最近のパソコン

最近,またノートパソコンを買ってしまった。軽いメール端末が欲しかったのと,Windowsマシンが1台ぐらいないとな~ってことで;いえね,もちろん私は今でもMacerなんだけど,

Macのノートって,どれもデカすぎ

だし,重いノート抱えて新幹線に乗って帰省なんてしたら,それだけで肩が凝ってしょうがない。ってことで,携帯用のノートパソコンに限って言えば,Winかな~なんて思ったりする。あと,会社では最近Win環境に統一されて,文書はすべてWord+Excel+Powerpointになったというのもあるので,会社の仕事を家に持ち帰ってやろうとすると,どうしてもWin環境のマシンが必要になってくる(Word+Excel+PowerpointはWin+Macの互換性がないので)
ってことで,ボーナスで,軽くて使いやすそうな東芝のLibrettoをゲットした。それにしても,最近のパソコンって,プリインストールソフトが当たり前になっているね。パソコンを自分なりにカスタマイズして楽しんでいた僕なんかから言わせると,プリインストールソフトなんてハードディスクのスペースを食うだけで無駄だと思うんだけど,何も苦労しなくてもインターネットに接続できるようにあらかじめ設定してくれてるってのは,やっぱり楽でいいね。
4~5年前は,パソコンを購入しても,入っているのはOSぐらいなもので,あとのソフトは自分で買ってくるなり,フリーソフトを手に入れるなりして,自分でインストールして設定して使っていた。昔はパソコンの性能もあんまり良くなかったので,少しでも快適に使おうと,速いビデオカードに差し換えたり,速いモデムを買って来たりしたものだ。でも,今はネット接続環境やらメール環境やら多くのことがあらかじめメーカー設定されてしまっているので,もう自分でカスタマイズできる余地は,ほとんどなくなっている。しかも,自作PCとほとんど変わらない値段で実現されているし。もう,これからは,

パソコンそのものをいじって遊ぶのではなく,
何かをするための道具としてパソコンを使うのが正しい使い方

なんだろうね。クルマでも,若い頃はマニュアル車を面白がって乗り回していても,年取ってくるとオートマのほうが楽でいいや,って思うようになるのと同じで,もうパソコンをいじる時代は,終わったのかもしれない。

今日のニュースから

大阪府知事の横山ノックが,選挙運動員の女子大生にセクハラ行為を働いたとかで訴えられていた裁判で,原告側の主張をほぼ全面的に認める判決が出たんだけど,まあこのオッサンもタチが悪いというか,逆切れして原告を訴え返すわ,法廷でろくに証言もせずに有名人なのをいいことにテレビでさんざん原告を誹謗中傷するわで,とんでもないことをしていたらしいね。

政治に疎い門外漢のタレントに,政治などできるわけない

んだよねー;せいぜいセクハラでもやらかすのが関の山ってことだ。まあ,ずっと政治畑にいて経験があるからって,有能な政治家になるってわけでもないんだけどねーここ日本では(^◇^;) まあこんなのを選んだ大阪府民も,どうかしてるってわけだけど;
次,水戸市の段ボール加工業「アカス紙器」の元社長が,従業員の知的障害者に性的暴行を繰り返していた事件で,その元社長が執行猶予付きの判決になったことに腹を立てた障害者支援団体が,元社長らの乗った乗用車を取り囲んで抗議した事件で,監禁と暴行の罪に問われたその支援団体のリーダーの男女2人に実刑判決が出たらしい。
この国の司法制度では,

障害者にいくら執拗に暴力を加えても執行猶予で済んで,
そういう奴をちょっと小突いただけで実刑になる

らしい。しかもその抗議した人は,逮捕されてから2年も拘置されて,障害者支援活動を弾圧されたらしい。これは,もはや国(=公安)による障害者弾圧と言っても過言ではない。こういうふうに,

障害者や弱者を踏み付けにして,切り捨てて

成長してきたのが今の日本だ。そして,そんな公安を全面的にバックアップしている,上級裁判所の顔色を伺ってばかりの,世間一般常識から大きくずれた保身裁判官がいるわけだ;
悪いことは言わん,そんな裁判官は,今すぐ辞表を出して辞めなさーい。そして,

アメリカ式の陪審制度を導入して

市民本位の公正な裁判を取り戻すのだ。それこそ明るい日本の第一歩,それこそ

定説なのです(爆)

学生と社会人

僕は普通の人よりちょっと長かった学生生活を終え,こないだ社会人になったばかりなんだけど,学生と社会人,何が違うのか考えてみた。まあ,うちの職場は私服OKだし,見た目だけはほとんど学生みたいなものなんだけど,しいて違いをあげるなら,

  1. 時間に厳しくなった(朝早起きなんて学生時代には考えられない)
  2. コスト,費用対効果などを意識して物事を考えるようになった
  3. 定期安定収入がある(当たり前か^^;)

特に日本社会では,「金を稼げる者が偉い」という風潮が強いせいか,経済力のない学生は社会人と比べて一段低く見られるみたいで,車のローンは組めないわ,クレジットカードは学生用の限度額の低いやつしか作れないわ,何かにつけて社会人から

「学生の分際で・・・」

などと言われるわで,悲惨な状況にある。同じ年でも,大学院の研究室で論文を書いている学生よりも,高校を出てさっさと働いている人のほうが社会的な信用が高いとされている。外国では,院生には給料を支払うところもあると聞くが,日本の学生は無給で,サラリーマンと同じか,またはもっと忙しい仕事をやらされている。院生だと,バイトする時間もあんまりないので,極貧の生活だ。しかも研究室の飲み会とかはいっちょまえにあるし・・・奨学金を受ければ,生活は楽になるんだろうけど,奨学金はあとで返さなきゃいけないし,枠が限られているので,相対評価で成績が良くないと受けられない。そうやって無理して研究してPh.Dなんか取ったって,日本の会社じゃ博士号なんてただの称号で,給料が良くなるわけでもなし,大学に残って助手になんかなったら,超安月給でやってかなきゃならない。まあ研究が好きでやるぶんにはいいんだろうけど,あまりに割に合わないと思ったので,僕は研究はやめてさっさと就職してしまった。いや,2年,人より出遅れてしまったと言ったほうがいい。
今の,学生を軽んじる日本社会の状況では,大学院に進むより,学部を出たら就職したほうがいいと思う。そのほうがよっぽど経済的にも楽だし,会社じゃ院卒よりも先輩になれるし,何より社会的な信用度が違う。そう思って大学院の研究を断念した人も少なくないだろう。その中に,貴重な才能が含まれていたとしたら・・・日本は,大事な人材を失ってしまったことになる。特に基礎研究分野で弱いと言われているのに・・・
成人して大学院で研究を続けている人は,社会人と同じ責任を持っていると思うし,そういう人に対しては,会社員なみの地位と待遇があってしかるべきだね。彼らは,確かに自分のために進学して研究しているんだけど,教授なり指導教官から与えられる研究テーマは,社会的にも要求されている内容なわけだし,学生はちゃんとノルマも課せられて毎日夜遅くまで頑張って仕事しているのだ。

社会人の地位を笠に着て,年の近い学生を偉そうに見下す会社員

より彼らが劣る理由などない。院生から授業料を取るなんてもってのほか。むしろ,給料を払うべきだ。国のために有益な人材を育てるための税金なら,喜んで払うよ。

「西部警察」と「太陽にほえろ!」

70~80年代の代表的な刑事ドラマとして,「西部警察」と「太陽にほえろ!」があった。どちらも石原プロの作品で,超人気番組だったんだけど,この両者に出てくる刑事たちは性質がまるで違うんだよね。
「西部警察」では,刑事たちはみな,大門部長刑事(渡哲也)率いる「大門軍団」の一員で,大門団長の号令一下,全員一丸となって捜査にあたる。それぞれの刑事たちは皆それぞれの持ち場で組織のために動き,団長に自分の命を預ける。彼らは1本のタバコを回し飲みし,アフター5では最寄りの行きつけのラウンジに集まる。スタンドプレーをした者には団長の鉄拳が飛ぶ。
一方,「太陽にほえろ!」に出てくる刑事たちは,みんな個性というか,ユニークなキャラをもっている。石原裕次郎ふんする「ボス」は,それぞれの刑事たちの個性を活かしながら捜査にあたらせる。かといって,組織がばらばらになっているわけではなく,ちゃんとボスを中心にまとまっている。で,ここぞという時にはきちんと結束して成果をあげる。
今までの日本社会は,個々人の個性を殺して組織のために動く,いわゆる「西部警察」型で突っ走ってきた。そこでは,「みんな(組織)に溶け込む」ことが何より重要なことで,自分をアピールすることは許されない。「西部警察」でも,アメリカ帰りのエリート新任刑事が入ってきたとき,最初彼は浮いていたが,次第に矯正されてゆき,最後に彼が本庁に赴任が決まったとき,「団長のもとは離れたくありません!」と叫ぶにまで至った。このようにして,今までの日本は集団が一枚岩となって,猪突猛進して目標に向かって突っ走り,戦後の惨澹たる状況から現在にまで至った。そのこと自体を批判するつもりはないし,日本を今の状況にまで持って来てくれた先人たちには敬意を払っている。でも,

もうそれじゃ通用しないのよ;

これからは,「西部警察」型から,個々人のキャラを活かす「太陽にほえろ!」型へシフトしていかないと,創造性が殺されてしまうだろう。
日本は今まで欧米先進国にキャッチアップ(経済,国民所得,生活水準のキャッチアップ)するために努力してきたわけだけど,これからは,第2のキャッチアップ段階(システム,メンタリティのキャッチアップ)に入ったといえるだろうね。

アメリカ文化

僕は国籍の上では日本人だけど,特にコンピュータや情報通信の世界に身を置いていると,どうしてもアメリカ文化の洗礼を受けてしまう。まあ,純粋な「日本」なんてものは1945年の時点でなくなってしまって,それ以後の日本なんてほとんどアメリカの租借地みたいなものなんだけど・・・日本ばかりでなく,ドイツでも若者はアメリカのロックを聴くらしいし,世界中にマクドナルドは氾濫してるし,あのフランスでさえも英語教育に真剣に取り組みはじめたらしい。
アメリカ英語が世界のデファクト・スタンダードになっている現状もあるし,インターネットの普及なども考えると,だんだんアメリカ文化が世界標準になっていくんだろうな・・・でも,それは,アメリカが文化的に他国を侵略したわけじゃなくって,

アメリカ文化が,一番人間らしい

ってことなんじゃないかなあ・・・個人の自由が最大限保証されていて,外圧(伝統ある村社会の束縛)に干渉されることなく個々人が自分の力で生活するっていうスタンスが,世界的に受け入れられていう証だと思うね。
僕は,六本木とかでたむろって勝ち誇ったように馬鹿騒ぎしている傲岸不遜なアメ公共は殺したくなるんだけれど,社会システムというか,制度面では,

アメリカのものがベスト

だと信じている。アメリカが今空前の好況に沸き,あらゆる面で成功を収めているのが何よりの証拠だ。残念だが,今の日本の社会的な制度はすべてダメだ。悔しいけど,それは認めざるを得ないと思う。
今の腐り切った日本社会を根本的に変え,今のアメリカのsuccessfulな状況に近付けることが,日本復興の大きな鍵となるだろう。こう言うと,アメリカの犬のように思われるかもしれないが,僕はそこらの日本人よりはずっと愛国者だと思っているし,日本を愛していればこそ,今の日本のていたらくが歯がゆくて仕方ないのだ。

お仕事です!

男女問わず,キャリアを重ねて社会で頑張っている人は魅力的だ。なかでも,いわゆる「キレ者」というか,「仕事のできる」人は尊敬に値するし,僕もいちおう社会人の端くれである以上,できることならそんな人間になりたいと思っている。で,自分はどうかというと,アサインされた仕事の半分もこなしきれない状態だ。僕だっていちおう大学院まで出て,それなりに勉強もしてきたつもりなんだけど,

学歴だけの偏差値秀才なんて,社会じゃ何のクソ役にも立たない

ことが痛いほどわかった。大学や院で勉強することと,仕事ができるということは,全く関係ないみたいだ。いや,大学院と社会とはリンクしているのだろうけど,僕はすでに院にいた頃から落ちこぼれ組だったから,会社でもろくに使い物にならないのかもしれない。
どうしてこうなってしまったのだろうか。
僕は,子供のころはいわゆる「素直」で「真面目」な子だった。親や先生の言うことを,反抗もせず,疑うこともせずはいはいと聞いて育ってきた。彼らにしてみれば,反抗期らしいことも経験しなかった僕はきっと管理しやすかったことだろう。でも,そうやって上から抑えられ,指示されることに慣れてしまうと,

主体的にものを考えることができなくなってしまう

わけで,あらゆるものをまず疑ってかかるという,仕事や研究をすすめる上で最も大切な能力が殺されてしまったのだ。その結果,日常やっている業務に関して疑問をもつことができない。疑問点が浮かばないと,誰かに質問することもできない。質問しなければ,いつまでも理解できない。この悪循環で,いつまでたってもまともに仕事ができない状態が続いているのだろう。
こんなことでは,人間的魅力はおろか,社会人としてのまともな生活もおぼつかないだろう。何とかしなければ,とは思っているのだが・・・