2021年のキーワード

毎年最後の日に、その年に起こったこと、出会ったこと、印象に残ったことを振り返り、それらを「今年のキーワード」としてまとめています。例えば、2020年のキーワードは、シナぷしゅ拳銃プログラミングでした。2019年のキーワードは北海道メルカリグランドチェロキーでした。

悲しいかな、今年はあまり感動するようなことを体験できませんでした。コロナ禍により、ほとんどの月で全国的に非常事態宣言が発令されたため、一日中家にいるか、近くのスーパーに買い物に行くか、自宅から数キロのところに車を走らせるぐらいしかすることがありませんでした。

そんな単調な毎日でも、新しい出会いというのはあるもので、今年を総括すると、2021年のキーワードは、グーグルマップ近江友里恵卒業東京五輪・パラリンピックデスゲームになりました。

グーグルマップ

今年はグーグルマップの編集を始めました。グーグルのアカウントを持っていると、グーグルマップ上のポイントについて、情報を編集する提案をすることができます。グーグルのスタッフがそれを承認すると、グーグルマップ上に反映されるしくみです。

私は今年から、日本地図に掲載されている地点について、英語名の追加や正しい英語名への変更を提案したりする活動を始めました。まだまだ日本のマップでは、日本語の名前だけだったり、間違った英語で名前が表記されたりしているものが多いのが現状で、日本語を読めない外国人旅行者や在住者にとって不便な状況でした。そういうのを修正したりしているのですが、私の力など微力なものですが少しでもお役に立てればと思っている次第なのです。

近江友里恵卒業

近江友里恵さんは、NHKの番組のアナウンサー、キャスターとして、「あさイチ」や「ブラタモリ」で、私を含め多くの視聴者を魅了していました。それが、2月になって突然、3月にNHKを退職することを発表して、辞めてしまいました。

その1年前に同僚との結婚が突然リークされ、私を含め多くの男性視聴者をがっかりさせましたことがありました。雑誌の情報ではあるものの、結婚を両親に反対されていた経緯があり、あまり公にするわけにもいかず、「週刊新潮」がスクープするまでの約1年間、既婚であることを隠さずにはいられなかったようです。悲しかったのは、近江さんがすでに結婚していたことだけではなく、旦那さんが私と同い年で、年上すぎるという理由で近江さんの両親が彼を認めなかったということです。

今年最大のイベントである東京オリンピック・パラリンピックの放送に参加できなかったのは悔いがあったでしょうし、放送人としてのキャリアを続けられないことを残念に思っているかもしれません。でも、近江さんは放送人としてやりたいこと、できることはすべてやり切ったのではないかと思います。みんなから見られて評価される世界で生きていくには近江さんは真面目すぎるように見受けられたので、アナウンサーという職業は向いていなかったんじゃないでしょうか。

「あさイチ」の最後の回で、「街づくりに興味があり、それに関わる仕事をする」と言ったように、近江さんは4月に三井不動産に転職して柏の葉のエリアの開発に携わっていると聞きました。もうメディアで近江さんを見かけることはないかもしれませんが、私の気持ちはいつも近江さんとともにあることは間違いありません。

東京五輪・パラリンピック

7月に開かれたオリンピックについて、コロナの感染状況や日本のワクチン接種の不十分さなど、人々のお祝いムードとは程遠いものだったので、どちらかといえば歓迎しがたい気持ちもありました。国民に合理的な説明もせず、無理くりにでも開催を強行しようとした政府やIOCの姿勢にも苛立ちを覚えたものです。費用ばかりかかってしょぼいオリンピックの開会式もシラケてました。

そんなムードを変えたのは、アスリートたちの激しい競技でした。日本代表のアスリートたちが、過去のどの大会よりも多くのメダルを獲得したのでした。メダリストだけでなく、すべての選手がベストを尽くしました。また、ボランティアや組織委員会のスタッフは、選手のため、大会の運営のために、最善を尽くしてくれました。その結果、パラリンピックが終了する9月頃には、多くの人が東京大会に好意的な反応を示すようになったように思います。

今回はほとんどの会場で無観客でしたが、お台場の沖合に浮かぶオリンピックとスリーアギトスのシンボルに人々は魅了されました。国立競技場の前のオリンピックのエンブレムや、有明にあった聖火台の前にも行列ができていました。オフィシャルショップもずっと混雑していました。

海外からのゲストは、制限された環境の中でも大会を楽しんでいるようでした。選手村では、客室の電化製品、バラエティに飛んだ食堂の料理、村内を走る自動運転バスなどに驚いたようでした。有明の国際放送センターでは、ハイテクトイレやコンビニの安くておいしいサンドイッチに外国人プレスが興奮している様子でした。パラリンピック終了後、イラン、ケニア、UAEの選手団が帰国便に乗るとき、成田空港の保安検査場に入る前に「サンキュー、ジャパン!」と口々に言っていた姿を目にしました。

国じゅうが何年もかけて準備してきた4週間の大会が、不完全ながら、無事に終わりました。

デスゲーム

今年は、ネットフリックスの韓国ドラマ「イカゲーム」が世界的に人気を博しました。韓国社会の負け組の人たちが、負けると死ぬというゲームに参加させられ、それを見守る欧米のセレブがギャンブルに興じるというドラマです。風刺の効いたエンターテインメントだとわかり、とても感心しました。そして、このジャンルのドラマや映画は、高見広春監督の『バトル・ロワイアル』(2000)、三池崇史監督の『神さまの言うとおり』(2014)そのほか『カイジ』(2009)など、日本発祥であることを知りました。

ただ、このような「殺すか殺されるか」のシーンは、ちょうど50年前、ここ日本に現実に存在したのです。1971年12月末から、共産主義団体「連合赤軍」のテロリストたちが、北関東のアジトの小屋で仲間をリンチし、12人の死者を出したという痛ましい事件です。今から50年前の今日も、冬の山間部の厳しい気候の中で、一部のメンバーについて、そのささいな失敗を理由に、連合赤軍のリーダーたちが「その失敗について総括しろ」と迫り、うまく総括できたと認められなければ、そのメンバーを外の柱に縛りつけ、他のメンバーに命じて、意識を失うまで殴り続けさせたのです。そうされた人のほとんどが、低体温症で亡くなりました。中には刃物で殺された人もいました。殺された人の死体は、小屋の近くの森に埋められました。リーダーの決め方次第で、小屋にいる誰もが犠牲者になる可能性があったのです。この総括に参加した人の中には、後に総括のターゲットになった人もいました。この殺戮は、1972年2月にリーダーたちが逮捕されるまで続いたのです。


これまでのキーワードを以下の表にまとめました。

キーワード
2021グーグルマップ、近江友里恵卒業、東京五輪・パラリンピック、デスゲーム
2020シナぷしゅ、拳銃、プログラミング
2019北海道、メルカリ、グランドチェロキー
2018キャッシュレス、日本語、復帰
2017近江友里恵、NHK、帯状疱疹、英語の試験
2016国内移動、地図作り、ジープ
2015アメリカ(メイン州)、エストニア、職場移動
2014イギリス、Android
2013アーユルヴェーダ、韓国、高校の同窓生、高城剛
2012王子、麻雀、CA、Facebook
2011クルマ、イギリス文化、中国
2010台湾・シンガポール・マレーシア、iPhone、クレジットカード
2009職場異動、MacBook Pro購入、青春18きっぷ
2008イギリス、深川
2007クルマの買い替え、ハワイ旅行
2006アメリカ株・ミューチャルファンド
2005ダーツ、GSM/WCDMA携帯電話、香港再訪
2004ブログ(文芸業界)、アジア(シンガポール、香港)、GSM携帯電話
2003飛行機、ミュージカル
2002アメリカ
2001都内一人暮らし、職場の異動、ソアラ

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