グローバル化の終わり

私が就職したのは、90年代終わりごろの「失われた10年」と言われた不況の時代の日本で、会社からよく「グローバルマインドを持て」と言われたものでした。

2000年までには、「グローバル」や「グローバル化」という言葉が、次なる新たなミレニアムを生き抜くためのキーワード(ときにはバズワード)として、ドットコムバブルとともにやってきました。当時は、TOEICのスコアを上げさせられたり、MECEだのSWOT分析だのロジカルシンキングの手法をマスターさせられたり、とにかく日本的な古いワークスタイルを廃して、グローバルな(といってもほとんどアメリカのですが)考え方に慣れるようにハッパをかけられたものです。

ところが2006年にライブドアショックがあり、IT長者たちが凋落していくのを目のあたりにすると、人は、アメリカ式のやり方ではうまくいかないと気づき、また日本を見直し始め、日本の良いものを再評価するようになりました。会社でも「日本品質」とか言い始めて、グローバルサービスよりもドメスティックなほうに目を向け始めたころでした。

2010年代になると、今までの内向き志向がまたぞろグローバルに向かい始め、日本企業がまた海外進出するようになりました。今度はアメリカだけじゃなく、インドや中国、ロシア、ブラジル、東南アジアやアフリカなどの第三世界に出て行って、会社のサービスもそういう企業のニーズや要望に沿うようなグローバルサービスが増えていきました。

また2010年代は移動の時代でもあり、LCCの台頭によって低価格で海外に行けるようになりました。外国と行き来する人を見ることはどこでも日常的になりました。

こうして見ると、グローバルとローカル、人々の志向は5~6年ごとに行ったり来たりしているように見えます。その伝でいくと、そういうグローバルな世界というのはもうそろそろ終わりそうに思います。今週、英国の国民投票でEU離脱を決めたのは、その最も象徴的なものではないでしょうか。ほかにもフランスやイタリア、スペインなど、移民の流入やそれに伴うヨーロッパ内のテロに悩まされている国で同様の動きがあると聞きます。

同様に、アメリカでも、ドナルド・トランプ氏が、国境に壁を造り、メキシコ人やイスラム教徒をシャットアウトしろと言って、保守的で比較的貧困層のアメリカ民衆から熱狂的な支持を受けています。対抗馬のヒラリー・クリントン氏でさえ、TPPには反対するなど、保護主義的な主張をしています。日本でも、旗を持った過激な愛国主義者たちが通りに繰り出し、隣国人は出て行けと言ってヘイトスピーチをするようになりました。

思うに、今は時代のターニング・ポイントで、これから「グローバルな世界」はなくなっていくでしょう。民衆は自分の国のことだけを考えるようになり、そこここで紛争や、場合によっては武力衝突が起こるかもしれません。これから5~6年、少なくともトランプ氏かヒラリー氏の大統領の任期の間はそうなると思います。できることは、そういう世界を傍観しながら、将来状況がどう変わっても対処できるように、選択肢をできるだけ多く持っておくことではないでしょうか。

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