ウェブログ・ハンドブック

Rebbeca Blood著 yomoyomo訳「ウェブログ・ハンドブック」読了。ウェブログの概要から書き方まで、特定のウェブログツールに偏らず、一般論を中心とした解説とアドバイスが中心であった。

この本でポイントとなっていたのは、「とにかく、自分の書きたいときに、書きたいものだけを書くこと」を強調していたことだろう。個人でブログを運営するときには、最初は自分が書きたいことを書いているのだが、だんだん読者が増え、固定客がつくようになってくると、そのうち自分の書きたいことよりも、読者に受ける内容を書かなければという強迫観念に取り付かれてしまい、いきおい大衆に迎合して自分を見失ってしまうことが往々にして起こる。そうなってしまうと、ブログを書く本来の楽しみが失われてしまい、一体誰のためにこんなことをしているのかわからなくなってしまう。これでは書き手も読み手も不幸だ。著者は、このように自分らしさを失ってしまったブロガーには、しばらく休養をとることを勧めている。休養をとったあと、再び〈書きたい〉という気持ちになったなら、そのときにまた復活すればよい。ブログとは、不特定多数を楽しませるためではなく、1人のオーディエンス、つまり書き手自身に向けて書くべきであると主張している。

もう一つ忘れてならないこととして指摘されていたのが、「ブログに一旦書いたことは、あとから訂正がきかない」ということ。確かにブログツールの編集機能を使えばあとから修正することはできる。しかし、修正するまでの間にサーチロボットにキャッシュされてしまえば編集前のテキストがどこかに残ってしまうし、第一、書いた内容を、あとから事情が変わったからといって、その履歴を残すことなく簡単に修正したり、削除して最初からなかったことのようにできてしまうようでは、媒体としての健全性に欠けるではないか。ブログに一旦書いた内容を修正するときは、リライトしたり削除したりするのではなく、追記という形で補足するのが正しい使い方である、というのである。これは独りブログに限らず、ウェブサイト全般にいえることなのだが、ひとたび発言するからにはその内容には最後まで責任をもつべきである、という著者の主張は、首肯せざるを得ないものがあった。

毎日コミュニケーションズ。本体価格¥1,905。

ケータイでMovable Typeのコンテンツを読む

「夜伽草紙」のiモード版(http://www.himemiko.info/mt4i.cgi?id=3)を作った。

携帯電話からMovable Typeのコンテンツを読む方法として、いくつかソリューションがある。いちばんオーソドックスなのがMT4iを使う方法。僕のサイトのiモード版もこれを使っている。が、しかし、これだとサイトにアクセスするごとにいちいちCGIを走らせなければならないので、サーバの健康にも良くないし、ページのレイアウトもCGIで決めてしまうので、いまいち自由度に乏しい。せっかくテンプレートから静的にHTMLファイルを吐き出す仕様になっているMovable Typeなので、携帯仕様のテンプレートを用意し、携帯用の静的なHTMLページをつくってはどうだろう、という発想もある。

NAOCHAN.COMで、Main Indexと各種Archiveについての携帯電話用テンプレートが提供されている。これをMovable Typeのテンプレートとして登録し、指定したパスにページを書き出す設定にすれば、携帯電話用のページを作ることができる。iモード版だけでなく、au版のテンプレートも用意されている。

そのほかの関連サイト
冷麺:Movable Typeの携帯対応
冷麺:Movable Typeの携帯対応 2

日本からアメリカのフリーダイヤルにかけるには

CuPhone社からインターネット電話が出ている。USB Internet Phoneという専用の電話機をPCのUSBポートに接続すると、インターネット経由で同じCuPhone社の電話機をもつ相手と通話することができる。電話機はUSB Internet Phoneを使ってもいいし、USB to RJ11 adaptorというアダプタを経由して普通の電話機をつないでもいい。USBポートに接続さえすれば、特別なドライバをインストールしなくてもPCで認識する。プライベートIPアドレスが割り当てられているLAN上や、ファイアウォール内部のPCでもOKだ。
USB Internet Phone
USB Internet Phone
電話機の制御はIP Phone CenterというアプリケーションをPCにインストールしそのアプリケーションで行う。IP Phone CenterはWindows Messengerのような格好をしており、登録した相手がオンラインであれば、呼び出して電話をかけることができる。

それだけなら、ちまたで流行りのインターネット電話と何ら変わらないのだが、CuPhone社のIP電話のすごいところは、CuPhone社のある米国サンノゼに、一般に公開されているデモ版のPersonal Phone Gatewayがあって、そのゲートウェイ経由で、サンノゼ市内の市内通話(アメリカの市内通話は無料)と、米国内のフリーダイヤルにかけることができるようになっている。日本からでもアメリカのフリーダイヤルに無料でかけられるというのは、けっこう使いでがあるのではないだろうか。

USB Internet phoneは販売価格39ドル、USB to RJ11 adaptorは59ドル。日本への送料はGlobal Priority Mail (GPM)を使うと10ドル。

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鼻血を出して思うこと

鼻水が出てきたような感じがしたので、急いでティッシュを取り出して、鼻をかんだ。ティッシュを鼻から離してみると、ティッシュが真っ赤な血に染まっていたのである。

毎月、血を見ていて慣れている女性たちと違って、男性は血を見るとたいていうろたえるものだ。それが自分の身体から出ているものであるときは、なおさらだ。僕はあわててトイレに駆け込み、自分の顔を鏡に写してみた。鼻の中から血が溢れ出ており、一向に止まる気配がない。鼻血が出たときには上を向いてはいけないらしく、鼻をつまんだまま下を向いていなければならない、と救急法を習ったときに聞いていたので、上を向きたい衝動を必死で抑えながら、血が止まるまで小鼻をつまんでじっとしていた。

鼻血なんて出したの何年ぶりだろう。僕の記憶では、もうかれこれ20年ぐらいは鼻血と無縁だったんじゃないだろうか。どうして鼻血が出てしまったのか、思い当たるふしはまるでない。僕はさっそく、Webで鼻血について検索してみた。

鼻血の原因にはいろいろあって、爪などで鼻粘膜を傷つけたり鼻を強く打ったりなどの外的な要因のほかに、のぼせたり、病気などが原因で起こることもあるらしい。鼻血が出る病気――いろいろ調べていくうちに、僕は、ある最悪の可能性に思い当たった。

白血病――白血球が異常に増えるという、いわゆる「血液の癌」といわれる病気である。血液の成分として主に赤血球、白血球、血小板というものがある。赤血球は血の赤い色のもととなっていて、体内を循環することにより酸素を全身に運ぶ役割がある。白血球は血液中に入ってきた細菌やウイルスを殺す作用があり、血小板は血液を凝固させて出血などを止める働きがある。白血病は、そのうちの白血球が異常に増殖する病気である。正確には、白血病細胞とよばれる血液の腫瘍細胞が増加して、正常な造血機能を損なうのだそうだ。

古代ギリシャの時代から既に記録されている病気だそうだが、この病気にかかるとどうなるかというと、白血病細胞が血液中に増えすぎることによって血液の循環が悪くなり、脳や肺がつまる、いわゆる脳梗塞や肺塞栓になったり、腎臓に血液がめぐらなくなることによる腎障害が起きたりして、結果的に死に至ることになるらしい。

もっとも、今では治療法が進歩していて、このように白血病細胞が増えすぎることが直接的な死因になることは少なく、むしろ白血病細胞が増えて正常な白血球が減ることによって細菌に感染しやすくなり、それが全身を回って敗血症などを起こしてそれが致命的な結果をもたらすことが多いそうである。

ドラマなどで、白血病にかかってしまったシーンを表現するのに、鼻血が止まらなくなる、という場面がよく出てくる。白血病にかかって白血病細胞が増えると、通常あり得ない、血管の中で血液が凝固しようとする現象が起きるそうで、そのときに血小板が使われてしまうのだそうだ。それによって血小板が少なくなってしまい、本来の役割である、出血時に凝固して止血するという働きが十分果たせなくなる。その結果、鼻血が止まらなくなったり、歯茎から出血したりするのだそうだ。

白血病には急性白血病と慢性白血病とがあり、急性白血病の中でも、白血病細胞の種類によって急性骨髄性白血病と急性リンパ性白血病に分けられる。成人になってからかかるのは圧倒的に急性骨髄性白血病で、急性リンパ性白血病は小児に多いらしい。急性白血病になると、貧血や高熱、出血などの症状が急激に現れる。

慢性白血病も同じように慢性骨髄性白血病と慢性リンパ性白血病とがあるが、ほとんどは慢性骨髄性白血病だそうだ。慢性骨髄性白血病は通常は自覚症状がなく、健康な人とほとんど変わらないように見えるが、この病気になると数年のうちに必ず、急性骨髄性白血病とまったく同じような症状が現れるとのこと。これを「急性転化」と呼び、ひとたび急性転化するとその治療は極めて困難で、半年以内にほとんどが死亡するとのことだ。

さて、僕が今かりに死んだとしたら、どうなってしまうのだろうか。遺品整理で部屋の中の恥ずかしい私物を遺族に見つけられては死んでも死に切れない。クルマのローンも残っているし、その他もろもろの身辺整理もまだである。ハテ困った――。

そんなことを考えながら、夕食を食べた。食べながら、そういえば昨日の夕食は脂トロトロのチャーシューメンにニンニクぶち込んで食べたっけ、と思い出した。その前の日はウナ重だった。よくよく考えてみると、最近の僕の食事は精のつくものばかりだったのだ。あり余って吐き出しどころのない精力が、鼻から吹き出てきたに過ぎなかったのだ。

ようし、今日は早く家に帰って爆発させるとするか。

リバイバル?

通勤でいつものように丸の内線に乗っていると、向かい側のホームに、全面赤い塗装で、その横っ腹の部分に白い帯状のラインが引かれており、その帯の中に金色の波状の細い線が上下対称に2本引かれている、15年ぐらい前に見たような昔懐かしい電車が来た。昔と違うのは、車体にロッテのガーナチョコレートの広告があること。なんでもこれは丸の内線開業50周年記念としてロッテとタイアップしているものらしい。

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兄貴と弟分

泥棒の兄貴と弟分が話をしている。
「おう、どうだい、最近」
「兄貴ィ、さっぱりです。最近、不景気で、シノギもろくにできやしません」
「んなことあるめえよ。カネなんてあるところにはたーんとうなってるもんさ。退職金かかえてる年寄りなんて、大金持て余してンだろうよ。そういう奴から、奪っちまうのよ」
「どうやってやるんですか」
「銀行の機械とか、デパートの機械とかでカネ下ろしたところ、狙っちまえばいいのよ」
「そううまくいくもんですかい。第一、そういう機械じゃ、防犯カメラだってあるだろうし、すぐ足ついちまいますよ」
「女使やあいいのよ。それも子連れの女がいいな。よもやガキ連れた女が強盗するなんて、誰も思わねえだろうよ」
「だけど、女に強盗なんてできるんですかい」
「なあに、抵抗されたら、『泥棒!』とでも叫んでやりゃいいのよ。そしたら周りの正義感強い連中がわらわら寄ってきて、そのジイサンを捕まえてくれるさ。日本人ってのはフェミニストが多いからよ、女のほうが被害者みたいにしてたら、みんな女の味方さ」
「なるほど、さすが兄貴っすね」
「んで、どさくさにまぎれて、ジイサンが下ろしたカネでもつかんで適当にトンズラこきゃ、大成功だ」
「でも、途中で警察が来たりしたら厄介じゃねえすか」
「警察が来たって、状況からすりゃとっ捕まるのはジイサンのほうさ。女の言い分とジイサンの言い分じゃ、どう考えても女のほうを信じるって。女の味方して、ジイサンが逃げないように押さえつけててくれるだろうよ。うまくすりゃ、絞め殺してくれるかもしれねえぜ。なぁに、三重県警ならそのぐらいやるんじゃねえか」
「だけど、そのジイサン、浮かばれねえな」
「なぁに、誰も責任なんて取りゃしねえんだから、気にすることねえって」
「防犯カメラに証拠が写ってるっしょ」
「警官が無抵抗の一般人をボコボコに殴り倒して制圧してるところなんか、警察が公開するかよ。そんなのマスコミの手に渡ったりしたら、えらいことだぜ。適当にもみ消して、オクラにするに決まってらあ。どうだい、これで完全犯罪だ」
「さすが兄貴、あったまいい!」
そこへやってきた三重県警の警察官。
「オイコラ、おまえたち! 良からぬこと考えてんじゃねえだろうな! 変なことしやがると、うつぶせにして後ろ手錠で床に20分間押し付けるぞ! 文句があるか! 文句があるならここに言え!

続・ものを書くこと

NHKのBS2「週刊ブックレビュー」に、先日芥川賞を受賞した金原ひとみさんがゲストで対談していた。

NHKなので、あまり過激なことは言わず、多分にぶりっ子風の話し方をしていたが、対談全体を通して感じたのは、彼女もまた、「ものを書く」ということに魅せられた一人のようだ、ということだ。

こんなところでちょろちょろっとゴミみたいな文章を書き散らしているだけの僕が語るのもおこがましいのだが、ものを書くというのは、以前もこのブログで触れたように、一番手っ取り早くコストのかからない表現手段で、わりと誰にでも始めやすい。金原さんも、たまたま書くことが好きで小説やら短編やらを書くようになり、そこへ天性の才能がジャストフィットして、ついには大きな花となって開いたということだろう。「一生、書くことはやめないと思います」と語る彼女。人生としてはこれにまさる幸せはあるまい。

あまり若いうちから「物書き」をやるのはよくない、という意見もある。書くという仕事は最高に集中力を要求される職業で、その集中力を何ヶ月、何年という長期間、維持しなければならない。そうやってずっと集中状態で執筆に専念し、やっと作品を書き上げたあと、それまで出っぱなしだったアドレナリンがおさまらずに、ハイなままになってしまって、それを自分でコントロールできなくなってしまうことがあるらしい。そうなると、精神的なバランスが崩れてしまう。

僕もこのブログを夜中に書いていると、だんだん目がさえてきて書き終わった後も眠れなくなったりすることがある。たかだか数千字程度の短い文章を書いてさえもそうなのだから、ましてや長編小説など書く作家さんなどは、こんなものではなかろう。

そして、集中状態をリセットするために、アルコールを入れたり、クスリに頼ったりすることになり、それでもおさまらないと、いよいよ心の病を発することになる。そういえば、昔から作家といわれる人の自殺率は半端じゃない。

金原さんは、「書くことは小さいときから自分の生活の一部で、いわば日課のようなものだ」とさらっと語る。自分の「こころ」に自分で折り合いがつけられるというのは、相当の精神力の持ち主だと感心させられる。

彼女は小学生時代に不登校に陥り、そのあとは歌舞伎町を徘徊してパチスロに明け暮れ、配管工の彼氏と同棲して今に至るとのこと。「2ちゃんねる」風に言えばまさに絵に描いたような「ドキュン」と言えるのかもしれないが、物書きというものは大体において破天荒なものである。僕のようにどちらかというとボンボン育ちで、レールの上をある程度外れずに生きてきたような人種からすると、彼女たちのような自由な生き方がある意味、羨ましかったりすることもある。

「がんばって生きてる人って何か見てて笑っちゃうし、何でも流せる人っていいなあ……」と悪びれず言ってしまう態度に反感を持つ向きもあるようだが、若いからこそ許される、20歳の無邪気な発言と鷹揚に構えたい。これから、密度の濃い体験をいろいろ重ねて、人間としての深みの備わった作品を何十作も出してほしい。

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奇襲作戦――N900i発売開始

http://900i.nttdocomo.co.jp/
新しく発売されるN900iを密かに狙っていたのだが、いつ発売されるのか今までアナウンスがなかった。2週間ほど前にF900iが発売されたきり、900iシリーズの他機種については全く発売予定が見えず、もう半ば忘れ去っていたくらいだったのだが、今日、昼下がりに気まぐれに近所のドコモショップに足を運んでみると、N900iのオレンジ色の筐体がディスプレイされていた。
なんということだ! いつの間に! どうやら今日から発売開始になったらしい。発売日の午後にもなると、もう既に端末の在庫は底をついていた。
直前まで何もアナウンスがなく、いきなり奇襲攻撃のように一気に放出するやり方に悔しさを感じながらも、他に在庫の残っているショップはないものかと思い、小さい店も含めてほうぼう探し回ってみたが、どこも在庫はないということだった。さらに、ショップの店員の言うには、
「契約から10ヶ月たっていますか? 10ヶ月以内だと、16000円増しになりますよ」
とのこと。よく考えてみると、契約したのは去年の6月だったので、今日でまだ8ヶ月ぐらいしか経っていない。あと2ヶ月待って安く買うのも悪くないかもしれない。それに、2ヶ月後にはまた新機種が出ているかもしれないし。そう思い直すことにすると、急にN900iの魅力が色褪せてしまった。

ちょっと死相出てた

今月号の「文芸春秋」の売れ行きが著しいらしい。20歳と19歳という史上最年少の女性2人が今年の芥川賞を受賞し、その作品が掲載されているのだ。純文学など高校以来とんとご無沙汰だった僕だが、このたびの話題性に乗じて、彼女たちの作品を読んでみた。

まず、金原ひとみ「蛇にピアス」 身体改造、刺青……そのあまりのエキセントリックなあらすじに当初は嘔吐感を催すほどの抵抗を感じたのだが、実際に手にとって読んでみるとそうでもなく、19歳の女の子のピュアな愛の物語という体をなしていた。主人公が同棲している彼がもっている、先端を二つに裂いた舌(スプリットタン)に憧れて自分もその舌を得るためにピアスで自分の舌の穴を拡げ、また店で出会った人の麒麟の刺青に感動して自分もその刺青を入れる。あまり書くとネタバレになるのでこのへんにしておくが、好きな人の属性をすべて自分の中に取り込みたい、愛する人に近づきたい、というひたむきな想いが、痛いほど伝わってきた。これは著者の金原さん自身の実体験にも裏打ちされたものかもしれない、と思い、切なささえ感じられるほどである。

プロットは基本に忠実に、導入部ではピアスの拡張やスプリットタンの説明を通してうまく読者をこの世界に誘導し、登場人物のキャラクター設定、主人公の周りで起こるいろいろな出来事の描写を経て、クライマックスに持ってくる。そのあとの結末の描き方が少し理解できなかった面もないではなかったが、小説としてはおおむね面白く読めた作品だった。作中のこれでもか、これでもかという過激で露骨な性表現がかえって小気味よく、パンクな世界を引き立たせていた。

僕はこの作品、単行本も読んでみたことがあるのだが、ラストシーンは文芸春秋のほうでは若干書き換えられている。個人的には文芸春秋バージョンのほうがうまくまとまっているように感じたのだが、どうだろうか。

次に、綿矢りさ「蹴りたい背中」 こちらのほうは、申し訳ないが、何が云いたいのかよくわからなかった。まず文の流れが単調で、読んでいて退屈する。文中の過剰な比喩やレトリックが多すぎてお腹いっぱいになる。なんとなく集団に染まるのを拒絶し、世の中を斜に構えている「私」とアイドルオタクの「にな川」との交流を通じて、「私」の「にな川」に対する心の変遷を描いているらしい、ということは読み取れるのだが、全体的に文体がさらっとしすぎていて、「蛇にピアス」のように読後に澱のように残るものがない。退屈なのを我慢してしばらく読み進んで、ようやっと少しノッてきたな、と思ったら、いきなり〈了〉と書かれていて、「あれ? もう終わり?」と拍子抜けした。全体を通してこの作品のメッセージを読み取れなかったのは、悲しいかな生粋の理科系人間を自認する僕の文学的感受性の欠如に因るものか。

批判ばかりでも公平でないので、少し良かった点を書いておくと、相手の男子の名前を難しい漢字の「蜷川」ではなく、ひらがなの「にな川」とした点は、読者にちゃんと読んでもらいやすく、印象づけやすいという点で、プラス点ではなかっただろうか。

http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20040220i413.htm

今日は芥川賞の授賞式。「話題作りのための受賞」と揶揄する向きもないではないが、これを機に、ふだん活字とは縁のなかった人が、文芸作品の世界に入り込む糸口にでもなれば、それだけで文春側の作戦勝ちというものだろう。

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