「西部警察」と「太陽にほえろ!」

70~80年代の代表的な刑事ドラマとして,「西部警察」と「太陽にほえろ!」があった。どちらも石原プロの作品で,超人気番組だったんだけど,この両者に出てくる刑事たちは性質がまるで違うんだよね。
「西部警察」では,刑事たちはみな,大門部長刑事(渡哲也)率いる「大門軍団」の一員で,大門団長の号令一下,全員一丸となって捜査にあたる。それぞれの刑事たちは皆それぞれの持ち場で組織のために動き,団長に自分の命を預ける。彼らは1本のタバコを回し飲みし,アフター5では最寄りの行きつけのラウンジに集まる。スタンドプレーをした者には団長の鉄拳が飛ぶ。
一方,「太陽にほえろ!」に出てくる刑事たちは,みんな個性というか,ユニークなキャラをもっている。石原裕次郎ふんする「ボス」は,それぞれの刑事たちの個性を活かしながら捜査にあたらせる。かといって,組織がばらばらになっているわけではなく,ちゃんとボスを中心にまとまっている。で,ここぞという時にはきちんと結束して成果をあげる。
今までの日本社会は,個々人の個性を殺して組織のために動く,いわゆる「西部警察」型で突っ走ってきた。そこでは,「みんな(組織)に溶け込む」ことが何より重要なことで,自分をアピールすることは許されない。「西部警察」でも,アメリカ帰りのエリート新任刑事が入ってきたとき,最初彼は浮いていたが,次第に矯正されてゆき,最後に彼が本庁に赴任が決まったとき,「団長のもとは離れたくありません!」と叫ぶにまで至った。このようにして,今までの日本は集団が一枚岩となって,猪突猛進して目標に向かって突っ走り,戦後の惨澹たる状況から現在にまで至った。そのこと自体を批判するつもりはないし,日本を今の状況にまで持って来てくれた先人たちには敬意を払っている。でも,

もうそれじゃ通用しないのよ;

これからは,「西部警察」型から,個々人のキャラを活かす「太陽にほえろ!」型へシフトしていかないと,創造性が殺されてしまうだろう。
日本は今まで欧米先進国にキャッチアップ(経済,国民所得,生活水準のキャッチアップ)するために努力してきたわけだけど,これからは,第2のキャッチアップ段階(システム,メンタリティのキャッチアップ)に入ったといえるだろうね。

アメリカ文化

僕は国籍の上では日本人だけど,特にコンピュータや情報通信の世界に身を置いていると,どうしてもアメリカ文化の洗礼を受けてしまう。まあ,純粋な「日本」なんてものは1945年の時点でなくなってしまって,それ以後の日本なんてほとんどアメリカの租借地みたいなものなんだけど・・・日本ばかりでなく,ドイツでも若者はアメリカのロックを聴くらしいし,世界中にマクドナルドは氾濫してるし,あのフランスでさえも英語教育に真剣に取り組みはじめたらしい。
アメリカ英語が世界のデファクト・スタンダードになっている現状もあるし,インターネットの普及なども考えると,だんだんアメリカ文化が世界標準になっていくんだろうな・・・でも,それは,アメリカが文化的に他国を侵略したわけじゃなくって,

アメリカ文化が,一番人間らしい

ってことなんじゃないかなあ・・・個人の自由が最大限保証されていて,外圧(伝統ある村社会の束縛)に干渉されることなく個々人が自分の力で生活するっていうスタンスが,世界的に受け入れられていう証だと思うね。
僕は,六本木とかでたむろって勝ち誇ったように馬鹿騒ぎしている傲岸不遜なアメ公共は殺したくなるんだけれど,社会システムというか,制度面では,

アメリカのものがベスト

だと信じている。アメリカが今空前の好況に沸き,あらゆる面で成功を収めているのが何よりの証拠だ。残念だが,今の日本の社会的な制度はすべてダメだ。悔しいけど,それは認めざるを得ないと思う。
今の腐り切った日本社会を根本的に変え,今のアメリカのsuccessfulな状況に近付けることが,日本復興の大きな鍵となるだろう。こう言うと,アメリカの犬のように思われるかもしれないが,僕はそこらの日本人よりはずっと愛国者だと思っているし,日本を愛していればこそ,今の日本のていたらくが歯がゆくて仕方ないのだ。

お仕事です!

男女問わず,キャリアを重ねて社会で頑張っている人は魅力的だ。なかでも,いわゆる「キレ者」というか,「仕事のできる」人は尊敬に値するし,僕もいちおう社会人の端くれである以上,できることならそんな人間になりたいと思っている。で,自分はどうかというと,アサインされた仕事の半分もこなしきれない状態だ。僕だっていちおう大学院まで出て,それなりに勉強もしてきたつもりなんだけど,

学歴だけの偏差値秀才なんて,社会じゃ何のクソ役にも立たない

ことが痛いほどわかった。大学や院で勉強することと,仕事ができるということは,全く関係ないみたいだ。いや,大学院と社会とはリンクしているのだろうけど,僕はすでに院にいた頃から落ちこぼれ組だったから,会社でもろくに使い物にならないのかもしれない。
どうしてこうなってしまったのだろうか。
僕は,子供のころはいわゆる「素直」で「真面目」な子だった。親や先生の言うことを,反抗もせず,疑うこともせずはいはいと聞いて育ってきた。彼らにしてみれば,反抗期らしいことも経験しなかった僕はきっと管理しやすかったことだろう。でも,そうやって上から抑えられ,指示されることに慣れてしまうと,

主体的にものを考えることができなくなってしまう

わけで,あらゆるものをまず疑ってかかるという,仕事や研究をすすめる上で最も大切な能力が殺されてしまったのだ。その結果,日常やっている業務に関して疑問をもつことができない。疑問点が浮かばないと,誰かに質問することもできない。質問しなければ,いつまでも理解できない。この悪循環で,いつまでたってもまともに仕事ができない状態が続いているのだろう。
こんなことでは,人間的魅力はおろか,社会人としてのまともな生活もおぼつかないだろう。何とかしなければ,とは思っているのだが・・・

物騒な世の中になったね

この前,東京の文京区で,2歳の女の子が誘拐されて,殺された事件があったけど,その犯人がなんと,殺された女の子の兄が通っていた幼稚園の友達の母親だったんだってね。なんでも,女の子の母親といろいろもめてたらしいけど・・・それにしても,

理由はどうあれ,小さい子に手をかけるなんて,絶対許せない

ですね。だって小さい子は事情もわからないし,抵抗できないんだもの。しかも,今回の場合,親同士のいざこざに,無関係の,罪のない子が犠牲になったわけだし・・・

子供を殺した奴は,問答無用で死刑

だね。

ハンドルネーム

最近,思うところがあって,新しくハンドルネームを名乗ることにした。僕の下の名前は,外国人には「Yuki」と呼ばせている。プロバイダのアカを取るときは「yuki」では取れないので,「yuki80」で取る。僕の桁(ゆき)が80センチで,「ゆき80」だから,このようにしている。今回,このアカをそのままHNとして使うことにした。
今まで,僕はネット上でものを言うときには,本名を使っていた。本名と所属を明らかにして発言することが昔からのインターネットの常識だったし,パソ通で一般的なハンドルネームなんてものは,インターネットの世界では無用だと思っていた。が,今までの大学関係者の信頼関係だけで成り立っていた世界から,これほどまでに大衆化の進んだインターネットでは,どんな奴がうようよしているかわからないので,親からもらった名前とはいえ,個人情報をオープンにすることは,あまりにもセキュリティ上無防備すぎると考えた。
無論,理想論をいえば,やましいことをするのでなければ名前を伏せる必要などないと思うし,本名を隠してものを言うのはたいへん不本意なのだけど,5年前と比べるとすっかり変質してしまったサイバースペースでは,仕方ないことなのかもしれないね。

Adobe GoLive4.0すばらしいね

これまで僕はHTMLのタグはエディタで手打ちしていたんだけど,とうとう「ホームページ作成ソフト」なるものを使うことにした。今まで,ホームページ作成ソフトなんてろくなもんがありゃしねえ,とか思ってて,全然信用してなかったんだけど,最近Adobeから発売された「GoLive4.0」は,かなりイケテるソフトだと思うね。レイアウトグリッドでピクセル単位までオブジェクトを配置できるし,GUIベースのサイト管理機能やJavaScriptコードの生成・管理機能も持っている。また,XML文書もフルサポートしているそうだし,極め付けが

CSSスタイルシート

を使ったHTMLドキュメントの作成がスムーズにできることだ。私のようなCSS大好き人間が満足するホームページ作成ソフトはこれまでなかったんだけど,Adobe GoLive4.0に関してはこれまで文句のつけようがない。ただ,

たまにいきなり落ちる

のだけは,勘弁してもらいたいけど;

あ~・スカ

いよいよ今月からNHKの朝ドラで「あすか」が始まったので,明日香大好き人間の私としては黙って見過ごすわけにゃいくめえ,ってんで早速ビデオに撮りだめして,土曜日にまとめて見てみたんだが,何のことはない,

大阪放送局制作朝ドラ特有の,わざとらしいクサイ芝居

で,1週目にしてもはやうんざりしてしまった。
関西弁がちゃんと話せないのは仕方ない。子役の演技が下手なのもまあ仕方ない。問題は,

まともな脚本が書けてない

ことだろう。東京放送局制作の番組,たとえば「あぐり」とか「天うらら」なんかは,脚本がうまくて,ストーリー展開も芝居くさくなく,さりげなく進んでいってたから,見るほうもそんなに不自然さを感じずに見ることができたんだけど,大阪制作の朝ドラは,なんか役者が総出でお祭り騒ぎをやってるようにしか見えない。いっそのこと,

役者はいらないから,明日香の風景だけ見せてほしい

ですね。
うーん,来週から見るの考えようかな・・・

カップルと二千円

昨日,第二次内閣組閣にあたっての目玉ということで,いきなり2000円札構想が飛び出したようだけど,はたして日本人にどれだけ普及するだろうね。
政府筋は,諸外国には,20ドル札とか200フラン札とか,2のつく紙幣があるので,ちゃんと「前例もある」し,そういう事情を考えると,2000円札は

グローバルスタンダード

で,わが国だけ導入しないのは不自然だと説明しているらしいけど,欧米諸国に2のつく紙幣があるのは,西洋人の数の概念の中に,coupleという単位があって,a couple of days (2日間) とか a few couples of years (数年間)とかいうふうに,ものを2個ずつ数える習慣があるからなんだよね。でも,coupleの概念のない日本人の前にそんなもの持ってきて,果たして使いこなせるのかな,と思うね。まあ,欧米先進国がやってるんだったら,日本人も真似してもおかしくないだろうし,

グローバルスタンダード

なんだったら,日本人の数に対する考え方を変えなきゃいけないんだろうなあ・・・それにしても,20000円札ならわかるけど,5000円札も10000円札もあるのに,なんで今2000円札なんだろう。「西暦2000年になるから,2000円」っていうのなら,あまりにも安直な構想のような気がするが・・・でも,実際に発行されたら,きっと真っ先にゲットしに行くんだろうなあ・・・(^◇^;)
まあ,金なら,いっぱいくれるんだったら2000円札だろうが20000円札だろうが一向に構わないんだけど,いくらグローバルスタンダードでも

サマータイムだけは止めて欲しい

ですね。ただでさえ朝眠い中無理して起きてるのに,さらに1時間も早起きしろなんて,殺す気かよ(^◇^;)

NIPPONのガイジンさん

学生時代,いわゆるパツキンの女性とネット恋愛していたのがきっかけで,すっかり英語マニアになっていたことがある。通学途中の車の中でENGLISH JOURNALのカセットテープとかよく聞いてたし,梅田の紀伊国屋書店とかに行っては洋書を買いあさったり,短波ラジオを買ってきてはVOAとかBBCとか聴いたりした。洋モノにも興味があったので,神戸とかでショッピングしたり,海外通販とかでMade in USAのグッズを大量にゲットしたこともあった。就職してからも,会社の通信教育では,英語関連のコースを積極的に受講したりしていたおかげで,TOEICのスコアは750点を超えたし,英語の読み書きには不自由しないぐらいの実力はついた。
と,まあ若い頃は外国に興味があったわけなんだけど,ある時を境に,その熱はすっかり冷めてしまった;
東京に出てからは,毎朝通勤に西武池袋線と埼京線を使っているのだが,ある朝,埼京線の池袋駅のホームに上がると,明らかに観光半分で日本に来たとみられる中年のアメリカ人15人ぐらいの一団が,何やら指を差してゲラゲラ笑っている。何だろうと思って指を差しているほうを見ると,相変わらずの殺人ラッシュで

電車のドアが閉まらなくて発車できない

ほどになっていて,駅員さんが閉まり切らないドアに駆け寄って乗客を押し込んだりしていたのだ。僕らにしてみればごく当たり前の朝の光景なんだけど,奴等にしてみたら,コメディ映画でも見ているような気分だったんだろう。すごく感じ悪かったね。笑うだけならまだしも,

写真まで撮ってやがる

輩までいて,僕はそいつのカメラをひったくってホームの下に投げつけてやりたい衝動にかられた。そのカメラマン野郎にすれば,「電車に押し込まれる可哀相な羊たち,日本人」てなテーマで写真撮ってやがったんだろうけど,馬鹿にすんじゃねェと言いたいね。まあ,奴等がアメリカ政府を通じて日本政府に外圧をかけて,僕たちの生活をもっと改善してくれるんなら文句はないけど・・・ただ見世物みたいに見て笑いものにするだけだったら,日本に来るな!GO HOME!だね。
こんな奴等に合わせてやるために今まで英語を勉強してきたのか・・・と悔しさで一杯になった。この一件以来,僕は,外国や英語への興味を失った。
東京の街を歩いてても,外国人(アメリカ人)は自分の国みたいに我が物顔でのし歩いている。特に日本は今不況なので,それに乗じて日本人を下に見ているようだ。奴らは日本人社会に溶け込もうとはしないし,その必要性もないと思っている。ましてや,日本語を話そうなどとは夢にも考えようとしない。日本人と接するといえば,

幕張メッセのプレゼンか,英会話学校で教える時か,ナンパする時

ぐらいのもので,もちろんそのときも,英語しか使わない。 高校のときに,アメリカから交換留学生の女の子が来たんだけど,彼女は日本のホストファミリーに開口一番,

「英語は国際標準語だから」

ホストファミリーも英語を使うべきだし,自分に話しかける時は英語を使いなさいなんてことをほざきやがったそうだ。
僕がネット恋愛した外国人女性は,ドイツに住んでいたときから日本にすごく憧れていて,日本に永住したかったらしい。僕は不幸にしてすぐ振られてしまったけど,彼女はすぐ別の日本人男性と知り合い,付き合って3ヶ月ぐらいで電撃結婚して東京に住み始めた。僕は彼女が幸せになれるなら,と彼女を心から祝福したんだけど(別に格好つけてるわけじゃありません,ホンマやで),彼女は東京に住み始めた当初から,「家が狭い」「庭が美しくない」「電柱に電線がからみついていて汚らしく,こんなの先進国のドイツじゃ考えられない」など,ありとあらゆる日本の文句をぶちたれ,あげくの果てには結婚していた男性とも1年もしないうちに別れてしまったらしい。結局,

やっぱり外国人には日本の水は合わない

みたいだし,外国人と日本人とは水と油みたいなもので,所詮とけあうことはないみたいだね・・・でも,

「英語は国際標準語だから」

やっぱ英語の勉強はやんなきゃいけないんだろうな・・・今の世の中,なんでも標準を取ったもんが勝ちだからなあ・・・あ~あ,自分の母国語で用が足りるアメリカ人が羨ましい;

恋愛未経験

会社帰りに池袋の改札口あたりを歩いていると,壁際とか柱の陰にたいていカップルがいて,すっかり二人の世界を作り上げている。特に夜の9時10時あたりになるとそれはもうあっちもこっちもカップルだらけで,抱き合うわキスするわ,横目で通り過ぎる分には「このやろう」と思ったりもするのだが,内心ホントは羨ましかったりもする(^◇^;)。
僕は当年とって26歳で,いいかげんオヤヂと呼ばれてもおかしくない年齢になっているわけだけど,恥ずかしい話ながら,

今の今まで女性とちゃんとおつきあいしたことがない

のだ。つまり,女の子とデートを重ね,告白してOKをもらい,それ以上の進展をする,という経験がまったくないのである。
もう時効だろうから書いてもいいと思うので書くけど,僕のHPを見たという,ドイツに住んでいたルーマニア人の女性からメールをもらったことがあり,それを機にメール交換をし,お互いそれが恋愛感情まで高まっていったことがあった。でも,それはあくまでもバーチャルな世界でのこと,そのあと実際に会うと,彼女は僕を見て

こんなはずじゃなかった

と思ったらしい。数日後,彼女のほうから別れを告げる手紙がきた。
美人で恋愛百戦練磨な彼女にとって,経験不足で不器用な僕の行動が子供っぽく映ったという。まあ実際,僕のほうが彼女より3歳年下だったんだからしょうがないといえばしょうがないが。
それ以外にも,女性と会う機会は何度かあった。でも,デートの経験もろくにない私は,会ってもちゃんとリードすることができず,1度会うとそれっきりになってしまい,お互いぎごちなくなって,それ以上進展しなかった。
一体何故だろう,と考えてみるのだが,池袋のカップルどもの男のほうをよく観察してみると,別にみんながみんなカッコイイ男というわけではなく,むしろ

なんでこんな奴が彼氏になれるの

という男のほうが多かったりする。僕だってそんなにイイ男だなんて逆立ちしても思ってないけど,少なくとも容姿的に奴らに負けているとはどうしても思えない。
男は顔じゃない中味だ,とよく言われる。中学生ならともかく,イイ年をした女性が顔形や格好だけのオトコにフラフラするほど馬鹿じゃないだろうし。ってことは,彼女のできない僕は

中味に問題あり(爆)

ってことになってしまうわけだが・・・うーん,別に性格も普通だし,特に問題なんてないと思うんだけど・・・でもやっぱり問題あるんだろうなぁ・・・ゆっくり原因切り分けをすることにしよう。