-
香港は死んだ
香港に初めて行ったのは2004年のことで、それ以来、すっかり気に入って、ここのブログでも何度もエントリを書いたり、フォートラベルの旅行記も書いたりするなど、リピーターになってしまっていました。 香港高跳日記~梅窩から中環・100万ドルの夜景、黄大仙、尖沙咀~(フォートラベル)https://4travel.jp/travelogue/11698300 香港〜前年のリベンジで香港大仏、先達広場、新界、そして香港バタフライ〜(フォートラベル)https://4travel.jp/travelogue/11698312 また香港行ってきました(フォートラベル)https://4travel.jp/travelogue/11698329 香港からマカオに足をのばす(フォートラベル)https://4travel.jp/travelogue/11698351https://4travel.jp/travelogue/11698352 チョンキンマンションに泊まる蒸し風呂の夏の香港・深圳3泊4日の旅(フォートラベル)https://4travel.jp/travelogue/11698357https://4travel.jp/travelogue/11718114 香港 ~銀座をブラブラ、大仏・大澳・太平山をめぐる旅~(フォートラベル)https://4travel.jp/travelogue/11718398 元気をもらいに香港弾丸旅行~Apple Watchもゲット~(フォートラベル)https://4travel.jp/travelogue/11698375 香港の魅力というと、西洋菜南街の活気、旺角の先達廣場でのノキアのスマホ物色、ローストダックや亀ゼリー、HSBCの銀行口座、いろいろありますが、やはり、ちょっとゆるくて自由な雰囲気が一番だったと思います。気分が沈んだ時に元気をもらえるというか。 ということでかれこれもう8回訪港しています。
-
Hong Kong is dead
Visiting Hong Kong was one of my favorites since I made the first trip there in 2004. I did it eight times until now. I loved to stroll on Sai Yeung Choi Street South where people were very cheerful and energetic, to enjoy wonton noodles, steamed duck, and gwilinggao at restaurants, to get Nokia’s brand new and second-hand smartphones and accessories at mobile phone shops of the Sincere Podium building in Mong Kok, and to open and use a bank account of HSBC Hong Kong. I saw the Big Buddha at Ngong Ping, visited a prison museum at Stanley, stayed at a hotel of Chungking Mansions, worshipped at Che Kung […]
-
第三次世界大戦の序章
令和二年は悪夢で始まったようです。正確に言うと年のはじめには、2ヶ月後にこうなってるなどと誰も予測し得なかったのです。言うまでもなく、いま世界全体が戦っているもの、つまりコロナウイルスの話です。
-
Prelude to WWIII
The second year of the Reiwa period began with a nightmare. More precisely, at the beginning of the year, nobody could predict what would be going on just two months later. I am talking about what the entire world is fighting against—COVID-19. The coronavirus outbreak has been an urgent global issue. It was just the case of people in a limited area of a particular country, or poor, rich travelers within a trapped gorgeous cruise ship in February. Only a few weeks later, however, it became the case relevant in most parts of the world. Now the situation is changing day by day. For days, thousands of people around the […]
-
シンデモ キャメラヲ ハナシマセンデシタ
「キグチコヘイハ イサマシク イクサニデマシタ。テキノ タマニ アタリマシタガ シンデモ ラッパヲ クチカラ ハナシマセンデシタ。」 尋常小学校の修身の教科書に、日清戦争に従軍し、戦死した木口小平2等卒のエピソードが載っています。ラッパ卒だった木口は、敵に撃たれても息絶えるまでラッパを吹き続けたといわれ、最期の時まで自らの本分を全うした誇らしい例として紹介されています。それを思い起こさせられた今回の事件でした。 <ミャンマー>長井健司さん、銃弾に倒れてもカメラ離さず 9月28日2時6分配信 毎日新聞 銃弾に倒れてもなお、右手に持ったカメラを離さなかった。映像ジャーナリストの長井健司さん(50)は緊張が続くミャンマーの最前線に立ち、取材活動を続けていた。デモ鎮圧のため治安部隊が無差別発砲し、多数の死傷者が出たミャンマーの最大都市ヤンゴン。軍事政権は強硬措置を打ち出し、ついに市民に銃口を向けた。長井さんはその現実を世界に発信しようとしていた。 長井さんはAPF通信社(東京都港区)の契約記者兼カメラマンで、イラク戦争やパレスチナ、中国と北朝鮮の国境地帯など、危険な地域での取材経験が豊富だった。 27日夜、同社の事務所には多くの報道陣が詰めかけた。対応した山路徹社長(46)によると、午後11時過ぎ、外務省からメールで遺体の顔写真3枚が届き、長井さんと確認した。愛媛県今治市に住む長井さんの父親に伝えると、言葉はなく無言だったという。 山路社長は目を赤くしながら、「長井さんは怒りを持って現場に入り取材する人だった。非常に残念だ」と声を詰まらせた。「誰も行かない所に誰かが行かなければならない」が長井さんの口癖だったといい、「実情を伝える人間が1人減ったという思いだが、我々はやるべきことを続けたい」と話した。 長井さんは当初タイ・バンコクで別の取材をしていた。ミャンマーでデモが起きたため「取材したい」と願い出て、25日から現地入り。山路社長が長井さんと最後に会話を交わしたのは、27日昼過ぎで、電話で「現地はまだ比較的平穏だが、これからデモが始まるかもしれない」と話していたという。 ロイター通信が27日配信した写真には、デモ隊と軍の衝突の場面で倒れている男性が写っていた。長井さんの現地リポートを紹介してきた日本テレビは、同日夜の番組で「男性は長井さんとみられる」と報じた。男性はあおむけで苦しそうに顔をゆがめ、腹部に血がにじんでいる。しかし、右手にはビデオカメラが握られていた。 長井さんは26日、日本テレビの番組で「昨日(25日)の夜にヤンゴン入りした。夜は平穏だったが、今日の朝いきなり僧侶のデモがあり、銃を装備した軍が道路を封鎖した。そこに突然、群衆がわーっと来て、挑発するように通り過ぎた。軍の威嚇射撃で現場がパニック状態になった。明日(27日)は何かが起こりそうな不安がある」と現地の状況を語っていた。 ミャンマーで何度も取材してきたカメラマン、三留理男さんは「デモ隊に交じって取材するカメラマンは目立つ。一般的に流れ弾に当たって死亡する確率は低い。軍から狙い撃たれた可能性もある」と推測。その上で「残念な結果だが、武装した軍が非武装の市民に銃口を向ける事態は危険を冒してでも報道する価値がある」と話した。 イラク取材中に銃撃され死亡したジャーナリストの橋田信介さんの妻幸子さんは「ミャンマーでは77年から00年ごろまで夫と30回近く取材をした。ミャンマー人は普段はおとなしいが、突然激しくなることがあり、現地ではフィルム没収などのリスクがつきまとう。現地で長井さんに適切な協力者がいたかどうかが気がかりだ」と語った。 あらためて、ミャンマーで犠牲になった長井さんのご冥福をお祈りいたします。