎える。
見事本懐を遂げ、一躍「ネ申」となったこの電車男。だが、彼のサクセスストーリーを一番喜んでいるのは、掲示板の住人たちだったに違いない。女性と手も握ったことすらない、さえない秋葉系エロ同人ヲタだった電車男を、みんなの力でネ申に引き上げることができた喜びもさることながら、彼とそう立場の変わらない独身男性板住人たちにも、あきらめずにぶつかっていけば道が開けることもあるという意味で、大きく希望を与える結果であるからだ。
電車男は、応援してくれた他の独身男性にお礼とともに次のようなメッセージを残している。
アドバイスか…なんだろう?
色んな勇気を持つことかな
あと誰かに相談するとか
ヲタであっても、いつどこにチャンスが転がっているかわからない。絶対にあきらめないことの大切さを、この本は教えてくれる。某劇団の言葉を借りるならば、「Never Say Never」だ。
2ちゃんねるは、匿名掲示板としての性質上、特に負の側面が大きく取りざたされがちで、とかく悪者扱いされやすい。しかし、名もなき一般大衆の力で、物事を大きく動かすこともできるのだということを、この一件は感じさせてくれる。
まさに、Power to the Peopleなのである。