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    金原ひとみ「アッシュベイビー」読了。芥川賞作家の金原さんの2作目である。のっけから超過激な修辞とオゲレツな下ネタ用語が乱舞する。伏せ字にするでもなければ、オブラートで優しく包むでもない。その容赦のなさ、作中の表現を借りるならば、さながら読者のケツの穴にゴムなしでチンコをぶちこんで滅茶苦茶に引っ掻き回しているかのようである。レズ、乳児強姦、はては獣姦……「蛇にピアス」など遥かに上回る激烈ぶりに暫し眩暈を感じる。 15年ほど前、「赤痢」という京都の女性4人組のインディーズバンドがあった。そのブッ飛んだバンド名もさることながら、歌い方も凄まじく、ドラムスを乱打しながら放送禁止用語をひたすら連呼するといったものだった。まさしく、「赤痢」の歌を思わせるような「アッシュベイビー」。ストレスのたまっている時に読めば痛快かもしれない。 そうかと思えば、会話文の「」の中を全角22文字で揃え、それを1ページ14行にわたって連続させるといった小技も披露している。ちょっとした遊びのつもりなのだろうが、行末が揃ったページがぽっと現れると「おおー」と感動させられる。言葉を操る作家としてのアピールが、そこにある。 人に対して心を開くことの出来ないキャバクラ嬢、アヤは、ガキが大嫌い。近所の小学生を見ると、殺意を覚えるほどである。そんなアヤと同居している男、ホクトは、ある日、親戚の子供である女の赤ん坊を引き取ってきて、夜ごと陵辱を始める。アヤは、無垢な赤ん坊を見て、ふと殺意が沸いてくる。しかし、その殺意は、実は自分自身に向けられたものであることに気づく。その赤ん坊は、実は自分自身の投影だったのである。 そんな中、アヤは、勤め先でホクトの同僚である村野さんという男性に出会い、一目惚れする。しかし村野さんはつかみどころがなく、アヤの気持ちに気づいているのかいないのかわからない。アヤは、村野さんに対する想いをどんどん募らせていき、果ては彼の手で殺してもらいたいとまで考えるようになる。ホクトに陵辱されている赤ん坊のように……。 村野さんとセックスをし、籍まで入れたものの、殺してもらえるどころか、二人の距離さえ縮まらない始末。アヤは自暴自棄になり、衝動的に近所の鶏を捕まえて頸をへし折ったり、ウサギの耳をちぎったり、勤め先の同僚ホステスをボコボコにぶちのめしたり、見舞いに来た仲間にまで罵声をぶつけたりして、どんどん破滅していく。 僕は、ふと新選組の芹沢鴨を思った。彼は一度死罪を覚悟して入獄したものの、許され娑婆に戻った。そのあとは死に場所を求めて日々無頼な人生を過ごし、新選組に身を投じたあとも放蕩三昧の生活を送り、最後には近藤勇らに殺されてしまったのだが、死を志向する者が衝動的な破壊行動に走ってしまうということは、ありうることなのだと思った。 将来に希望をもてない若い人たちの願望は、破滅と死しかないのか。アヤの悲痛な叫びが痛々しく心に突き刺さる。だが、どうすることもできないのが現実なのだ。 すべてを失ったアヤは、身ひとつで村野さんのマンションにたどり着く。村野さんはシャワーを浴びに行き、リビングに独りぽつんと残される。村野さんの姿が目の前から消え、それとともに、アヤの心は灰となって燃え尽きた。その姿は、あの赤ん坊そのものだった。愛も死も懊悩も何も認知できない、何もない世界、否、これらを超越した高いステージの世界へと解き放たれたと考えるべきなのかもしれない。 作品は、文の途中でぶつ切りになった状態で終わっている。その続きがどう綴られるのかは、読者一人一人にゆだねられている。 Technoratiタグ: 本 | 金原ひとみ | アッシュベイビー |