Annus miserabilis

Gate 68 NH413 to Kobe
View of the City of Kobe from UKB airport

2011年は「annus miserabilis」(悲惨な年)でした。日本の歴史上、最も悪い年として人々の記憶に残ることでしょう。もちろん、311の地震・津波・それに引き続いて起こった福島原発事故のせいです。
その日は、私は東京でいつも通り仕事をしていました。地震が起こった瞬間は廊下にいて、まわりが揺れ始めたときは、高血圧のせいでめまいでも起こしたのかと思ったんですが、天上からぶらさがっていた糸状のものまで揺れているのを見て、これは自分ではなく周りが揺れているのだと確信したのもつかの間、揺れの振幅が大きくなり始め、1995年に西宮で経験した阪神淡路大震災を思わせるほどのひどい揺れが1〜2分続きました。その間、なすすべもなく身をまかせるよりほかありませんでした。
揺れがおさまって、オフィスの中に入ると、みんな騒然としていました。机の下に逃れる人、本棚の本が落ちないように支える人。テレビがつけられました。どの局も震災の特番をやってました。政府から津波警報が全国的に出されましたが、1年前のチリ地震の際も三陸沖に津波警報が出されて結局たいした被害もなく終わっていたので、このときはあまり深刻にとらえていませんでした。
しかし、約1時間後、テレビを見ると、海水が堤防からあふれ、沿岸の道路から田んぼを洗い流し、果ては車から建物からその他すべてにわたってなぎ倒していくのが見えました。あまりにも現実感に乏しく、まるでアクション映画でも見ているかのようでした。
その日は夜中まで会社にいることを余儀なくされました。東京も地震のせいで交通機関が止まっていた上に、ネットワークに故障が発生して復旧しなければならなかったからです。夜中になって電車が動き出しましたが、電車は帰宅を急ぐ人でごったがえしていたので、私は1時間歩いて帰宅したのでした。
そのあと、最初の2日間は、道には車が動けずにあふれかえっていました。道がすいたあとは、ガソリンが不足し始めました。ガソリンスタンドの前には車がいっぱい列をなして給油を待たなければなりませんでした。幸い私の車は1週間前に満タンにしていたので助かりました。
私にとっては、震災後の日常生活はそれほど困るものではありませんでした。トイレットペーパーが不足しましたが、1週間前にコストコで大量に買い込んでいたおかげで一人身には十分すぎるぐらいは確保していました。放射性物質のせいでペットボトルの水がコンビニやスーパーから姿を消しましたが、お茶やジュースは普通に売ってました。被災地の方々に比べれば、私の不便など取るに足りないものでした。
震災後の最初の数週間、日本中の人々は一つになりました。阪神淡路の場合とは違い、地域的な問題ではなく日本全体の問題として考えられました。みんな被災者のことを考え、募金やボランティアなどで被災者を助けようと努力していました。このマインドは美しく、日本が誇るべき美徳の一つといってよいでしょう。
今年最後の日にあたり、今年自分が何をしたり経験したかを振り返るときが来ました。この出来事は忘れられないことですが、私の年末振り返りはもっと明るい話題にフォーカスしたいと思います。
2011年のキーワードは、クルマイギリス文化、そして中国です。
クルマは、1月に3年ぶりにクルマを買ったことです。マニュアル車の運転はじつに17年ぶりです。運転に早く慣れるようにYouTubeでドライビングレッスンを見たりしたものです。
イギリス文化という点では、かねてから行ってみたかった福島県のブリティッシュヒルズに今回行けたことです。
最後の中国は、1月に上海出張、11月に香港へプライベート旅行に行ったことです。大陸へは初めて、香港へは6年ぶりでした。ホントは3月に北京にも行きたかったんですが震災があり断念しました。
2011年は私にとっても日本中にとっても本当に「annus miserabilis」だったんですが、次の年は「annus mirabilis」(驚異の年)になってほしいものです。

Pocket
Bookmark this on Delicious
LINEで送る